天ケ瀬三姉妹
「はるかには、何か後ろめたいものがあり、姉に謝りたい気持ちでいたのに、こんなことになってしまって、謝る機会が遅れてしまった。ゆかりのショックな状態に輪をかけて、言えなくなってしまったことを飲み込むというのが、どれほど辛いことなのかということを想像はできないが、思うことはできる。慰めの言葉など思いつくわけはないが、できるかぎり、気を遣ってあげよう」
と、渡良瀬は感じていた。
頼子も同じような思いなのだろう。
そう思っていると、はるかも、少しずつ顔色を取り戻してきて。先ほどの顔色の悪さは、車でトンネルの中を走っている時、黄色いランプに照らされて、顔が真っ青に見えるあの時に似ていると思ったのだった。
今では、そのトンネルを抜けてきたのだが、これから先、同じようなトンネルに再突入しないとも限らない。
それを思うと、渡良瀬はいろいろ考えた。
「ゆかりと、はるかの間に何かあったんだろうな。あったとすれば、はるかがゆかりの代わりと称して、自分とデートをした時そのものなのか、それとも、二人の関係性で、あの時と同じようなことが他にもなかったとは言い切れないので。そのあたりのことが走馬灯となって、頭を巡ったのかも知れない」
と、考えれば考えるほど、不思議な感覚が頭を巡ってくるのであった。
「でも、本当によかった」
と、心の底から渡良瀬がそういうと、またしても、三人三様で、それぞれに違う表情を見せた。
しかし、今度は先ほどとは違った表情になった。それがどこから来るものなのか、渡良瀬には分からなかった。
ひょっとすると、渡良瀬自身も違った雰囲気を醸し出しているのかも知れない。それを思うと、感情が透けてくるようで、逆に何を考えているのか、透けて見えるはずの事実が、その中には内容だったからだ。
「まるでクラゲの骨を探すようだ」
と、渡良瀬は感じたが、クラゲの骨というたとえがよくできたものだった。
「普通はないと思われるような、すぐには信じられないようなものを見たような気分になる」
ということを、
「クラゲの骨」
という言い方で、語ることがあるという。
頼子とはるかの姉妹。さらには、そこに母親が混ざっていると、今まで感じていた、
「天ケ瀬三姉妹」
の一角が崩れてしまっているのが感じられた。
ただ、一つ言えることは、
「ゆかりがよくなるというのは、本当によかった」
ということだったのだ。
大団円
ゆかりが目を覚ましたのは、それから、数時間後の早朝ということだった。帰宅途中だったので、事故が遭ったのは夕方くらいだっただろうか?
それから救急搬送され、緊急手術、数時間は要しただろうから、手術が終わったのが、深夜に差し掛かることだっただろう。それから麻酔が切れるまでということなので、まだ、世の中が活動を始める前の、まだ表も暗かった時間帯かも知れない。
実は渡良瀬はあれから少し体調が悪くなった。血液を抜いているというのもあったし、たぶん、慣れない病院で、薬品の匂いに気持ち悪さが重なったに違いない。途中位までは意識があったのだが、時間の感覚もマヒしていたはずなので。どれくらいまで意識があったのか、まったく覚えていない。
記憶にあるのは、血液を抜かれている間、頭が心地よくなって、そのまま眠ってしまったということで、そのあと、どれくらい経ったのか、頼子に、
「ゆかりは大丈夫だ」
ということを教えてもらったことくらいだった。
意識が朦朧としていたので、本当に頼子と話をしたのが夢だったのではないかというほど曖昧だったことを思うと、早朝の目覚めは、だいぶ意識が戻ってきているように思えた。
それでも、深い眠りから目覚めたはずなので、若干の頭痛が残っているのは否めなく、今が早朝であるということも、よく分かったと思うほどだった。
しかし、本当に早朝なのは間違いないようで、見回りにきた看護婦さんが、
「渡良瀬さん、大丈夫ですか?」
「ええ、だいぶ眠ってしまったようですね」
というと、
「そうですね。最初は息をしていないのではないかと思うほど静かな眠りだったんですが、途中から、鼾を掻くくらいにまでなっていたので、こちらも安心しましたよ」
と、言って、笑顔を見せた。
「そうですか、鼾ですか。まあ、普段から自分の鼾を感じることなんか、普通はできませんからね」
というと、
「ええ、それももっともなことですね」
と、看護婦は、さらに笑った。
「今何時頃ですか?」
「朝の五時を回ったところですね。そういえば、ついさっき、天ケ瀬さんが目を覚ましたそうですよ」
「えっ? ゆかりちゃんが? それはよかった。輸血を行った甲斐があったというものですよ」
「ええ、そうですよね。結構大変な手術だったようなんですが、ちょうど名医と言われる先生がおられたこともあって、結構スムーズに手術もうまく行って、よかったと思いますよ」
と言われた。
「それならよかった。昨夜、彼女のお姉さんとお母さんが話してくれたのも、ほぼ似た話だったので、僕も安心しました。だから、鼾を掻いて寝ることができたのかも知れないですね」
というと、
「ええ、安心すると、人間は変わりますからね。あれだけ顔色が悪かったのに、今は顔色もよくて、よかったです。今なら食事も摂れますよね?」
と言われ、
「ああ、そういえば、お腹が減ってきましたね。いわれて気が付きましたよ」
と言って笑うと、
「気が付かないくらいに緊張されていたということでしょう。もう少ししたら、朝食が出来上がるので、渡良瀬さんの分は、早く持ってきてもらうように手配させましょうね」
「ありがとうございます。病院食とか食べたことないので、ちょっと楽しみかも?」
「味気ない味付けですよ。だから、病院食なんですけどね。でも、渡良瀬さんは別に病人ではないのだから、この後で、またお腹が空いたら、退院後、レストランで食事をすればいいですよ」
「退院してもいいんですか?」
「それはもちろん、だけど、渡良瀬さんの体調が本当に元に戻っていればですけども、でも、今のご様子からでは、大丈夫そうですね?」
「ええ、もちろん、もう、何ともないですよ」
と言って、身体を動かして見せた。
本当に、体調に問題はなかったのだ。
朝食が運ばれてきたのが、六時すぎくらいだっただろうか。先ほどの看護婦から、
「渡良瀬さんの朝食だけ、早めに持ってこさせますね」
という言葉を聞いていたので、あれで一気に空腹感が膨れてしまった。
空腹感で腹が膨れれば、それに越したことはないが、余計な空腹感が煽られるだけという、笑い話のようである。
確かに、病院食というのは、実に味気ない。ここまで味気ないものだったなどと思ってもいなかったが、完食してしまうと、今度は飽食間が身体に充満してきて。
「もういらないか?」
と感じるようになってきた。
ただ、食事を摂ると、体調が本当に戻ってきた気がしてきた。昨日のような病院の嫌な臭いも感じなかったし、あの臭いが少しでも残っていれば、この食事も完食ができなかったかも知れない。
確かに、おいしいとは思わなかったが、それでも今の自分にはちょうどよかった。