歴史の証明と、オカルト、SF系とのコラボ
という、四次元よりも、見えている一次元、二次元の方がよほど距離があるものではないかという考えも成り立つのであった。
それを考えていると、パラレルワールドと、いわゆる異次元というものの証明というのも、一緒に考えることもできるのではないかと考えていた。
そして、その求める答えというのが、
「宇宙という世界を無視して考えることはできないのではないか?」
ということを、草壁は、中学時代くらいから考えていたのであった。
宇宙というものに関しては、小学生の頃から、星座というものに、なぜか興味を持っていた。
自分でもなぜ興味を持ったのか分からない。ただ、空に浮かんでいる星を見て、
「昔の人が勝手に、自分たちの時代の出来事や、神話のようなものと結び付けて勝手に解釈したのだ」
と言われればそれまでなのだが、本当にそれだけなのかと考えさせられるのであった。
元々、地球が動いているなどということは誰も信じていたわけではない。実際に動いているという感覚がないのだから、根拠もなしに、
「地球が動いている」
と言って、誰が信じるだろうか?
もちろん、ガリレオだって、分かるように説明したつもりなのだろうが、頭の固い連中に話しても、最初から聞く耳を持っていないのであれば、ずっと描いているのは、
「交わることのない平行線」
でしかないのだろう。
しかし、果たしてそうなのだろうか?
今の人間は、
「ガリレオの言っていることが真実だった」
という認識が最初からあるので、古い頭で考えていた人たちのことを、糾弾できるのであるが、当時のほとんど、いやすべての人間が、地球が動いているなどと言われて、
「はい、そうですか」
と言って納得などできるはずもない。
時代としては、宗教的な感覚が強かった時代なので、宗教の教えに背くような発想は、当然のごとく、迫害されるであろう。ノストラダムスしかりであり。下手をすれば、
「神に近づく」
あるいは、
「神を冒涜する」
というような考えは、聖書の中にもあるような、バビロニアの王であったニムロデ王が、建設したとされる、
「バベルの塔」
の話のように、
「天に向かって矢を射ったり、紙に近づこうとするような大きな塔を建設するということが神の怒りを買う」
ということが戒めとなり、信者である人々の心の中に根付いているのだとすれば、ガリレオという存在は、このニムロデ王という存在に近いものだと思われるだろう。
しかも、当時は、
「魔女裁判」
などというものもあり、
「異端の考えを持つものは、迫害される」
ということで、それこそ、ことわざにもある、
「出る杭は打たれる」
と言われるがごとくなのではないだろうか。
そんなことを考えていると、地動説というものが、いかに異端な考えであるか、当時の人たちを一方的に、ひどいといって、事実を捻じ曲げているという発想をするのは、正直、片手落ちな考えではないかと思うのだった。
つまりは、ある科学者が言っていたように、
「科学で解明できないことはないということは起こりえないと決めつけることが、科学への冒涜だ」
ということではないだろうか?
つまり、一般的に正しいといわれていること、あるいは、正義だとされていることは、あくまでも、その反対意見であったり、悪とされているものがあってこそ、目立つ存在になっているのだ。
つまり、
「勧善懲悪」
という言葉のように、善だけを認めるのではなく、悪に対しての態度を示すということが、平衡を保つという意味で、必要なことである。
「表に対して必ず裏がある」
というように、正統派意見があれば、必ずそれに対しての、異端の意見もあるわけだ。
だが、正統派なのか、それとも異端なのかというのは、少なくとも、民主的な考え方においては、
「多数決」
でしか決められるものではない。
そうなった時の少数派である異端説を、考えようともせず、すぐに見捨ててしまうということは、それ以降の発展には、まったく寄与するものではない。
むしろ、後退することにつながってくることになるかも知れないと思うと、これほど、難しい考えにいたるわけではないだろう。
「少なくとも、理論物理学を中心とした学問には、裏表の両方を納得させるものでなければ、学説とすることはできない」
といえるのではないだろうか。
だが、実際のパラレルワールドというのは、草壁が考えていたものとは、発想から違っていたのだが、曲がりなりにであるは、
「表に対して必ず裏がある」
という共通点を、強引に結びつけることができるのではないだろうか?
パラレルワールドが裏になるのか、表になるのか分からないが、これを、
「並行世界」
というのだ。
「へいこう」
という言葉の音を踏む言葉として、
「平行」、「並行」、「平衡」
と三つ紛らわしい言葉があるのだが、それぞれに違う意味の言葉であるのは、周知のことであろうが、果たしてハッキリと言葉を定義づけできる人はどれだけいるであろうか?
「平行」というのは、二つの線が決して交わらないことである。
「並行」というのは、二つの線が、並んで走ることをいい、その時、その線は交わることがない。
そして最後に、「平衡」というのは、つりあった状態であり。偏らずに安定している状態をいうのだ。
つまりは、並行の中に、平行という言葉が含まれていて、並行の定義に、平行の定義が入っている。そして、平衡というのは、まったく意味の違う言葉だといってもいいだろう。
ただ、平行というのが、動体である必要はなく、並行には、
「進む」
という言葉の動詞が含まれているということで、平行は、完全に並行に含まれるとは言えないのではないかとも思う。そういう意味でも、言葉というものが難しいものだということを実感するのであった。
では平行というものに、動的なものは必要ないというのであれば、
「何になるのか?」
と考えると、
「概念だと解釈できないか?」
と考えるのだが、それが無難な回答ではないかと思う。
そうやって考えると、パラレルワールドというのも、動的なものであるといえるだろう。つまりは、自分たちが生きている世界も、絶えず時間軸に沿って生きているわけで、平行世界である、
「パラレルワールド」
も、一つの時空から分岐したうえで、同じ時間軸を進んでいる別の時空だと考えると、次元というものが、
「一つの時間軸のようなものではないか?」
とも思えてくる。
となると、四次元の世界を構成する、
「四次元目」
というのは、時間軸だという説は、少し違ってくるのではないだろうか。
いや、逆説を唱えるとするならば、時間軸をパラレルワールドとを結ぶ、
「並行部分だ」
と考えるならば、
「このパラレルワールドこそ、四次元の世界なのではないか?」
と考えてもいいだろう。
そして、パラレルワールドが時間軸に沿って、存在するのであれば、二次元、三次元を構成する、縦、横、高さに幅があるのであれば、時間軸にも、それに匹敵するだけの幅があってもいいだろう。
ただし、縦、横、高さには限界があるので、時間軸にも限界があると考えるのが普通である。
作品名:歴史の証明と、オカルト、SF系とのコラボ 作家名:森本晃次