歴史の証明と、オカルト、SF系とのコラボ
そんな人であれば、自費出版社系の会社に騙されるようなことはなかっただろうが、騙されないまでも、自費出版系の会社を自分なりに利用しようと思っていた人はいるだろう。
「普通に有名出版社の新人賞などに応募しても、結果しか分からない。せめて、一次、二次、最終審査を通ったか、通らなかったか、つまり通過者に名前がなければ、その時点で落選だったというだけのことが分かるくらいだ、
「何回応募しても、一次審査にも通らないのであれば、小説家なんか諦めればいいんだ」
ということが分かるくらいだった。
しかし、自費出版系の会社は、曲がりなりにも小説を読んでくれて批評をしてくれている。ただ、その内容に信ぴょう性を期待するのはいけないのかも知れないが、少なくとも相手はこちらに興味を持たせなければいけないので、それなりに真剣に評価をしているはずだ。
特に、ひどい作品であっても、少しでもいいところを見つけて、褒めることもしなければならないというのは苦痛だったかも知れないが、その姿勢が嬉しかったのは間違いない。
ただ、彼らとしても、最初から騙すということを基本に会社を設立したわけでもないだろう。
当然、
「持ち込んでも、破って捨てられるのを最近の素人作家は知っているだろうから、原稿を読んで批評してくれるというだけで、感激するに違いない」
と思っていたことだろう。
ひょっとすると、批評をした人たちの中には、以前、自分たちも同じ目に遭ったことがあったのかも知れない。だから、本当なら、少しでも小説家になろうとしている人を助けてあげようと思っているのかも知れない。
だが、そんな優しい人ばかりではないだろう。自分がなれなかった小説家に、主婦や学生の遊びとしてしか考えていないような連中の、見るに堪えないような小説を見て、評価させられる立場になってみろと言いたい人もいるだろう。
さらに、ちやほやされるのも、いい気分はしないはずだ。だから、自分たちがそんなバカな連中を騙すことに、これっぽっちも罪悪感など抱いていないと感じる人もいるに違いない。
知り合いと電話でキレたという担当の人も、心の中では、
「俺がなれなかった小説家に、お前たちのような遊び心しかない連中になれるわけはない」
という思いと、そんな相手を騙して、生活をしているということをジレンマに感じ、その思いが、苛立ちとなってしまっていることを本人は分かっているのだろうか。
ブームとして走りすぎた後に残ったのは、何だったのだろうか?
憎悪が残ったというのは分かるのだが、では誰に対しての怒りなのか、冷静に考えると、分からなくなってくる。
もちろん、騙したわけだから、自費出版社系の会社が悪いのは当然のことだが、最初から悪かったわけではない。少なくとも、儲けよりも、小説家を目指す人を助けたいという気持ちがあったのは事実だろう。
それが、バブルが弾けたということでの、趣味やサブカルチャーへの時間ができたこと、そして。それまでの出版業界の冷酷な扱い、そんなことから、
「うまく考えられたはずの商法」
だったはずなのに、結果は、本当に飛散なことであった。
そもそも、実力もないのに、身の程を知らずに小説家になりたいなどという、愚かな連中が山ほどいたのが問題だったのではないだろうか。
努力もせず、ちょっと書いてみただけで、褒めてくれたことでおだてに乗って、
「今は、出版社と共同で出版になったが、次はこれが売れたら、出版社が、
「どうぞうちから出版してください」
と三つ指ついてお願いにくるというような大それた夢を見ていたことだろう。
それを思うと、
「一番悪いのは、身の程を知らずに、ブームに乗っかって、小説家になれると自惚れた人間が、ここまでたくさんいた」
ということではないだろうか。
出版社の方も、そんなバカが多かったせいで、想像以上に潤ってしまい、身の引きどころを誤ったのだ。
真面目に小説を書いている人もいただろうが、バカな連中の中に入ってしまったため、本来であれば、逸材発掘に一役買えるはずだったのに、それどころか、底なし沼に溺れさせる結果になってしまったのだ。
草薙は、自費出版系の会社には見向きもしなかった。結構早い段階で、
「怪しい」
と思っていたからで、自分がさすがに小説家になれるなどとも思っていないし、趣味の世界でいいと思っていた。
本当は、本が出したいという気持ちはあった。マンガを描きたいという思いはなかったが、小説に関しては本にしたいと思っていた。専門書と違い、文庫本がよかったのだ。気軽に買える分、厚みがあるというだけで、すごい本だという感覚になる。
優雅な趣味という雑誌があり、そこの表紙を飾っていたのが、植物園のような高貴な庭に、白い椅子とテーブルが置かれていて、テーブルの上には、紅茶のカップが二つあり、そのうちの一つには、読みかけの本にしおりが挟まれた形で置かれていた。
それを見ると、一人は高貴なお嬢様で、いつも、このベランダで、本を読んでいるということを想像させた。もう一人は誰なのか? 本を読んでいる人は女性だと思うと、もう一人は本を読むような高貴なところのない男なのではないかと思う。
「どうせ、そのお嬢さんに言い寄ってきた、自称、どこかの王子か何かだろう」
と思うのだが、お嬢様はそんなことは一切お構いなしで、自分は自分の人生を歩むというだけのことに、感動も何も覚えている様子はなかった。
そのうちに、彼女の召使であるメイドがやってきて、男は、メイドにもびっくりしてしまった。
「ここは、なんとメイドにまでこのような高貴な女性がいるというのか」
と感じ、自分の中に葛藤を覚えたが、さすがに、自分ではどうにもならないと感じたのか、その場所から去っていてしまったようだ。
そんな妄想を抱いていた。
そう感じると、恋愛小説なのか、それとも、ミステリーなのか、どちらかが思い浮かんできそうな気がするのだった。
「だが、この男が抱いた憎悪の度合いによって、ホラーにもなりかねない」
と感じているが、実は、ホラーはあまり好きではなかった。
草薙が好きなのは、ホラーといっても、奇妙な話であり、恋愛とは真逆に感じられる話として、ホラー系の話を思い浮かべることもあったのだ。
どうしても、自分の話が、論文のように理路整然とした話にならないことが嫌に感じた時期もあった。
しかし、友達が書いたという小説を見せてもらったが、その話の内容は、まったく分からなかった。
「これのどこがおもしろいんだ?」
と聞くと、
「俺にも分からないんだけど、読んでいる人間に疑問を感じさせたら、俺は作者の勝ちだと思っているんだ」
というではないか。
「作者が、自分の作品のどこがおもしろいか? と思っているような話を、他の人がおもしろいといってみてくれるだろうか?」
という。
「それは分からないさ。小説なんて、最後、何を感じるかということが問題なんだからな」
というではないか。
「結末が分からないような小説を、感動する人っているのかい?」
と聞くと、
作品名:歴史の証明と、オカルト、SF系とのコラボ 作家名:森本晃次