歴史の傀儡真実
などという条件を持ちかけられたことでの、参戦だったのだろうが、うかうかしていると、現存の領地が危なくなり、下手をすると、追放されることになってしまっては、本末転倒である。
そんなバカげたことをしてはいけないということで、急いで所領に帰って、自国領を平定しなければいけない。
その時、領主は、
「もう幕府に従うことなどない。自分たちの土地は自分たちで守るんだ」
という気概を持つようになったのだろう。
それが群雄割拠というもので、ほとんど、幕府など、有名無実だった。
それでも、中には応仁の乱に参加していない中立だった大名もいて、三河や、隣国の駿河の大名も同じだったので、参勤交代を行ったり、京都の町を少しでも復興させようと考えていたりもしていた。
だが、今でこそ幕府にしたがっているが、心の中では、
「室町幕府もこれで終わりだ」
と思っている大名も多いことだろう。
この時、実は中立だった近隣の大名たちがひそかに同盟を結んでいた。
政略結婚もそうだが、
「同盟国が他から侵略を受けたり、戦闘状態に入った時は、同盟国にしたがって、兵を出す」
という取り決めになっていた。
この時代は、それぞれの国が、利害関係に基づいて、同盟関係を結んでいた。その際に、人質や、政略結婚などという取り決めも取られている。このあたりは、どの時代の、どの世界の戦争でも、同じことのようだ。
「人間、考えることは、いつでも、どこでも、基本的には同じなんだろうな」
ということであった。
したがって、普請事業も、幕府に対しての奉仕も、計算ずくでなければやらない。応仁の乱の一番の原因は、日野富子による、
「将軍後継問題」
だったのだ。
一人の女の野望による損害は、あまりにも大きかったといえるのではないだろうか。
初見参・新型城郭
そんな数年を過ごしてきて、普請事業も、かなり覚えてきた。さらに、荒れた土地、あるあるなのかも知れないが、暗躍の仕方というのも、覚えたのだった。
教えてくれた人は、戦国時代では、北条氏に身を寄せ、風魔忍軍の幹部として活躍を下ということだが、その人と別れて、重光は、三河に戻った。
しばらくは、温泉などに浸かったりして、身体を癒すことに従事していたが、そのうちに、父親に呼び出された。都から帰ってきて、半年ほどのことであった。
「お父上、何か御用でしょうか?」
と訪ねてきた、父親に訊ねると、
「うむ、都から帰ってきてすぐで申し訳ないのだが、すまないが、蝦夷地へ行ってくれんか?」
と言われた。
「蝦夷地ですか? みちのくですか?」
と聞くと、
「いや、さらに、海を渡っての蝦夷地なのだが」
と、いう。
「どういうことですか?」
と聞くと、
「詳しいことは、現地に入ったわしの先遣隊に聞いてもらえればいいと思うのだが、今はハッキリとしたことはいえない。事情を知らない人に話すには、わしでは心もとないというべきか、とにかく、また聞きを繰り返すと、間違って伝わってしまうので、詳しい話は現地で聞いてもらえると助かる」
というのだ。
それでも、まだ少し浮かない顔をしていると、
「そうだろうな、この間は都だったのでまだわかるが、今度は蝦夷地という、完全なる未開の地だからな。それにここからは、大軍を率いたりもできないので、またしても、数十人の団体になるが、それも許してもらいたい。ところで、お前は京で、諜報活動などや、忍びの訓練を受けたというが、どうなのだ?」
と言われて、
「実践でやったわけではないですので、何とも言えませんが、教えてくれた人からは、呑み込みが早いと言われました」
というと、
「そうか、それならいいんだ。」
と言われたので、
「それが蝦夷地で役立つということでしょうか?」
と聞くと、
「役立つかも知れん。とにかく未開の地での行動になるので、いろいろ身に着けておくのは必要だ。この先、これからの時代は何が起こっても不思議のない時代だ。これからを生き残っていくには、生き残るための知恵や、力が必要だ。お前にはそれを求めたい。いずれは、この三河で、兄の力になってやってほしいのだ。そして、領民ともども、幸せな暮らしができるようになればいいと、わしは真剣に考えているのだ」
という父の顔を見ていると、ウソを言っているようには、とても思えない。
「分かりました。蝦夷に向かうことにします」
と返事をしたが、重光の中では、あの時、教えてもらった諜報や、忍者の極意、さらには、普請事業でのノウハウなど、領主の長としては、使い道がないようなことなだけに、重光本人も、今まで以上に自分の存在感をアピールできることだと感じたのだった。
それにしても、みちのくであっても、かなり遠く未知の世界のように思える。それをさらに海を渡って、北海道に渡るなどというのは、完全に外国にいくようなものではないか。今、蝦夷地と呼ばれる北海道では何が起こっているというのか、何かが起こっていないと父のこのような真剣な表情は映し出されることはないだろう、
気になるのは、父親が自分を過大評価しているのではないかということであり、まったく想像もできないところに行けと言われるのは、ワクワクするという気持ちと、どうしようもないという、諦めに近い形が交錯していた。
どうせなら、ワクワクした気持ちになれるなら、それでもいいと思えるほどの雰囲気が、父親にはあった。
いくら、地方の領主の息子だからといって、次男であるということで、こうも簡単にあっちこっちに行かされるというのは、あまり気持ちのいいものではない。体よく追っ払らわれたと思うのも無理もないことだったのだ。
蝦夷地に向かうのは、さすがに遠いということもあって、結構、時間がかかった。
「そんなに急いでいくことはないので、慌てずに行くんだぞ」
と、父親からは言われていた。
「ちなみに、蝦夷地というのは、どういうところなんですか?」
と聞くと、
「昔はアイヌ族というのは住んでいて、平安の時期に、本土の人間が少し移住したというような話を聞いたことがある。ただ、松前というところくらいにしか、本土の人間は入っていないような話だったんだ。どうも蝦夷地というのは、作物を栽培するには適していない場所だということを聞いたことがあるんだ」
という。
「どうして私が、そこに行かなければいけないんですか?」
と言うと、
「実は通訳を頼みたい。お前は確か英語ができるということだったが、それは本当かな?」
と、逆に聞かれた。
「ええ、京に入る頃、普請事業を行った時、スペイン人がいたんですが、彼らがいうには、スペインにも母国語があるらしいんですが、英語というものが、全世界では共通になってきているので、英語をよく話していたということでした、私は彼らから、いろいろ教わりましたので、その時の影響で、流暢ですが、英語も勉強しましたね」
史実として、現代に伝わっているのは、まだ、その頃には、キリスト教が入ってくるかどうかということだったようだが、実際には、どこかから、入ってきていたのかも知れない。