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必要悪な死神

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――お母さんは、その深みに嵌ることを恐れたのかも知れない――
 と感じた。
 子供が悪いとしても、ここで騒ぎ立てて、責任を子供に押し付けたとしてどうなるというのか?
 子供たちを今さら警察に突き出すようなマネをしても、いなくなった子供が出てくるわけではない。
 だが、それは、友達が出てきて、出てきた友達が、
「最悪な結果」
 になっていた場合に、
「今さら」
 というわけである。
 まだ、見つかっていないとすれば、もちろん、急いで探す必要があるので、子供の証言が重要になる。それは分かっていることだった。
 自分がノコノコ起きて行って、まだそんな見つかってもいない状況であれば、果たして正直に言えばいいのかどうか、迷うところであった。
「友達を見捨ててしまった」
 という気持ちが、非常に強い。
 これは、
「罪悪感という名の良心の呵責なのだろうか?」
 それとも、
「良心の呵責という名の罪悪感なのだろうか?」
 同じように聞こえるが、違っているように思う。
 普通に考えると、良心の呵責があるから、罪悪感が生まれるのだ。良心の呵責というのは、自分の中だけで感じることで、罪悪感は表に対しての自分の気持ちなのではないかと子供心に、塚原は思った。
 だから、後者だとおもう。良心の呵責というものが、罪悪感に含まれるという考え方になるのだ。
 そういえば、塚原は結構、似たような言葉を思い浮かべて比較することが多かったような気がする。
 その時は気づかなかったが、友達の田舎に行った時に感じた、
「熱中症と直射日光」
 だが、これは、友達の田舎に行く前に感じることになるものでもあった。
 そんなことを考えていると、本当に布団から出るタイミングを逸してしまったような気がした。
 最初は、目が覚める前だったので、考えがまとまらないという理由で、布団から出る理由を思いつかなくてもよかったのだが、布団から出る理由を考えるのではなく、出なくてもいい理由を考えるのだということを感じると、今度は、もっと深い意味になってしまっていることに気づき、余計に負の連鎖を感じていた。
 そういう意味で、布団から出るタイミングを逸してしまっていたのだ。
 だが、このまま布団に入り続けているというのも、苦しいものだ。
「表に出ても苦しい。布団の中にいても苦しいのであれば、この状況を打破するという意味で、思い切って表に出てみよう」
 と感じた。
 これは後になって同じ状況で感じたことだが、このような状況では、
「どれだけ我慢できるか?」
 ということが、本当は重要ではないかと感じた。
 もし、これが戦争で、ここで動けば見つかってしまい、次の瞬間には、命がなくなっているというシナリオは、往々にしてある。軍隊では、こういう時に動いてはいけないと訓示を受けるに違いない。もっとも、これは戦争に限らず、何かの犯罪に巻き込まれ、籠城の時の人質になった時にも言えることだろう。下手に動くと犯人を刺激して、死ぬことになってしまう。ドラマなどでは、皆我慢して何時間も耐えているが、果たして自分がその立場になると耐えることができるだろうか?
 ただ、意外と耐えれるような気もしている。
「人間というのは、いざとなると、結構耐えることができるものだ」
 という話を聞いたことがあったからだ。
 だが、しょせんは他人事であり、実際になった時のことなど、想像することなどできないからである。
 結局、ずっと布団の中に入っていることはできなかった。布団から出てきて、顔を洗ってリビングに出ると、母親が普段通りに、キッチンで忙しそうにしていた。
 その日は学校が土曜日で休みだった。その頃はまだ、
「ゆとり境域」
 というものに、入った頃で、土曜日は、隔週休みだったのである。
「あんた、今日はえらくゆっくりやったんやね」
 と、言葉は丁寧だった。
 母親は出身が関西ということで、気持ちが平穏な時は、関西弁が出る。しかし、これが少し苛立っていると標準語になるのだが、さらに、苛立ちがピークに達し、怒りのために、自らを見失うようになると、今度は、汚い関西弁になるのだ。
 それだけではなく、自分でも理性がなくなっているので、相当に疲れるようで、一通り不満をぶちまけると、虚脱感からか、誰にも顔を見せたくなくなるという。
――一体、どういう心境なんだ?
 と考えるが、塚原に分かるわけもない。
 そんな怒りを感じたことは、何度かある。それが、母親の不倫が判明した時だった。
 最初は父親が必死になって母親を責めていた。母親は黙って聞いているだけだったが、次第に俯いている顔が真っ赤になっていくのだった。
 その真っ赤な顔にどういう心境になっているのか分からなかったが、とにかく、
「ヤバい」
 と思ったのは間違いない。
 しかし、それを責めることにだけ集中している父親には分からなかったのか、責めをやめない。
――やめるにやめられなくなっているのかな?
 と感じたが、あとから思うと、そっちの方が強かったのかも知れない。
 なぜそう感じたかというと、塚原自身にも同じようなところがあり、どうしようもない気持ちになっているからだった。
「もう、いい加減にしてよ。そんなにポンポン言われて。はい、そうですかっていう私だと思っているの? 一体あなたは私と何年一緒にいると思っているのよ。子供だって、もう小学生になっているくらい一緒にいるんじゃない。いい加減私のことも分かってよ。それができないから、あんたは、女房に浮気をされるような情けない旦那だったということを証明して、それを認めたくないから、そうやってなじるしかできない本当に情けない男なのよな」
 と畳みかけるように言った。
「何を?」
 と父親も、何かを言い返そうとするのだが、この権幕にはさすがに返すことができない。
 父親としては、こんなになってしまう母親は想定外だったのか、何もいうことができず、黙り込むしかなかった。
 最初、母親は言いたいことだけ言って、出ていくと思っていた。気持ちの中では、半分は、
「もう帰ってこないんだろうな」
 という思いがあったので、本当なら、出ていってほしくはなかった。
 だが、その反面、あれだけまくし立てたのだから、気まずい雰囲気になって、塚原自身も、そのまま部屋にいることはできないだろうと思った。
 だが、実際に母親が家を出ていくことはなかった。そのあと、家ではぎこちない時間が続いたが、自分の部屋に引きこもればいいだけで、いてくれさえすればその時はよかったと感じた。
 そもそも、悪いのは自分ではない。自分は被害者? なのだ。母親が自分で招いたことに、子供が振り回されるのは、理不尽なことである。
 そう思うと、父親に対して、どう思えばいいのかを考えてみた。
 子供だから分からないが、自分も大人になれば、父親のようになってしまうのだろうかと思うと、
「お母さんのような人を嫁にもらってはいけないんだ」
 と思うようになった。
 すると、急に母親を自分が女として見ているような気がして、気持ち悪くなった。
 今までも、それ以降も、母親を女として見たのはその時だけだった。
 女として見たというよりも、
「強引に見ようとした」
作品名:必要悪な死神 作家名:森本晃次