歴史の証明と、オカルト、SF系とのコラボ
と思っていたからで、集中して書いているということを自覚できるようになると、小説を最後まで書けるようになった。
それはやはり、筆を休めないで、頭についてこさせようということができるようになったからであろう。
曲がりなりにも最後まで書けるようになって、やっとハウツー本を読んでみると、そこには、
「とにかく、最後まで書きあげることが、第一段階では必要なことだ」
と書かれていた。
まさしく自分の考えと、完全に一致している。
それを思うと、小説を書きあげることが、自分にとっての正解であったということが嬉しかった。
これは、小説だけに限らず、研究や論文にも言えることで、書きあげることは、
「決して諦めない」
という、研究に対しての自分の姿勢と同じことだと考えていた。
小説に関しては、まだずぶの素人であるが、研究に関しては、すでにプロだという意識を持って臨まなければいけないと思うようになっていた。
そこが、実益と趣味の違いである。
小説を書けるようになると、どこまでできるようになると満足するのかというのを感が合えてみたが、
「おそらく、満足なんかできないんだろうな」
と思うのだった。
満足できないというよりも、満足したくないと思っているのかも知れない。満足してしまうと、そこで終わりだと思ったからだ。
研究であれば、満足が行っても、次が待っている。何しろ研究は自分の生活の糧であり、やめるわけにはいかない大切なことだという意識があるからだった。
だが、大学生の頃は、小説を書く方が、自分にとっては、難しいことであった。
その理由の一つに、
「自分で満足をしてはいけない」
という課題があったからだ。
「満足をしてしまってはいけないが、その時々で、満足に匹敵するような喜びを感じないといけない」
と思った。
満足してしまうと、小説家への道も考えなければいけなくなり、研究者としての道とを天秤に架けなければいけなくなる。それは、自分にとって、十字架を背負ってしまうことになる気がしていたのだ。
「あくまで、お、小説は本にすることができたとしても、趣味の世界でしかない」
と思っていた。
今のところ、新人賞を受賞して、その作品だけが出版化されていて、他の新人賞受賞者が、次回作で苦しんでいるのと同じような気持になっていたが、草薙としては、
「これからもずっと続けていかなければいけない職ではない」
と思っていた。
ここから先は趣味であってもいいのだから、出版社に縛られることなく、書きたいものを書いていくだけだと思っていて、そのことは出版社の自分を担当してくれている編集者にも話していた。
しかし、出版社としては、
「売れる小説」
というものを追い求めている。
確かに小説が素晴らしいものでなければ、論外であるが、同じようなレベルの作品を二人の作者が書いてきたとすると、作品に甲乙がつけられないとすれば、出版社が選ぶのは、
「作家の知名度」
である。
これは、人から聞いた話だが、その人も一度受賞経験のある人だったが、
「受賞前に、他の出版社に原稿を持ち込んだ時、俺の作品を、共同出版で出さないかと絶えず言ってきた人がいたんだ」
というのは、当時、
「自費出版社系」
という新しいやり方が出版界に出てきた。
とにかく原稿を送れば、評価して、出版のパターンを提案してくれるというものだ。
協力出版とは、
「出版社と著者がそれぞれお金を出し合って、本を出す」
というやり方で、画期的だといわれた。
しかし、ほとんどが共同出版で、皆は、出版社が普通に認めてくれて、全額出してくれる企画出版を目指して書いているのだが、中には協力出版で妥協し、編集者の口車に乗って、お金を出してしまう人が多かった。
それだけ、出版社に信頼を置いていたのだろうが、すぐに化けの皮が剥がれ、最後には訴訟問題から倒産、という最悪の形を描いていったのだった。
その知り合いは、協力出版を何度も言われていて、そのうちに担当者がキレたのだという。
「今までは私の権限であなたの作品を編集会議に図って何とか、協力出版で皆を納得させた」
という、いかにも胡散臭いことをいうではないか。
最初は、
「あなたの作品は、新人賞を受賞する人の作品よりも出来上がっている」
などとおだてておいてである。
しかも、
「俺様の権限で」
などというところが、いかにも上から目線で、胡散臭さ満載である。
そして、こちらが、
「それでも、自分は企画出版を目指す」
というと、完全に相手は本音をぶちまけたという。
「企画出版などというのは、百パーセントありえない。もし、出版社が企画出版をすることができるとすれば、それは、知名度の高い人、つまりは、芸能人か、犯罪者でしかないんだ」
というではないか。
その人はそれを聞いて、いきなり電話を切ったという。
その出版社は、最後には生き残ったが、他の出版社は皆潰れて行った。これは業界の噂だが、その出版社が、訴訟を起こした他の出版社から本を出した連中に、自分の会社がやっているようなことを、もちろん、自分の会社はやっていないと言って、内情をぶちまけて、訴訟になるように裏で動いていたという話があるくらいだった。
ウソか本当か分からないが、限りなく本当に近いといってもいいだろう。
それまでは、
「本を出したいと思っている人が、こんなにもいたのか?」
と思っていたが、これらの事件で、ことごとく出版社が潰れていったことで、結局昔からの夢だったという人しか残っていない。
要するに、そんなブームに引っかかった連中も連中だと、言ってもいいだろう。小説を書きたいと思うようになったのは、バブルが弾けて、残業もなくなり、時間を趣味に使う人が増えたことで、このような悪徳出版社が台頭してくることになったのだ。
そういう意味で、他の趣味を考えていた人たちも、これと似たような被害にあった趣味もあったのではないかと思うのだった。
何となく、この業界が胡散臭いことは、草薙には分かっていたが、ここまで、自分以外の人が嵌ってしまうとは思ってもみなかった。確かに今までにないコンセプトで、原稿を持っている人間には優しく見える。実にうまいやり方だった。
昔であれば、小説家になりたい、あるいは原稿を書いたとすれば、小説家になりたいなどと考える人は、有名出版社が応募している文学賞か、新人賞に応募して入選するか、あるいは、持ち込み原稿を直接持って行って、見てもらうかくらいしかなかった。郵送というのもあったかも知れないが、遠距離でもない限りは失礼にあたるということで、ほとんどは持ち込んで、直接編集者の人に手渡しというのが、普通だろう。
ただ、以前は、新人賞や文学賞といっても、実に少ないもので、出版社系であれば、年間数件あればいい方だっただろう。今のように、毎月数件の応募があったりはしない。今では同じ出版社が、ジャンルごとに応募しているくらいだからである。
作品名:歴史の証明と、オカルト、SF系とのコラボ 作家名:森本晃次