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必要悪な死神

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 ということであり、それによって、まるで螺旋階段を下りたり、グルグル回る滑り台を下りて行く時のような、目が回りそうな感覚に陥ることで、底なし沼に嵌まり込んで抜けられなくなる自分を想像し、恐ろしくなるのだった。
 そんな状況を、
「負のスパイラル」
 というのだろうか?
 塚原は、苛めを受けるうちに、次第に何もかもがいやになってくるのだった。
 それでも、そんな毎日を過ごしていると、慣れてくるというのか、何も考えないという気持ちになっていった。
――あの時、俺は何も考えないようにしていたんだ――
 と後になって思い出そうとするのだが、そもそも、思い出しているという行為は、
「何も考えていなかった」
 という考えに矛盾するものではないだろうか。
 思い出すということは、忘れていたわけではないから思い出すわけではない。忘れようとしたわけではないから、思い出そうと思うのだ。つまり。忘れていたという意識があったとしても、潜在的な意識でしかないものではなく、ハッキリと意志というものを持ったものでなければいけないということだ。
 では、同じ音であっても、若干意味が違う、
「意思と、意志」
 では、どう違うというのだろうか?
 言葉が似ていて、しかも、音が同じであることを考えると、実に曖昧なものに見えてくる気がするが、この二つには、れっきとした意味があるのだ。
 そもそも、意味もないのに、二つの言葉が存在するというのもおかしなことで、混同して使っていたり、しょせんは同じものだと考えて使っている人もいるだろう。
 まず、
「意思」
 というものであるが、これは、
「思考、気持ちの意味」
 というものであり、考えることが、一番の主旨だといえるだろう。
 では、
「意志」
 の場合は、どういうことかというと、
「考えたことを目標に据えて、その目標に向かって、どのように達成すればいいかという行動を伴い、考えたことの次に起こすアクションのことだ」
 といえるのではないだろうか。
 こうやって考えると、意思というものは、考えることがすべてであり、潜在意識も、一種の意思になるのではないだろうか。その裏付けとして考えられるのは、
「潜在意識を本能のようなものだ」
 と考えるとすれば、それが、証明になるのではないかと考えることである。
 そして、意志というのは、言葉に、
「志す」
 というものがあり、目標という意思の結果に向かって進んでいく過程というものが、意志だと考えると、分かりやすいのではないだろうか。
 しかも、意志を持って進んでいる間にも、さまざまなことを考えてしまう。それが思考であり、その中には、意思というものが存在しているとすれば、
「意思が束になったものが、意志として存在している」
 と考えるのは、無理があることであろうか?
 確かに小学生の頃、苛められていたことで、
「こんな思いをするくらいなら、学校なんか行きたくない」
 と思ったものだが、それでも。学校を休むことはなかった。
「学校を休むと、どうなるか?」
 ということが頭に浮かんでくる。
 まず、親から怒られるのは必定であり、それによって、それまで楽しかった家での暮らしまでもが、ぎこちなくなってくる。せっかく学校での辛さを、家で紛らわせようと思っていたのに、それができなくなるのはきつかった。
 だが、果たしてそうなのだろうか? 学校での嫌な思いを引きずって家庭にいても、何が楽しいというのか、自分の本心を隠してまで家で笑っているのは、まるで皆を騙しているようで嫌だった。
 一日だけだったら、それでよかったのかも知れないが、それが毎日になってきて、そして、
「これが、半永久的に続くのだ」
 と思うと、辛さが最高潮になり、一度は、
「なるべく考えないようにしよう」
 と思うようになり、そう思えてくると、自分が、考えることから逃げていると感じるのだ。
 そこには、意志はなく、ただ、意思が存在しているだけだったのだ。
 そんないじめられっ子だった塚原だが、苛められている時に感じたのは。
「どうして、周りは誰も助けようとしてくれないのだ?」
 ということであった。
 どうしても、助けてほしいという思いはなかったのだが、それでも、一人くらいは庇ってくれようとしてもいいものではないか。そのことを考えていたのだが、本当に助けてくれない理由をその時は分かっていなかった。
 もっとも、最初は助けてほしいなどと思ったことはなかった。むしろ、
「放っておいてほしい」
 とすら感じたほどで、その理由は、中学生になって足が攣ることが多くなって分かったことだった。
 足が攣る時というのは、事前に分かるものだった。筋肉痛になった時など、足が攣る可能性が高くなってくる。それも、寝ている時だったり、眠りに入りかける時の、ウトウトした時などに多かった。
「あっ、ヤバい」
 と感じた時には、時すでに遅く、身体全体が硬直してしまうのだった。
 その時、痛みを身体全体で分散しようという意識が働くのか、気が付けば、身体がピンと張ってしまっているのだった。
 その瞬間に感じることとして、
「誰もいなくてよかった」
 という感覚であった。
 誰かが、そばにいると、集中している気持ちが分散してしまうのだ。
「痛みは、分散させたいが、痛みにこらえている意識は、集中させたい」
 と感じたのだった。
 だから、痛みをこらえている様子をまわりの人に知られたくないという思いが働き、誰もいないことに安心して、痛みに耐えることができるのだった。
 だから、もし、まわりに誰かがいたとすると、痛みが来たことを人に悟られなくないという思いから、必死にこらえるのだろうが、そういう時こそ、相手に悟られてしまい、
「こんな時こそ、放っておいてくれよ」
 と思うのに、まず、放っておく人はいないだろう。
 人というのは、人から心配されたりすると、痛くないことでも痛いものだと感じるもののようだ。しかも、心配されることで、どこかに安堵があるのか、緊張が途切れてしまうようで、そのために、放っておいてほしいと思うのだった。
 それなのに、気づかれてしまうというのは、自分の不覚なのか、相手は悪いわけではないので、怒るわけにはいかない。せめて、
「察してくれよ」
 と、思うにとどまるだけであった。
 だから、相手が何かを必死に隠そうとしているのが分かると、わざと触れないようにしている。人によっては。
「相手が触れてほしいと思っている」
 と感じるのか、敢えて触れてしまうのだ。
 相手が、苦虫を?み潰したような表情をしているので、
「しまった」
 と感じるのだろうが、触れてしまった以上、もう、後戻りはできなくなってしまう。
 そうなると、相手に対して、いかに気を遣おうが、そこで後戻りをしようとすると、却ってぎこちなくなる。
 相手は、もうどっちでもいいと思ったとしても、自分の方が、後戻りできないと思う以上、前に進むしかない。
 その時にどのように対応するかは、その人の性格にもよるのだろう。
作品名:必要悪な死神 作家名:森本晃次