天ケ瀬三姉妹
渡良瀬は、じっと覗き込んでいると、
「おや?」
と思い、その瞬間、身体が固まってしまったのに気が付いた。
そこに倒れている女の子の姿が見えてくると、その服装に、どこか見覚えがあった。
「そうだ。俺と会う時、よく着てきた服だったよな。ということは、そこにいるのは?」
と思いながら覗き込んで、想像が的中してしまったことを、呪わずにはいられない。
思わず、
「ゆかりちゃん」
と叫んでしまった。
まわりの人は皆こっちを見つめたが、もう、気が動転していて、見られることへの感覚がマヒしていたのだ。
「あなた、この子の知り合いなのかい?」
と中年男性が話しかけてきた。
「ええ、友達の妹さんなんです」
と、余計なことを聞かれたくない一心で、無難な答え方をした。
こんな時、当たり障りのない答えが一番望まれるだろう。相手も、余計な質問はしたくないだろうからである。
「車に轢かれたんですか?」
と聞くと、
「ああ、あそこで見ている、にいちゃんが運転していた車らしいんだけど、かなり大きな音がしたので、見てみたら、女の子がひっくり返っていて、動かなくなっていたので、急いで救急車を呼んだというわけだよ」
遠くから救急車のサイレンが聞こえてきた。人だかりがさっと雲の子を散らすように、救急車の侵入経路を開けていた。
車が止まると、一糸乱れぬ白衣の救急隊員が数名降りてきて、担架と、酸素吸入器を持った隊員を従えて、隊長のような人が、脈や目を開けてみながら、
「よし、急いで運ぼう」
と言って、救急車の中に運んだ。
「この方をご存じの方」
と言われたので、
「はい」
と言って、渡良瀬も、救急車に乗り込んだ。
今目の前で応急処置を行ってもらっている女の子は、ゆかりだったのだ。学校から一度帰って、どこかに出かけようとしたのだろうか? 制服ではなく私服だった。おめかしをしているわけでもないので、ちょっと買い物というくらいのことだったのだろう。渡良瀬の心臓はバックンバックン言っていて、身体の震えが止まらなかった。
救急車の中では、救急隊員が、ゆかりにいろいろと訊ねている。
「どこが痛いですか? 大丈夫ですか?」
と言っている。
その横で、もう一人の人が、病院の手配をしているようだった。初めて乗った救急車だが、
「思ったよりも窮屈だ」
と感じた。
それは当然だろう。決められた大きさのワゴン車に、救命用具や精密機械が所せましと乗っているのだ。さらに目についたのが、酸素ボンベで、すぐに、ゆかりに取り付けられた。いかにも痛々しい状況である。
ゆかりの身元を調べなければいけないようで、カバンの中から定期入れなどを物色していた。急を要することなので、それも当然のこと、病院に着いたら着いたで、調べる暇などないだろうから、きっと分かっていることを、患者受け渡しの際に伝言することになっているのだろう。
「救急車が通ります。道を開けてください」
というマイクの声が、サイレンとともに聞こえてきた。
その頃はまだ学生だったので、細かいことは知らなかったが、緊急自動車が通っている場合は、一般車両が青信号で、救急車が赤信号でも、救急車が優先である。もし、他の車に接触すれば、
「緊急自動車に対して止まらなかった方が悪い」
ということで、救急車の修理代を請求されることもあると、あとで聞かされた。
それも当然のことであって、命を運んでいるわけだから、何をおいても、最優先である。
救急車に乗ってから、バタバタしているところを見ていたので、救急車が減速し、左に曲がっていくのを感じると、
「やっと着いたんだな」
と感じた。
どれくらいの時間だったのか、たぶん、十五分くらいだろう。病院の中から、救急の医者や看護婦が出てきて。救急隊員から患者を受け取った。その時、難しい言葉をいろいろ言っていたが、聞こえたのは、確か、バイタルという言葉だった。その言葉は聞いたことがあったので、分かった気がしたが、とにかく、集中治療室に運ばれ、どうやら、緊急手術になるようだった。
事務員のような人が来て、
「この患者さんのお知り合いですか?」
と聞かれたので、
「ええ、同級生の妹なんです」
「緊急の連絡先とは分かりますか? 一度ご自宅には連絡してみるつもりですが、いなかった場合を考えてですね」
と言われたので、スマホを見せて教えてあげた。
急いで連絡を取っていたが、連絡はすぐに取れたようだ。
「家族の方は、すぐに見えられるそうです」
と言っていると、奥の方で輸血という言葉が聞こえた。
「AB型なんだけど、少しでもたくさんあればありがたい」
と言っていた。
それを聞いて、思わず渡良瀬が、
「あっ、僕AB型なんですけど、協力できますよ」
と答えた。
実は、その時まで、ゆかり、いや、ゆかりだけではなく、他の二人の血液型も知らなかった。だが、ここで自分がいたのも何かの縁である。
「輸血に協力するのは、当然のことだ」
と思ったのだ。
「じゃあ、お願いします。まずは、血液の適合検査をしますので、こちらへどうぞ」
と処置室の方に通されたのだ。
久しぶりに、静脈注射を打った。痛かったというよりも、何となく気持ちよかったといった方がいい。腕をまくって、血管を浮かせようと看護婦さんが、指で手を叩いた時、喧噪としたまわりの音が、しばらく消えてしまったかのように感じたからだ。
針が入ってきた時も、一瞬、チクッとしたが、身体が少し熱くなっているのか、血液が抜けて行く時、スーッとする感覚だった。
2,3本抜かれたので、少し、横になっているように言われた。
「緊急手術の方、もうすぐ始まります」
と言われ、少しずつ、頭がボーっとしてきた。
それを見た看護婦が、
「大丈夫ですか? 輸血できそうですか?」
と聞いてくるので、
「ええ、大丈夫です」
と答えた。
そもそも、輸血はおろか、献血すらしたことがない。まあ、まだ高校生なので無理もないことかと思ったが、そういえば、周りの同級生の男の子は、結構、献血に行ったという話をしていたのを思い出した。
最初は、
「二十歳の献血」
というポスターがあったので、それを思い出したのだ。
「あなたの場合は、まだ17歳ですので、採血は200CCまでとなりますので、そのつもりでいてくださいね」
という話をされたが、たぶん、このあたりから、半分意識は朦朧としていた気がする。
ゆかりが緊急手術を受けている間、渡良瀬は、別室で採血された。時間としては、数分だったのだろうが、気が付けば、気持ちがいいと思っているうちに、眠っていたのかも知れない。
気が付けば、喧噪とした雰囲気はなくなっていた。
「ここは、どこなんだ?」
と、目が覚めたが、身体を動かすことができなかった。
意識が戻ってくるうちに、
「そうか、ここは救急病院で、輸血の手伝いをしたんだ」
というところまで意識が戻ってくると、
「そうだ、ゆかりはどうしたんだ?」
と、今まで動かないと思った身体が、いきなり反応して、ビクッとなったかのように、反射的に飛び起きた。
「手術、手術は、どうなりました?」