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歴史の傀儡真実

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 を採択し、日本は、それに対抗するように、国際連盟を脱退し、孤立することで、戦争への道を歩むことになるのだが、そもそも、満州国における当時の
「中国による嫌がらせや、虐殺事件」
 など、居留民にとっては、死活問題であった。
 文字通りの生きるか死ぬかという問題解決に、満州事変を画策したという意味では、
「日本の自衛だったのではないか?」
 と考える人は、自分だけではないと思われる。
 しかも、日本は侵略したわけではない。
 そこに建国された、
「満州国」
 というのは、傀儡国家なのだ。
 皇帝には、かつての支配国である満州民族出身で、かつて中国に存在した、
「清国」
 の最後の皇帝、
「愛新覚羅溥儀」
 を擁立し、国家元首に据えたのだ。
 しかも、そのスローガンは、
「五族協和」、
「王道楽土」
 であった。
 ここでいう、五族というのは、
「満州、漢民族、朝鮮、モンゴル、そして日本」
 である。
 それぞれの民族が協和して、
「西洋の武力による統治ではなく、徳による統治(王道)により、アジアの理想郷を目指す」
 という願いが込められた建国だったのだ。
 したがって、政府は、満州民族である、
「愛新覚羅溥儀」
 を皇帝とした、
「専制君主国」
 ということになる。
 しかし、当時の満州国だけでは、国家としての体裁を作ることができないので、日本が国家、政府設立の、
「お手伝いをする」
 という形になったのだ。
 ただ、実際には傀儡国家だった。
 国家の体制は、あくまでも、関東軍の保護のもとに存在するので、満州国の決定事項は、関東軍、つまり、日本政府が承認したものではないとダメだということであった。
 特に満州国の閣議において、総理大臣としての国務総理は、一切発言することがなかったというほどで、国家主席である皇帝にさえ、決定権はなかった。
 関東軍の決定したことを、皇帝が代弁するという程度の権力しか、皇帝といえども持っていないというのが、傀儡国家というものである。
「ではなぜ、植民地とは違う、傀儡国家なるものが存在するのか?」
 という問題であるが、これは、一番大きな問題としては、
「対外的な体裁」
 というべきであろうか。
「傀儡国家というのは、あくまでも、植民地のように、侵略して奪い取ったものではなく、主権は、今まで通り、その国家の政府にある」
 ということである。
 そうしておかないと、
「五族協和」、
 のちに出てくる、
「大東亜共栄圏」
 なるものに、矛盾が出てくるからであった。
「大東亜共栄圏」
 というのは、そもそも、
「欧米列強に、侵略され、建国された植民地政府を打倒し、そもそも原住民族主権の政府を樹立し、欧州からの支配から脱却し、日本を中心とした、東アジアで、共栄していくための、範囲を確立する」
 というのが、目的である。
 だから、日本が、中国に対しての戦争、および、対英米戦を、
「大東亜戦争」
 と呼び、そのスローガンとして、
「大東亜共栄圏の確立」
 を挙げたのだ。
 そんな日本が、植民地を作るというのは、矛盾していて、本末転倒なことだといえるのではないだろうか。
 そもそも、かの戦争のことを、
「太平洋戦争」
 というのは、大きな間違いではないかと思う。
 なぜなら、あの戦争は、帝国議会の閣議で、
「対中戦争にさかのぼって、大東亜戦争にする」
 ということになっていたのだ。
 それを、戦勝国であり、占領軍を送り込んだ側が裁く、
「国際極東軍事裁判」
 において、
「大東亜」
 という言葉を使うと、
「大東亜共栄圏」
 というスローガンを認めることになり、戦勝国側のそれまでやってきた植民地政策をことごとく否定することになってしまう。実際に世界大戦が終わってから、諸国では独立運動が主流になり、ほとんどの国は独立を勝ち取った。
 中にはそのまま、内戦の口火となった地域もあり、治安が悪化したところもあったが、日本の敗戦は、
「アジアの解放」
 という意味で、一役買ったといってもいいだろう。
 日本が快進撃を続けている時、
「欧州を追い出しても、日本が侵略してきた」
 という人もいるが、実際には、
「大東亜共栄圏」
 を建設するためには、仕方のないことではないのだろうか?
 確かに、アジアの国家からすれば、
「欧州であろうが、日本であろうが、自国を押さえつけるのは、侵略行為でしかない」
 といえるだろう。
 だが、長い目で見て、日本が解放した地区に入り、いくら戦争継続のためもあったとは言っても、インフラを整備したり、産業を奨励したりして、経済が復興したのも、事実である。
 それを思うと、必ずしも、日本が侵略をしたといえない部分もあるのではないだろうか?
 日本という国が、もう少し国力があれば、アメリカにも対抗できていたかも知れない。ただ、実際に国力がないのであるから、当初の計画通り、
「ある程度の打撃を先制攻撃において与えておいて、一番有利なところで講和に持ち込む」
 という作戦を見失ってしまったことが、戦争を、やめるに辞めれば五ものにしてしまったのだ。
「何事も、始める時よりも、終結させる時の方が、数倍難しい」
 というが、まさにその通りなのである。
 では、この蝦夷地に作った、イギリスによる、
「南部蝦夷国」
 というのは、どういうものなのだろうか?
 ここは、国家としての体裁は完全に整っているわけではない。どちらかというと、日本本土において、
「大名が納める国」
 という程度の体裁しかもっていなかった。
 実際には、イギリスも、もう少し、民主的な理想国家を作りたいという意思はあったようだが、あまり急激に変革させてしまうと、
「蝦夷地も、植民地になってしまった」
 と思われるだろう。
 蝦夷地に植民地国家を作ってしまうと、北部で対峙している、ロシアを後ろ盾にしている、
「北部蝦夷国」
 を刺激することになり、
「今はまだ、大人しくしていないと、来るべき時がくれば、世界の賛同を得ることができなくなってしまう」
 という思いが強かったのだ。
 傀儡国家にしても、植民地にしても、諸外国との関係が不可欠だ。なぜなら、諸外国も、成立国家を見極め、その存在を承認するかどうか、さらには、国交の問題にも発展するのだから、他人事では済まされないだろう。
 基本的には、イギリスの傀儡国家である、
「南部蝦夷国」
 であるが、傀儡国家といっても、スペインの影響もまったくないわけではなかった。
 その一つには、現状、元首といってもいい、織田信定が、遠縁といっても、現在、日本本土で派遣を握っている織田信長と親戚関係にあるということだ。
 信長は、スペイン人のことしか分からないので、本土は、スペイン人に対して、国民、特に寺院や仏教徒などが、キリスト教という、
「異教」
 に対して対抗意識を燃やしている。
 そんな異教を崇める人種である、
「イギリスという国は、さぞかし、異端な民族なのだろう」
 ということである。
 信長が保護しているので、大っぴらにできないが、この頃からすでに、
「攘夷論」
 というものは存在していたのだろう。
作品名:歴史の傀儡真実 作家名:森本晃次