天ケ瀬三姉妹
勧善懲悪が悪いといっているわけではないが、勧善懲悪を考える人間にとって、自分が勧善懲悪なのだという意識がないと、いろいろな意味での感覚がマヒしてくるのではないかとゆかりは感じていたが、その思いを証明してくれたのが、まさか、
「救世主」
と思われたちひろだったとは、思ってもみなかったのだ。
ゆかりは、ちひろのことを、最初からそんな、
「上から目線」
をするような人間だとは思ってもみなかった。
なぜならちひろのしていることは、無意識だからである。他の人のようにわざとやっているわけではないので、悪意がない。悪意がないと、近寄ってきたその人に、警戒心は解いてしまう。
一度警戒心を解いてしまうと、もう一度その人に対して警戒心を強めることは難しくなる。だから、それ以降の相手に対しては、さらに強い警戒心を抱き、侵入を防ごうとする。まるで、受精のメカニズムのようではないか。
一つで十分なものを受け入れて、それ以外を受け入れようとしないわけだ。そうなると、ちひろの存在というのは、ただ、ゆかりにとって、どのような存在なのかということを考える必要がある。
本当にただの悪なのか、それとも何かの暗示なのかである。それこそ、
「予知夢のようなものではないのか?」
と考えることもできるだろう。
実際に後から考えると、ちひろがいてくれたおかげで、ゆかりの中でそれまで考えようとしなかった。いや、考えてはいるが、どこまで真剣に考えていたのかというところだったもかも知れないのだが、いわゆる、
「苛めの理由」
に対しての考え方である。
苛めの理由に関しては、基本的に、自分の立場からしか見ようがなかった。だが、ちひろの存在が、見方を広げてくれたというのか、上から目線で感じた、
「階上から階下を見下ろした視線と、逆の視線との距離感などの違い」
を考えていると、そこに見えてくるのは、双方向からの発想であった。
そのおかげで、今まで見えてこなかったものが見えてくるようになり、そうなると、苛めの根本までは分からなかったが、理由の一つとして考えられることが見つかると、
「苛めの理由が一つではないんだ」
と考えるようになり、おぼろげでも自分の悪いところが見えるようになった。
そうなると、その改善策をこれから考えようと思っていると、自然と苛めがなくなってくる。
どうやら改善策が問題ではなく、
「苛めの理由に真摯に向き合う」
ということが大切だったようだ。
これは、苛めというものが、人によって全然違うものだったりすることで、その解決法もまったく違うのだろうから、一概に言えることではないが、
「ゆかりの場合は、理由と真摯に向き合うことで解決に近づいた。そして、それをアシストしてくれる存在として、ちひろがいたのだ」
ということになるのだった。
渡良瀬には、ちひろという友達がいることは分かっていたが、ゆかりの苛めが自然となくなってきた理由について、詳しくは知らなかった。
「自然消滅だったんだろうか?」
という程度にしか分かっていなかったのだ。
それだけ、ちひろという女の子の存在は、まわりから見ると目立つものではなかったが、ゆかりの中では、
「なくてはならない存在」
となっていたのだった。
自分にとって、なくてはならない存在なのに、まわりからはほとんど意識されない存在の人というのは、
「友達が一人もいない」
と自他ともに認めている人以外であれば、誰にでもいるのではないだろうか。
その人の存在があるから、自分の存在を表にアピールできるものであり、
「普段は、おとなしいけど、あるスイッチが切れたり、あるいは入ったりすると、急に性格が変わったかのように、目立つ存在になる」
という人が、誰のまわりにだっているだろう。
そういう人には、ちひろのような存在の人がすぐそばにいるということで、まわりの人には、ちひろが見えないことで、その存在が明らかになることはないが、本人には、別におかしなことでも何でもないということなのだろう。
ただ、
「本当に友達が一人もいない人なんているのだろうか?」
と考えることがあるが、
「いるようで、いないのではないか?」
と考えるようになった。
それは、渡良瀬が、ゆかりから、一度ちひろの存在を聞かされたことがあったからだ。
渡良瀬には、ゆかりの言っている意味が最初は分からなかった。
「そんな俺たちが見えていない存在の人を、本人だけが意識しているなんて、何か変だよ」
というと、
「そうかしら? 私はちひろちゃんという存在を意識できたから、苛めがなくなったのは事実だと思うの」
「じゃあ、今でもそのちひろちゃんという人は、いつもゆかりのそばにいるのかい?」
と聞くと、
「いつもというわけではないわ。私がいてほしいと思う時にいつも現れて、救世主のように助言してくれて、それで、あとは私の様子をじっとみていてくれているような存在だといってもいいわね」
「それは、完全にゆかりにとって都合のいい人間だということになるのかな? でも、そんな都合のいい人なんているのかな?」
「うん、私も信じられないように思うんだけど、ちひろが現れると、そうとしか考えられないの。アドバイスをくれる時はちひろの声も感情もハッキリ分かっているんだけど、その悩みのような感情が消えてしまうと、まるでフェイドアウトするかのように、ちひろから言われていたことが、かすんでくるのよね」
というのだった。
「ひょっとすると、ウソのような本当のこととして、ゆかりの言っていることの方が信ぴょう性があるような気がしてきた。ただ、これはこうやってゆかりと話をしているからであって、この話をやめたとたん、考えが元に戻るかも知れないと思うんだよね。これって、俺にとってのちひろが、ゆかりなんじゃないかな? って思ったとして、それはそれで信ぴょう性のあることだと思わないかい?」
「確かに……」
といって、ゆかりも考え込んでいた。
「有名な妖怪の中で、座敷わらしと呼ばれるのがいるのを知っているかい?」
と、渡良瀬が聞くと、
「ええ、聞いたことがあるわ。確か東北の方で伝わっているというのか、大きな家には、座敷わらしというのが住んでいて、普段は見えないんだけど、気配だけはしているというのかな? その座敷わらしがいる時はいいんだけど、いなくなると、その家は没落していくという話でしょう?」
「そうそう、その話が、今のちひろという女の子の存在の話を聞いて、よみがえってきた話だったんだけどね」
「そうなのよ、実は私もちひろちゃんと話をしている時、その座敷わらしの存在を見ているような気がしていて、ひょっとすると、ちひろちゃんが私にとっての座敷わらしなんじゃないかって思うようになったの。座敷わらしは、その存在を人に話したからっていなくなるというものではないと聞いたことがあったので、こうやって、一郎兄さんにはお話ししているんだけどね」
と、ゆかりは言っていた。