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歴史の証明と、オカルト、SF系とのコラボ

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「そりゃあ、いるだろう。絵だってそうじゃないか。ピカソのように、何を描いているのか分からなかったり、岡本太郎のように、芸術が爆発だっていう人だっているんだ。だから、優れた芸術家には、変わり者が多いといわれるゆえんではないかな?」
 というのだ。
「やっぱり、俺は芸術家なんかじゃないんだろうな? でも、芸術家に憧れているというのは間違いないと思うんだ」
 というと、
「芸術家って、自分で芸術家だと思い込む人と、芸術家ではないと思っている人の二種類いるんだろうな。その違いが、ジャンルの違いにもなるんだろうし、同じ芸術家でも、相手に敬意を表するだけの相手になりうるかどうか、見極めようとしているのではないだろうか?」
 それを聞いた時、自費出版に群がっていた、小説家になろうなんて、おこがましい連中ばかりだったと思っていたことを思い出した。
 彼が書く話は、小説というか、論文のような話が多かった。自分の説をSFチックにっしてみたり、学説のようなものを並べておいて、それを最後にホラーっぽくしてみたり、そんな小説が多かったのだ。
 発表は、無料投稿サイトばかりだった。皆が、まだ、自費出版系の会社を気にしていた頃だったので、サイトでの発表は、それほどいなかった。
 もちろん、草薙も紙媒体の出版を望んでいた。一番強く望んでいたといってもいいだろう。
 しかし、かつての出版界が、素人に対して、冷酷だった時代から、ちゃんと評価するという触れ込みで、一躍ブームを巻き起こした自費出版系の会社。皆が、救世主のように思っていたことだろう。
 しかし、人から聞いた話ではあったが、まさか、
「芸能人か、犯罪者でもない限り、企画出版はありえない」
 と、言い切ったのだから、よほど、自費出版社系の会社がブラックであり、ひどいものだったのかということを考えさせられる。
 しかも、ちょっと考えれば分かりそうな理屈を誰も何も言わなかったのは、
「分かってはいるが、自分から言い出すのが怖かった」
 という人も一部にはいるだろう。
 しかし、それを言えなかったのは、風団意識と、自分から言い出すことで、まわりから、何を言われるか分からないという感覚もあったに違いない。苛めを受けている人を庇おうとすると、今度は自分がターゲットになってしまうという理屈と一緒である。
 だから、不本意ではあるが、無料投稿サイトに掲載することにしたのだ。
 その頃には、
「本を出したい」
 という気持ちも半分は薄れていた。
 小説家になりたいなどという気持ちも完全になかった。将来、研究社と、二足の草鞋も考えたが、自費出版系のずさんな経営を見ていたり、有名出版社は、今まで通り、素人には、冷酷であるのは変わりない。
 もし、新人賞を取って、作品を発表するようになってしまうと、もう、お金が絡むということで、自分が好きなように架けなくなってしまうだろう。
 まずは、企画を考えて、編集者の人に、
「こんな小説を書きたい」
 あるいは、出版社から、
「こういう小説を書いてほしい」
 という依頼があってから編集者の人と、企画を組み立てる。
 そして、編集会議に掛けられて、そこで、連載できるかどうかが決まるのだ。
 そこで初めて、執筆になるのだが。そこからは、完全に出版社のいいなりで、決まった締め切りまでに書き上げ化ければいけないというノルマがかかり、テレビなどにあるように、編集者の監視の下、缶詰になってしまうという状態である。
 テレビを見ている限り、あんな状態にはなりたくない。いくら、
「プロなんだから」
 と言われても、自分の書きたいように書くこともできなくなってしまうので、そんな状態で、執筆をしても楽しくもなんともない。まわりからは、
「先生」
 と言われ、おだてられる立場ではあるが、実際には、出版社の、
「奴隷」
 のごとくである。
「そんなことなら、趣味で書いている方がよほど気が楽だ」
 というもので、そもそも、先生と言われたいから小説を書いているわけではない。
「自分が書きたいものを、自由に書ける」
 というのが、そもそもの執筆の基本であり、書きたいものが書けないのであれば、何もプロになる必要もない。まだ、
「あの人、素人なのに、なかなかいい小説を書いているわ」
 と言われる方がよほどいい。
 しょせん、印税といっても、そんなに出るわけでもない。
「夢の印税生活」
 などと言っていられる小説家が果たしてどれだけいるだろう?
 いつもテレビ化され、二時間サスペンスなどの原作で名前をよく見ていたとしても、そんなにウハウハの印税が入っているわけではないだろう。それよりも、毎回の締め切りに苦しめられ、病んでしまった精神をいつまでもたせられるかという方が、大きな問題なのではないだろうか。

                 どっちが悪?

 自費出版社系の祭儀商法事件がなければ、ひょっとすると、まだ、
「二足のわらじ」
 を考えていたかも知れない。
 詐欺商法があり、小説家への道が甘くないことが分かると、実際に小説家になることの厳しさは、分かっていたつもりだったが、それを続けていくことの厳しさを初めて知った気がした。
 それは、
「いい小説を生み出す」
 というだけのことではなく、
「自分を捨ててまで、出版社の奴隷のごとく、プロとして書き続けなければいけない」
 ということであった。
 それでも、プロにありたいという人は、小説家の道を進めばいいのだろうが、どうしても、妥協ができない、相手の思い通りにできないという人には、一生の苦しみになるのだ。
「いい小説を生む出す力」
 というものがあったとしても、考え方がついてこなければ、精神的に病んでしまう。
 もう一つ言えることは、出版社の方としても、本当に自分たちの意思で小説家に書かせているかということである。
 出版社というのは会社であり、編集者はその社員だ。彼らもプロである以上、
「いい小説を作る」
 というだけではいけないのだ。
「売れる小説」
 でなければいけない。
 それが、自分の意思に反するものであっても、売れるものを作らないと、会社員としてはダメなのだ。
 そういう意味で、彼らにだってジレンマはある。ひょっとすると、作家よりも強い人もいるかも知れない。
 そんな時、作家が、自分の立場だけで文句を言ったり、しょっちゅう逃げ出したりしたら、彼らの立場はどうなるだろう。
「作家というのは、わがままなものだ」
 ということで、その相手をさせられ、しかも、いい作品を書き上げてもらうために、彼らは、
「作家の奴隷」
 になるのだ。
 作家が、出版社の奴隷になり、その作家の奴隷に出版社の編集者がなる。何とも、矛盾しているように見えるが、これが現実だ。
 詐欺まがいのやり口で、数年で破産していった、
「自費出版系の会社」
 だったが、確かに彼らのやり口はひどいものだが、彼らが破産して消えていったからと言って、出版社の闇が消えたわけではない。
 前とまったく変わらず、小説家になるための門戸は、ほとんどないといってもいいだろう。
 小説家になりたいという人も、ほとんどいなくなったことだろう。