歴史の証明と、オカルト、SF系とのコラボ
そもそも、プロになるというのは、どういうことなのだろう? プロになったからといって何が変わるのかといえば、
「先生と呼ばれ、本を出すことを今までは夢だったものが、今度は義務になってしまう」
「いい本を書くのだ」
ということが自分の仕事であり、それ以外には何だというのか?
「社会貢献?」
そんな、わざとらしいものではない。
結局行き着く先は、
「自己満足」
であった。
といっても、
「自分で満足できないものを、人にも満足してもらおうなどというのは、おこがましいものだ」
といえるのではないだろうか。
やはり最終的には自己満足なのだ。だったら、趣味の世界で満足していれば、それでいいのではないかということになったとしても、それが一番自然な考えではないだろうか。
無料投稿サイトも、最初は結構賑やかだった。途中から、急に登録者数が増えた気がしたが、それは、自費出版社系の破綻から、流れてきた人たちだろう。
実際に被害に遭った人は、ほとんどが凝りてしまい、本を出すどころか、小説を書くということにまで、トラウマに感じるようになったのだろう、自費出版会社の罪は、実際に被害に遭った目に見える損害だけではなく、その人のやる気や、生きがいというものまで、粉砕してしまったということも、大きな罪なのではないだろうか。
人は、実害のあった部分しか見てはくれない。お金を失った部分は、しばらくはショックであろうが、そんなショックを通りこせば、もう一度、チャレンジしようと思えるのであれば、
「高い授業料だった」
と言って、いずれは、笑い話になることもあるかも知れないが、これがトラウマとなってしまうと、立ち直れなくなり、小説を二度と書けなくなってしまうかも知れない。
そこまで努力して、生きがいとなるまでに、自分の中でしみこませてきたものが、音を立てて崩れていくのだから、その罪は許されるものではない。
確かに前述で、
「騙される方も悪い」
という言い方をしたが、それはあくまでも、表から見た事実を客観的に判断した場合のことである。
当然、全員に言えることではないだろうし、人それぞれであるということは言えるだろう。
たとえとしては少し違うかも知れないが、ある時、できたて弁当のお店で、
「あまり長い間席を外すことができない」
という時間帯に、お弁当を頼みに行った時である。
できあがる時間などを考慮して、自分が食べたくなる時間を考えて、
「三十分後に取りに来ます」
ということで、お金を先払いにして、引き取り券をもらって、再度、三十分後に来店した。
その時、
「食材の中の、玉ねぎがキレちゃったんですが」
と言われ、こちらも納得がいかない。
「それだったら、最初から、ないならないと言えばいいじゃあないか」
というと、
「その時はあったんです」
と店員は言った。
「ん? それっておかしくないか? 俺が先に注文しているんだぞ。後から来た人に俺の分を作って渡したということか?」
「いいえ、あちらのを先に作りましたので」
という。
さすがに、業を煮やしたこちらも、引き下がるわけにはいかない。
「何言ってんだよ。こっちが先に注文して、お金まで渡してんだぞ。確かに俺のものは後から作るかも知れないが、本当なら俺のオーダーが先に通ってるんだ。予約と同じじゃないか。お前たちは、予約分の食材を、普通、別にしておかないか? それと同じことじゃないか。こっちはわざわざ、余裕持って時間をくれてやってるのに、本末転倒もいいところだ」
というと、相手は黙ってしまった。
こちらも腹が立つので、まくしたてる。
「じゃあ、こっちは商品はいらない。だから、金返せ」
というと、
「いや、一度、ご注文を受けたものですから」
と言い出す。
よほど、相手はバカなのかと思って、さらに怒りがこみあげてきて、
「そうだろう? お前たちは注文を受けたんだ。三十分前にな。だったら、後から来たやつに、食材が足りないことをいうのが、筋じゃないのか?」
というと、さすがに相手も、もう、何も言えない、
言えばいうほど、自分の立場が悪くなるのだ。なぜなら、向こうが、ちょっとしたミスだと思っているのと、
「謝れば許してくれる」
という甘い考えを持っているからだ。
やつらも、まさかここまで問題が大きくなると思っていなかっただろう。
しかも、こちらを完全にクレーマーとしてしか見ていない。
「俺たちは悪いことをしていない。ただ、ちょっとミスっただけだ」
と思っているのを、客の方は、見透かしているだけに、絶対に引き下がれない。
客に、落ち度はまったくないからである。
その時、結果がどうなったのか、たぶん、返金をしてもらえたのだろうが、この話を聞いた時、皆どう感じるだろうか?
「そんなちょっとしたことで、店の人間に食って掛かるなんて、大人げない」
と思うのか。
「店員の意識の低さが招いたトラブルを、店員が反省をすることもなく、ふてくされているのは問題だ」
と思うのか、それとも、
「順番というものの意識がない連中が、店で接客しているということが大きな間違いで、店長もよくこんな店員を雇っているものだ」
と考えるか、考え方はいろいろだ。
ただ一つ言えることは、ミスをしたのは店員であり、そのミスを客に押し付けようとしたのも店員。客側には一切の落ち度がないのは。話を聞いた人には、周知のことであろう。
だと、すれば、もし、店員を気の毒だと思う人がいるとすれば、
「クレーマーというのは、どんな場合においても、悪だ」
と思っている人なのか、
「ちょっとしたミスくらいなら誰だってするじゃないか。それを許せないというのは、なんと心の狭いことか」
と思っているかではないだろうか。
しかし、クレーマーにも、わざと因縁をつける輩もいるが、普段は非常におとなしい人だっているのだ。そんな人が怒り狂うのだから、それなりに理由はある。この場合のように、客側にまったく落ち度がない場合は時にそうである。
さらに、
「心が狭い」
と思っている連中は、きっと、自分もしょっちゅうミスをして、それを上司や先輩に怒れている人だろう。そんな連中は、自分がミスしたということを棚に上げ、反省をすることもなく、ただ怒られたことに対して、逆恨みをしているだけである。
確かにミスは誰にでもあるから、ミスしたことを怒るわけではない。客に迷惑をかけたということを意識していないから怒るのだ。
「何があっても、自分たちは客商売なのだから、客が理不尽なことを言っても説得を試みるくらいでないといけない。ましてや、自分に非があるのであれば、まずは、何があっても、謝罪して、許しを請う必要があるのだ」
というのが、先輩や上司の考え方で、それを後輩に教えるのが、彼らの仕事の一つでもあるのだ。
だから、この場合の店員は、すべてにおいて悪い。客に落ち度がないのであれば、店員は客に対して、お金を払わせるべきではない。もし、そこで店が損をすることになるのであれば、その店員が、自分のお金を出してでも、賠償するべきなのだ。
作品名:歴史の証明と、オカルト、SF系とのコラボ 作家名:森本晃次