歴史の傀儡真実
「そうか、中江氏というと、鎌倉時代に、幕府を支えた御家人の中の一人だな。確か歴史上は、北条氏に滅ぼされたことになっているが、やはり、やはり、北国に一族は逃れて行ったのだな」
と侍がいうと、
「お侍さんは詳しいですね。確かにその通りだということを、私どもも聞かされていたんですが、知っているのはそこまでで、それ以上のことは知りません」
という。
この時代であれば、庶民がここまで知っているというのは、結構開けているということで、
「それだけ、領主の器が大きい」
ということなのか、それとも、
「この男の器が大きいことで、領主も、の男だったらということで、それくらいの話」
といいうことで伝えたのかも知れない。
それを思うと、この男、あるいは領主のどちらか、いやそのどちらもが、しっかりしているという土地なのだろうと、侍は思った。
確かに、こちらに来る時、
「北の方の土地の人間は、こちらの人間よりも、人間ができている人が多いということを聞いたことがあったが、そのことを確かめてくるといいかも知れない」
と言われたのを思い出した。
津軽というと、なかなか関東の人間であっても、みちのくの人間は。分かりにくいと言われている。
「一般的には閉鎖的だ」
とi言われているが、果たしてどうなのだろうか?
西国の、田舎などにいくと、閉鎖的なところは多い。しかしよほど気を付けておかなければ、あい手に欺かれることがあるとも教えてもらった。実際に西国に行くt、そんな連中が多いのも間違いないようで、痛い目に遭いかけたこともあったのを思い出した。
西国でも、あれは、九州の豊後地方に行った時のことだった。(豊後地方とは、今でいう大分県のことである)
そこを収めている守護大名に、
「謀反の動きがある」
という情報が寄せられた。
それを聞きつけて、実際に行ってみたのだが、その土地で、いろいろな情報をまず聞きつけるところから始めた。
ここでこの男の素性を晒すと、彼は名前を、門脇上総守重光という。
元々は、三河の国の守護大名の御曹司であったが、門脇家の次男ということもあり、領主になることはできないということで、父親の勧めもあり、足利幕府の役人として派遣することにした。
守護大名の次男を役人に取り立てなければいけないほど、幕府の衰退はひどいものだったのだ。
父親の目論見は、
「戦国時代を乗り切っていくには、幕府の内部から、政治というものを見ることができる人物が必要だ」
というところにあったのだ。
そんな状態で送り出したのだったが、次第に世の中がどんどん変わっていった。応仁の乱からあとは、何となく群雄割拠になるということは分かっていたのだが、その場合においても、いろいろな見方ができる人物が必要になるというのは必然であり、どちらにしても、重光を幕府に派遣することに悪いことはないのだった。
重光は、幕府内部で、その実力をいかんなく発揮していた。
そして、
――ここまで、幕府が腐り切っているとは思ってもみなかった――
とも感じた。
しかし、だからと言って、ここで態度を変えるのもおかしな話で、重光は、心の奥を隠して、幕府の仕事をコツコツとこなしていた。
最初は、応仁の乱で廃墟になった京都の町をいかに再建するかということが先決であった。
彼は、土木の知識もそれなりにあり、ちょうど、当時の幕府の普請工事のプロと呼ばれる人がいたことであった。
その男の下で、重光は、普請事業のノウハウを勉強した。
実はこの時の男は、その後、有力な戦国大名の家臣となり、
「城づくりにかけては、右に出る者はいない」
とまで言われるようになったのだが、それは、まだ少し先の話だった。
だが、時代は思ったよりも早く進んでいて、実際に、天守閣を持った城が築かれるようになるまで、それから、数十年くらいのことだった。
実際の史実よりも、少し時間が進むのは早いようである。この人物や、重光の存在が絵歴史に大きな作用を与えたのか、それとも、ここからが歴史の分岐点であり、実際の歴史とはどっちが本当なのか、難しいところであった。
京都の街が、廃墟になってから、なかなか普請事業もうまく行っていなかった。
何しろ、平安京という、一国の首都が、ほぼ焼野原になったのである。再建するには、プロジェクトのようなものを作って、計画通りに進めなければいけないのだろうが、幕府にそんな力もない。
再建に要する人員は、実際の十分の一もいないくらいで、実際に、
「何をどこから手を付ければいいのか?」
と、途方に暮れるのが普通ではないだろうか。
それを考えた時、
「私のような、田舎からの人間を、こんな大切な部署に配属させるというのは、どういうことなのだろうか?」
と思った。
最初は、それだけ期待をしてくれているのかとも思ったが、幕府を見ていると、そこまではない、
ということは、とりあえず、人がいりそうなところに、配属したという、人材に関しては何も考えていないということではないかと考えたのだった。
だから、最初から彼は幕府に対して、そこまで期待はしていなかったので、逆に、自分のやりたいようにできるというのが、気が楽だと思ったのだ。
――時代はまもなく幕府の力が地に落ちて、群雄割拠の時代になるんだ――
ということも分かっていた。
自分の祖国である三河の国が天下を取るかどうか、最初は父親から言われて、幕府に派遣された時は、
「三河のため、家のため」
と思っていたが、次第に、そんな意識も薄れていった。
それまでは、三河から出たこともなく、当たり前に、
「兄が家督をついで、私が、その補佐役をやることになるんだ」
と信じて疑わなかった。
何にしても、兄が中心であり、私はわき役でしかないんだ」
ということを、どこか理不尽だと思っていたのだろう。
三河にいる間には見えなかったものが、一歩三河を離れたことで見えてくるものが、ここまでたくさんあろうとは。
自分でもびっくりするほど、違って見えてくるから不思議だった。
それだけに、理不尽に感じる自分に嫌悪感を感じていた。
三河からは、三人の家臣とともに、都に向かった。いかにも、
「商人の仕入れのための旅か、何かの行商ではないか?」
と思うような感じであった。
実際に、薬をかなりの数持っていた。
「途中の関所などで、何か怪しいと思われても、薬を持っていれば、行商だと思って怪しまれない」
と言っていた。
しかも、薬のような、緊急性のあるものであれば、怪しまれることもないというのが、作戦だったのだ。
まだ、三河を離れる時は、自分が世間知らずの御曹司であるということを分かっていなかった。
だが、初めて見る、領地の外の世界は、ここまで違って見えるものかと思うと、新鮮であった。
三河から、尾張を抜けて、美濃に入り、そこから、近江、京へと向かう道で、いろいろな光景も見た。
特にビックリしたのは、近江に入ってからすぐ、
「ここはなんじゃ? まるで海ではないか?」
と、頭の中に地図は入っていたので、ひょっとしてとは思ったが、素直な直感として、「あるはずのない海が見えた」