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歴史の証明と、オカルト、SF系とのコラボ

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 しかし、好奇心からすれば、想像できないことではなく、自分が想像した思いと。本当に違っているのかということを確かめたいという思いもあるのだった。
 それが、
「耽美主義の探求」
 であり、芸術を深堀りする気持ちの原点ではないかと思えるのだった。
 小説の世界で耽美主義を表現するのは難しい。特に死体を表現するのは、設定や感情から考えると、どこかに矛盾が存在しないと成立しないものに思えてきたのだ。
 芸術のように、あからさまな耽美主義は、きっと、そんな矛盾を分かっていて、あからさまに表に出したことで、却って、まわりに分かることではなく、何か猟奇的な発想がそこにあるとして、ミステリー以外の耽美主義であっても、最終的には、猟奇的な感情が見え隠れしていると思うと、どうしようもない、やるせない気持ちにもなってくるというものだった。
「耽美主義」
 とは、本当に何なのであろうか?
 耽美主義の小説を読んでいると、エロスとはどうしても切り離せないところがあることに気が付いた。中学生というと、思春期に入りたての頃で、小学生の頃から本は読んでいたが、同じ内容の本でも中学生になってから読むと、
「なんだ、このムラムラしい気持ちは?」
 と感じるのだった。
 しかも当時は、小説を出版している出版社が、映画やドラマなどへの映像化を推進していて、放送局や映画制作会社に売り込むことで、昔のミステリー作家が、脚光を浴びるのだった。
 あまりにも変格が過ぎてしまうと、放送倫理に引っかかってしまうので、そのあたりは、作者の了解を得て変更することで対応しながら、なるべく原作に沿った作品作りをしていたのだ。
 当時はまだ今ほどコンプライアンスというのが激しくはなかったが、それでも、昔にくらべて、使用できない言葉は増えていた。
 実は、当時から二十年くらい前にも同じようなミステリーブームがあり、ドラマや映画化が最盛期だった。
「ブームというのは、繰り返すものなのですよ」
 と、出版社の社長がインタビューに答えていたが、まさにその通りのようだった。
 耽美主義という言葉は、昔からあり、ブームが起こるたびに、見直されるようになってきたようだが、なかなか昭和からこっちは、昔ほどの印象とはかけ離れてきているのが寂しい気がした。
 昭和の時代は、激動の昭和史という言葉に表されるように、関東大震災からの復興、そして満蒙問題の解決、さらには、世界恐慌によっての、民主主義、社会主義、さらにはファシズムという政治体制の確立と、その対立が顕著になることで、誰もが恐れていた世界大戦へと繋がっていくのだった。
 大正時代の第一次大戦の頃に開発された、毒ガスや戦車、航空機は、形を進化させて、脅威といえる、
「大量殺りく兵器」
 に変貌していた。
 特に航空機の発展は、
「無差別爆撃」
 という悲劇から、一般民衆をターゲットにした戦争に変化していく。
 占領地での虐殺、強奪なども頻繁で、戦争という形が、
「絶滅戦争」
 になっていったのだ。
 それが終わり、日本は初めての敗戦を味わったことで、それまでの大日本帝国は滅亡し、占領国による、民主化が勧められた。日本は、それから五年もしないうちに、隣国の挑戦半島が、南北の支配国の体制による衝突で、戦争が勃発してしまった。
 それにより、日本において、軍需が高まってきて、さらには、前線基地としての存在感が増してきた。それが、経済復興に一役買い、曲がりなりにも戦後復興を手助けすることになったのだ。
「もはや戦後ではない」
 と呼ばれた時代を駆け抜け、一気に経済復興を遂げた。
「奇跡」
 と呼ばれた復興から、東京オリンピックにより、独立国としての立場を世界に公表し、小さな、浮き沈みを繰り返しながら、ピーク時には、GNPが世界のトップクラスにまで上り詰めた。
 それが昭和の奇跡であり、昭和の象徴でもあった。
 だが、その頃には、かつての日本を知っている人がどんどん減ってきた。
 復興途上の頃には、
「戦争を知らない子供たち」
 などという歌も流行った時代があった。
 ちょうど、ベトナム戦争の時期で、反戦ブームが世界を駆け巡っていた時期だった。
「アメリカの初の実質的な敗戦」
 という、衝撃的な事実から、世界は、少しずつ変わっていったのではないだろうか。
 日本では、昭和が終わり、バブルといわれる、
「最高の虚像の夢」
 が見られ、世界では、社会主義国が次々に崩壊していく。
 その象徴が、
「ソ連の崩壊」
 だったのだ。
 そんな時代を通り越してきたので、すでに戦後というものを知っている人はいたとしても、戦後における激動の時代を過ごしてくると、昔のイメージは夢の中でもない限り思い出すことはないだろう。
 なんといっても、昭和から平成にかけての、
「バブルの崩壊」
 は、ソ連の崩壊並みのショックがあり、社会生活というものを、根本から変わってしまった。
 それまでにはなかった言葉で一番センセーショナルのものは、
「リストラ」
 ではないだろうか。
英語でいう、
「リストラクチュアリング」
 の略であり、本来は、
「社会再生、再構築」
 という意味で、日本における、
「企業による経営合理化」
 ということである。
 しかし、本来は、事業規模や従業員を維持し、もしくは、増強したうえでの、企業再構築のはずだったのだが、効率化という意味で、採算の取れない部署や、人員の削減を行うことで、生き残りをかけるという意味で、
「人員カット」
 ということがその言葉の意味だというイメージとなり、リストラという言葉は、従業員にとっては、
「悪」
 というイメージで捉えられるようになってしまった。
 何しろバブルが弾ける前というのは、
「事業を拡大すれば儲かる」
 という、
「やればやるほど結果はついてくる」
 というものだった。
 それが、実態のない、泡のようなものだということに気づいた時点ではもう遅く、いったん回らなくなった歯車は、停止するだけではなく、社会全体を膠着状態にさせて、止まった時点で、崩壊していくものが、一気に壊れていった。
 それまで神話と言われた、
「銀行は絶対に潰れない」
 はずだったのに、経営破綻が起こり、世間が凍り付く事態に陥り、初めてバブルの崩壊を目の当たりにする人が多かったことだろう。
 企業は、どんどん事業拡大をして成功する。銀行は、そんな企業にどんどん融資をする。他の銀行に負けないというのが、最大の目的であり、事業の失敗など二の次になっていった。
 そのため、事業が一つうまくいかなくなると、銀行が貸し付けていた融資が凍り付いてしまう。すると、貸し付けが回収できなくなり、銀行側も、経営が危なくなり、そのために、今度は融資に慎重になる。
 社会では、企業がどんどん、資本が回らなくなり、少しでもお金を回そうとすると、今度は銀行に融資をしてもらわないと、いけないと感じた。だが、銀行も簡単にはお金を貸さない。何しろ、どんどん貸し付けたお金の回収が焦げ付いて、回収できなくなるからだ。