必要悪な死神
五回目の鬼が、四人中、二人目まで探すまでには、ほとんど時間がかからなかった。
後の二人も簡単に見つかるだろうと思っていたが、その感覚が少し怪しいと感じたのは、二人目が見つかるまで、あれだけ温かいと思っていたのが、急に寒気を感じるようになったからだった。
風が吹いてきたというのが一番の理由だったが、その風の冷たさには、普段とは違うものがあったことに、徐々に気づいたのだった。
「もう、そろそろやめないといけない時間なんじゃないか?」
と、最初に見つかったやつが言った。
「ああ、そうだよ。これは鬼になった時の俺の感覚なんだけど、こんなに寒い時というのは、もっと暗かったと思うんだ。だから、今は明るいと思っていても、あっという間に暗くなってしまって、親から、こんなに暗くなるまで遊んでいたらダメだって、怒られるんじゃないか?」
と、まるで、怒られることを前提に考えているかのようだった。
確かに、
「廃品回収のところで遊んでいてはいけない」
と怒られたばかりではないか。
それを思い出すと、皆、怒っている親の顔を思い出すのか、苦虫を噛み潰したような嫌な顔になっていたのだ。
「おーい、そろそろやめるぞ。出てこいよ」
と一人が叫ぶと、一人がすぐに出てきたが、もう一人、隠れているはずのやつが出てこない。普通であれば、一目散に出てきて、
「ああ、やっと終われる」
と言って、普段から、あまりかくれんぼが好きではないやつが、ぼやきながら出てくるのが目に浮かんでいたのだ。
しかし、誰も出てこない。ただ、風が吹いているだけの廃品回収置き場が、次第に寒くなってくるようだった。
頭の中にあるのは、
「どうして出てきてくれないんだ。お前が出てこないと、帰りが遅くなって、親に叱られるじゃないか」
という思いであった。
もちろん、頭の中に、
「出てこなかったらどうしよう」
という思いがないわけではない。
しかし、そんな思いを抱くなど、そんな不吉なことを考えること自体がおかしいと思うはずなのに、その思いを否定しようとする強引な気持ちが、余計に思わせないようにしようとする。子供の心理だといってもいいだろう。
子供の口喧嘩が、やたらに幼稚なのは、分かっていることをなるべく自分で納得したくないということからきているのだ。
そのことを、子供は自分で分かっている。
しかし、大人になると、自分が子供だった頃のことをすっかり忘れてしまい、分かっているはずの自分を認めたくないという思いに引っ張られて、
「子供は幼稚だ」
と思わせるに違いない。
確かに、友達が出てこなかったら、どうしようという思いとは別に、
「ただの子供の遊びではないか、そんな他愛もないことをしていただけなのに、何かが起こりっこないよな」
と自分に言い聞かせてもいるようだ。
だから、混乱した子供は、誰かに話をするとしても、頭の中を整理することができず、会話にもなっていない。
大人の方でも、
「子供のいうことなんか、まともに信じれるわけはない」
という思いがあるからか、子供と自分たちの間に、結界を設けているに違いない。
その日、友達は出てこなかった。
「どうしようか?」
と一人が言ったが、それにこたえられる人はいなかった。
言い出しっぺとしても、最初に口を開けば、自分が結論を導かなくてもいいという思いからだったが。言い出しっぺだということで、言い出した言葉に責任を持たなければいけないということで、こちらも、リスクが大きい。
この時は、結局誰も口を開く人はいなかったので、
「しょうがない。このまま黙って帰ろう。皆、行方不明になったなんていうんじゃないぞ。皆と一緒に別れたということにしておけば、何の問題もないんだからな」
と、言い出しっぺは言った。
そうは言ったが、誰かが、自分の言葉に異議を申し立ててくれるのを期待した。もし、異議を申し立ててくれれば、その人にバトンを引き継ぐことができると、感じたのであった。
だが、誰も異議を申し立てる人はおらず、結果、言い出しっぺのいうことに従うことにした。
誰も口を開かなかったが、心の中では、
「俺が責任を負うことがなくてよかった」
と思っていることだろう。
そんなことを思っていると、
「やはり、最初に言い出すのは、難しいな」
と感じたのだが、あの場で自分が言い出さなければ、あのままずっと膠着状態のまま、どうすることもできなかったような気がする。
親が探しにきて、友達がいないことが分かると、警察に通報したりして、結構厄介なことになっただろう。
だが、警察に通報する方が、本当は気が楽だった。子供だから、目に見えない責任というものを背負わされることがないということで、あとは任せておけばいいだろう。ただ、なぜ彼がいなくなったのかということを考えると、恐ろしくて震えが止まらなかった。
「行方不明になったのが、彼ではなく、俺だった可能性だって十分にあるからではないか?」
と感じたからだった。
意識がないということ
その日は、後ろめたい気持ちのまま、とにかく家に帰るしかなかった。家に帰ってからも、気になって眠れるわけもなく、それでも、何とか眠りに就こうと努力をしたものだった。
普段なら、こんなに夜更かしなどしたこともないので、
「夜というのは、未知の世界で、どれだけの長さなのか、想像もつかない」
と思っていた。
昼だと、学校に行っていたり、授業中という決まった時間を刻んでいるという意識があり、しかも、太陽が動くことで、昼間から夕方、夜へと明らかな時間の動きを意識することができるのだ。
しかも、暑さから寒さまで、四季によって違う温度を自分の身体が覚えている。夏に冬の寒さを思い出すのは難しいが、映像や写真などで、雪を見ていると、その冷たさが伝わってくるような気がするのだった。
「草木も眠る丑三つ時」
という言葉を、コマーシャルか何かで聞いたような覚えがあった。
それが何を意味するのか分からなかったが、
「眠るというくらいなので、夜のことなんだろうな?」
と漠然と分かっていた。
要するに、誰もが寝静まっている時間帯ということだが、小学生だった自分が、真夜中と感じるのは、夜の九時から、朝の七時くらいまでだった。
これをすべて眠ったとすれば、十時間になるのだが、その時言われた、
「一番最適な睡眠時間というのは、八時間だ」
と言っていたような気がする。
九時から七時というと、眠りすぎの気がしてきたが、九時以降起きていると、目が開かなくなって、気が付けば眠ってしまっているのがオチだろう。それに七時より前に起きるというのも、実際にやったことがないので難しい。七時に起きるのだって、十分近く、目が覚めるのに時間を要するのだから、それ以前なんて、絶対に無理だと思うに違いなかった。
それでも何とか眠りに就こうとして、目を閉じていると、まず最初に、時計の音が気になってくる。
当時使っていた目覚まし時計は、アナログの時計だった。針が動く時の時を刻む音が気になってしまうのだ。