歴史の証明と、オカルト、SF系とのコラボ
というわけではなく、人間の中にも、差別や階級が存在し、支配したりされたりすることが存在する。それこそ、最小単位は個人でしかない。
実際に殺しあわなくとも、一般企業や、団体が出来上がれば、そこに統制する側される側が存在する。そうしないと、秩序を保つことができず、社会を回していくことができないからだ。
そのためには、少々であれば、理不尽なこともしょうがないといわれる。
「大勢のために、少数派は切り捨てる」
という民主主義の考えが台頭してくるわけだ。
それが貧富の差を呼び、自由がゆえに、リスクも大きいということで、生まれた社会主義であったが、社会主義も結局は秩序を保つためには、支配階級による、
「恐怖政治」
が存在し、それが独裁者を生むという結果に結びついてくるのだった。
どちらも一長一短はあるのだろうが、どうして、
「いいとこどり」
ができないかというと、結局は支配する側のエゴで世の中が動いているというわけだ。
神様を創造しないと、自分たちの至上主義を証明することができないということが、それこそ証明している世界ではないだろうか。
「人間至上主義」
それこそが、ひょっとすると、神だけではなく、宇宙というものを創造し、ありもしないものをでっち上げたというのは、大げさだろうか。
ただ、
「ありもしないこと」
というのは、真実という意味で、事実という意味ではないということを、ここで記しておくことにしよう。
趣味の小説
「人間至上主義」
というものを考えていると、前述の時間軸で動いていると、その現在が次第に、打ち寄せる波に似ているということに触れ、その後に、
「神の存在意義」
にまで言及したが、これを宇宙に置き換えることもできる。
「宇宙というものの限界を知るには、どうすればいいのか?」
という発想があるが、それを証明するのが、
「遠くにある星を研究することだ」
という。
これは何が根拠なのか分からないが、二十世紀に入って研究されたことの中に、
「ビックバンという大爆発によって、今の宇宙が出来上がった」
という説である。
このビックバンが起こったのは、今から138憶年前だという。
ということになれば、少しずつ宇宙は膨張しているといっても、その138憶年前に光が地球に到達していたとすれば、少なくとも、138憶光年のところに宇宙が存在していたということになる。それが証明されると、
「宇宙が無限かも知れない」
という可能性も出てくるわけで、逆に証明されなければ、宇宙には限界があり、ビックバンという発想をそこからどう考えるかということに発展できるのではないかということである。
ただ、
「宇宙の外にも、別の宇宙が存在しているのではないか?」
という考え方もあり、それが、さらに、
「宇宙が多重に存在している」
などという考えに至れば、果てという概念が最初からなかったかのようにも思えるのではないか。
この考え方が、
「至上主義」
ということをからきているかも知れないと思うと、面白い。
至上主義を正当化するために、ここでも、神に近い何かを創造しているのではないだろうか?
星座にそもそも、地球上の神話を連想したのも、地球を中心に宇宙が動いているということへの証明のようではないか。
ということは、昔にもガリレオが考えたかのような地動説があり、昔は昔で、その説の存在すら、永久に抹殺するようなことがあったのではないだろうか。
そのことを、中世の学者や政治家は知っていて、地動説を唱えるガリレオの存在が邪魔になり投獄したのではないかという考えは乱暴であろうか?
やはり、古代にあった天動説を正当化させるために、神は作られた。あくまでも、人間至上主義のためであり、さらに奴隷や差別を正当化させるために、神が存在したとすれば、神話は完全に神話の域を出ないことになる。
ローマ神話には、ギリシャ神話と同じようなものがあり、それをいかにも違うものとして扱っている。
それは、それぞれの民族に、
「民族至上主義」
が存在し、神をその正当性に使うことは、どこの国もやっていることで、それを正当化させるため、自分たちだけの解釈であったかのように、民衆に教え込ませる必要があることから、地域ごとに少しずつ内容が違っている。
日本にだって、似たような話が無数に残っていて、最終的に同じもののような形で中世に編纂されたのが、
「おとぎ草子」
である。
そういう意味で、童話、寓話と呼ばれるものは、ヨーロッパを中心にいくつも残っていて、それぞれに似た話があるではないか。
「見てはいけない」
などという、
「見るなのタブー」
も、どこの国のおとぎ話には残っているというのが、一つの証拠ではないだろうか。
多重に存在する宇宙で、
「生物が存在する星」
というものがあるのかということを調べているのが、天文学者であるが、今の科学では、せめて火星に到達できるかどうかというくらいにしか、科学は発展していない。
遠くを見ることはできても、実際に行くことができないのだから、理論的にも解明できないことがかなりあるに違いない。
ただ、想像だけはできるというものだ。
「宇宙の外にも宇宙がある」
ということで、草壁は、その宇宙にも、生命が存在していると思っている。
もちろん、証明もできないので、本当だとも、ウソだとも断定できないことなので、想像することは自由である。そんなことなので、草壁は、実際の研究とは別に、趣味の世界ではあるが、高校生の頃から小説を書いていた。
それは、フィクションであり、ジャンルとしては、SFはもちろんのこと、ミステリーからホラーまで、いろいろ網羅したものであった。
もちろん、論文も別に発表をしていて、そっちらが本職なのだが、大学時代に入ると、小説の方も、出版社が注目するようになっていた。
最初は趣味として書いていたので、誰にも言わなかったが、研究員の同期の人間に喋ってしまったことで、
「せっかく書いたんだから、新人賞にでも応募してみればいい。どうせダメだとしても、応募するのは、どうせただなんだから、気楽な気持ちで応募すればいいだけじゃないか」
と言われた。
「それもそうですね」
と気楽な気持ちで応募すると、なんと、受賞にまでこぎつけたのだ。
その話は、ミステリーで、科学に関係のある言葉をふんだんに使った話だったのが、
「こんな作品、なかなかない」
ということで、受賞となった。
しかも、受賞者が、大学でも有望な科学者のタマゴだということで、物理学界の方でも有名になった。
図らずも、
「どちらかを選ばなければいけない」
ということになり、最初からの目標であった学者を目指すことにして、小説は今まで通り、趣味で書くということになったのだ。
ただ、編集長も簡単には諦められないらしく、
「できればでいいので、できた作品を我々に見せてくれることができるのであれば、教えてほしい。できればまた本にしたいと思うような内容であれば、本にしたいと思うんだ」
と言ってくれた。
普通ならこんなことはない。
作品名:歴史の証明と、オカルト、SF系とのコラボ 作家名:森本晃次