必要悪な死神
もちろん、そんなことを考えるようになったのは、大人になってからのことだった。子供の頃、特に思春期には、たえずいつも何かを考えていて、基本的には自分中心の考え方なのだが、考えれば考えるほど、
「自分中心に考えるのが、子供だといわれるゆえんなのではないか?」
と思うようになると、そのうちに、本当に異性がきになるようになってくると、今度は、自分のことよりも、好きになったその人のことばかりを考えている自分に気づくのだ。
無意識に考えていたようで、その感覚は。
「潜在意識のようなものではないか?」
と感じるようになっていった。
潜在意識というものが、本能的なもので、一種の無意識なものだということを感じたのはその頃からで、その時になってやっと、
「自分のことよりも、他人のことを気にするようになるというのは、こういうことをいうんだ」
と、感じたのだ。
相手は女の子で、小学生の頃に好きだった女の子と雰囲気が似ていた。
「あの子と雰囲気が似ていたから好きになった」
ということに間違いはないようだったのだが、違っているのは、
「自分の好みというのが最初からあって、好きになる人を自分で認識しているのだ」
ということに変わりはないのだが、
「子供の頃は、顔を見て、直観で好きだと感じたのだったが、思春期を迎えてからの自分は、まず顔を見て、それから性格を判断し、それから好きになるという一段階を踏まえている」
ということだった。
だが、子供の頃に、髪を切ってきたことで、遠ざけるようになったのは、髪を切っていたその顔が、好きになれなかった理由として、
「性格的に合わないと思ったからではないか?」
と考えたが、その理由は、まるで最初から思春期になってから出てくるはずの感覚が、子供の頃にあったということである。
潜在意識として、潜んでいる感覚は、
「大人であっても、子供であっても、関係ない。ただ、思春期を通して感じるようになるのは、その理屈を理解できるようになるから、分かったようなつもりになるのではないだろうか?」
ということだと、大人になって感じるようになった。
その頃には、相手も自分を本当に好きになってくれる人が見つかったのであり、こちらも同じ気持ちで結びつくことで、
「恋愛が成就した」
といえるだろう。
ただ、それはあくまでも恋愛が成就しただけのことでしかないというのも、真実だったのだ。
塚原が苛められなくなってから少しして、今度は別のやつが、また他のやつから苛められるようになった。
それは塚原を苛めていた主犯ではなく、塚原を苛めている主犯に隠れて、
「俺も苛めてやれ」
というようなやつだった。
それくらいのことは、塚原にも分かっていて。自分を苛めていたやつに対して恨みはなかったが、まるで火事場泥棒のように、人の後ろに隠れて、憂さを晴らしているような、卑劣なやつのことは、すぐに分かるというもので、そんな卑劣なやつに対して、怒りがこみあげてくるのだった。
塚原が苛められなくなったが、今度は他のやつがすぐに別のやつを苛めるようになった。また今回も、その卑劣なやつは、主犯の陰に隠れて、苛めを単純に楽しんでいるのだった。
「どうやら、あいつが、苛めを陽動しているようだな」
ということが、まわりから見ていると分かった。
塚原は、ここで黙っていれば、今まで見過ごしてきた連中と同じで、卑劣な人間になってしまうと感じたが、しかし、ここで自分がまた表に出ていくと、苛めの対象が、また自分に戻るだけで、それこそ本末転倒もいいところではないだろうか。
それを思うと、何もできなくなってしまう。
自分と苛めていたやつとは、苛めがなくなってから、仲良くなった。どうやら、誤解だったということが分かってもらえたようで、
「すまなかったな」
と言ってもらえると、その瞬間に、苛めがあったなどということすら忘れるくらいだった。
「苛めなんて、本当はなければ、それに越したことはないんだ」
と、その友達がいったが、
「じゃあ、どうして、俺を苛めることになったんだい?」
と聞くと、
「あれは仕方がないのさ」
と言って、自分も彼女のことが好きだったのだというのだ。
「そうだったんだ。悪いことをしたね。でも、俺も、どうしてあんな気持ちになったのか分からなかったんだよ。自分のイメージと違うからと言って、話をしなくなるというのは、やっぱりまずいよな」
と塚原がいうと、
「俺も同じ立場になったら、どうなんだろう? って思うんだ。やっぱり、相手に思わせぶりな態度はできないと思うだろうし、自分の気持ちにもウソはつけないって思ってしまうんじゃないかな?」
という。
「苛めの理由なんて、意外と些細なことなのかも知れないな」
という塚原に、
「うーん、苛められている方とすれば、訳が分からないよな。何しろ苛めている方にも、正義がどこにあるのかすら分からないんだから」
というのだった。
塚原は、友達と仲直りをしたのが、六年生になってすぐくらいだった。
その時。友達から、
「田舎のおばあちゃんのところに遊びに行くんだけど、塚原君もいかないかい?」
と誘われた。
家でその話をすると、
「いいじゃないか、せっかくできた友達から誘われたんだろう? 小学生の最後にいい思い出を作ってくればいい」
というのだった。
両親は、塚原が学校で苛めに遭っていたことを知らない。塚原が必死で黙っていたこともあったが、両親は結構楽天的なところがあったので、まさか子供が苛めに遭っているなど、想像もしなかったのだろう。
もっとも、塚原は、それで助かったとも思ったが、そんな楽天的な両親が嫌いだった。
「なんで、そんなに楽しめるんだ?」
と、世の中を楽しんでいるようにしか見えない両親を見ていて、羨ましいというよりも、苛立ちを覚えるといった方がいいだろう。
友達の田舎は、まだ村だったのだ。本当に田舎で、舗装もしていない道が存在したり、バスは、二時間に一本くらいしかないところだった。
ほとんどが農家で、街にスーパーのようなものもなく、まだ昭和だったこともあり、コンビニなど、都会にしかなかった頃だった。
学校も、小学校と中学校が一緒になっていて。三学年で十人もいないくらいなので、三学年で担任の先生は一人というくらいだった。
まるで分校といってもいいようなところで、木造に白ペンキで塗られた校舎が、いかにも田舎を表していた。
おばあちゃんの家というのは、結構大きなところで、庭には蔵もあり、おじさんという人は、トラクターに乗って、畑仕事に毎日精を出していたのだった。
おばあちゃんやおばさんというのは、畑仕事を手伝いながら、内職をしていた。基本的には、力仕事をすることはない。家の仕事もしなければならないので、片手間でできるような内職がちょうどよかったのだ。
だが、その頃になると、村の若い連中は、学校を卒業すると、都会に出てしまう。村に高校はないので、進学するには、どうしても、街の高校に通う必要があった。街の高校で、街の友達と仲良くなると、
「都会に出てみたい」
と思うのは、誰もが必然の感情のようだった。
「ずっと田舎で暮らしたい」