歴史の傀儡真実
今はまだ天下を統一するところまでは行っていないが、信長がいないと、混乱したままの世の中になってしまう。
だとすれば、
「ある程度まで、信長にやらせておいて、その後誰がやっても、土台はできているということで、信長を排除すればいい」
と考えたのだとすれば、本能寺の変も、違った形が見えてくるというものだ。
「信長を泳がして、じゃあ誰をけしかけるか?」
一番は光秀だったのだろう。
光秀であれば、クーデターに失敗するということはないだろう。だが、そのあとの政治を任せるには、心もとないということで、光秀を、
「捨て駒」
に使って、最終的には秀吉に天下を継がせようということであったとすれば、本能寺の変の辻褄も合ってくる。
もちろん、このことが、誰かに漏れると大変なことになる。特に朝廷にバレるわけにはいかないに違いない。もしバレてしまい、この件にイギリスが絡んでいるということが国際的に分かってしまうと、ロシアに感づかれてしまい、蝦夷地での暗躍も難しくなってくる。
蝦夷地は、極東であり、本国からかなり離れているので、あまり重要視するところではないように思うのだが、逆に、そんな遠く離れた場所の蝦夷地で、ひそかに暗躍するようなことをしているのかということを考えると、何もないとすれば、矛盾しているということである。
彼らには、
「明国を征服して、領土を広げる」
という目標がある。
明国を手に入れエバ、今欧州尾国々が先を争ってやっている、東南アジアでの、
「植民地計画」
にくさびを打ち込むことができるだろう。
自分たちが介入することもできるし、独立させて、それまでの努力を無駄にすることもできると考えたのだ。
だが、そのことをいち早く察したイギリスが、南蝦夷地に、強力な要塞を作り上げ、国家を形成し、ロシアの極東進出をけん制しているのだった。
彼らがなぜ、日本建築であると思われる城郭を作ることができたのか疑問である。
母国である、イギリスや、欧州各国において、このような城郭を建設しているという歴史はないからだ。
ということは、やはり、この建築方法は、誰か天才のような人がいて、その人物による創作なのではないかといえる。
ただ、
「火のないところに煙は立たない」
ものである。
つまり、中国大陸や、朝鮮などの建築方式をヒントにしたのかも知れない。
多重の層になった建て方も、五重塔のような仏教建築から来ていると思えば、考えられないということでもないだろう。
そんな建築様式を誇っている、
「南部蝦夷地」
であるが、実際に出来上がったこの土地は、
「すでに、最先端の技術を生かした要塞」
のはずではないか。
それなのに、
「なぜ、今さら、重光と頼経を必要とするのだろう?」
というものである。
そのことに最初に気づいたのは、頼経の方だった。
頼経の方は、軍事的に、もっといろいろな装備を設けて、強固な要塞にすることもできるが、重光ではそれはできない。確かに、二人はいつもセットのようであるが、頼経だけを派遣してもよかったのではないか?
それを考えたのだが、そのことを、城主に効くと、前述のような話に戻ってくることになるのだ。
どうやら、こちらの方では、
「外交による解決と、武力による進行」
の両方を考えているようだ。
それは、前述のその後の歴史でもある
「大東亜戦争を回避できれば回避したい」
という考えから、外交面と、それと並行した軍事面とからの両面作戦だったのだ。
外交がうまくいかなかったのは、もともと、アメリカが自分の国が欧州の戦争に参加できるようになるため、世論の意見を動かしたかったことで、日本に先制攻撃をさせるという目的に、まんまとはまってしまったのだ。
真珠湾で、電報解読が遅れたのは、やむを得ない事情があったといわれているが、ひょっとすると、アメリカ側の策謀がそこに隠されているのではないかと思えるのだった。
もし、それがうまくいっていれば、戦争も変わっていたかも知れない。日本が負けていたかも知れないが、長引いたり、無駄な犠牲はなかったのかも知れない。歴史の明暗というのは、一瞬で決まったりもするし、時代の流れによって、ゆっくり築かれる場合もあるのだ。
そこに策謀などが絡んでくれば、時代の流れも、微妙な狂いから、一気にまったく違った形になる場合もあるだろう。
「ところで、一つ気になるんですが、ここはアイヌの人が中心の国家なんですよね?」
と聞くと、
「ええ」
と城主は答えた。
「じゃあ、北部のロシアという民族が抱えているのも、アイヌ人だということですよね?」
と聞くと、
「何がいいたいんですか?」
と聞かれたので、
「同じアイヌの民族同士をまったく違う民族が操って戦争をするということですか?」
と聞くと、
「まあ、そうなりますかね? でも、そういうやり方というのは、普通にあるじゃないですか? 攻略した相手の国の軍を自分たちのものにして、さらに、先の効力に使うとか、当たり前にありますよね?」
と聞かれて、
「それはそうなんですが」
と、話をしているうちに、自分が何にこだわっているのか、わからなくなってきた重光は、頭を整理する必要があると思った。
「先ほど自分たちが呼ばれた理由はそれなりに分かった気がしたんですが、似たような人物は他にもいるはずだと思うんですよね? どうして、我々なんですか?」
と、今度は、頼経が聞いた。
「私は、名前を、織田信定というのだよ。今、尾張の国から、天下に号令をかけようとしている織田信長は、私の遠縁に当たるんです」
というではないか。
当時織田信長というと、桶狭間の戦いで、電光石火の活躍から、、いよいよ、戦国大名としてデビューをしようとしていたところであった。もちろん、安土城などはなく、清州城にいたのだ。
ただ、桶狭間の戦いにおいて、名前は全国区になったので、あの時代の大名で知らない人はいなかっただろう。
ただ、
「うつけ者」
と言われていて、まわりをいかに欺くかということにかけては天才であっただろう。
それをいち早く見抜いたのは、信長の義父である、まむしと言われた、
「斎藤道三」
だったのだ。
信長は鉄砲を手に入れることに躍起になっていたが、なるほど、ここの殿様が、信長に知恵をつけているとすれば、それも当然のことであろう。
そこまで考えていくと、逆にここの殿様が、こんな遠隔地にいても、本土のことが分かるというのも、納得がいく。先ほどの疑問であった、
「なぜ、自分たち二人に目を付けたのか?」
ということも、
「信長の目から見て目をつけられた二人が自分たちだった」
ということになるのだろう。
逆に、重光の方が信長を知らない。
「信長という男は、どういう人なのだろう?」
と、頼経がつぶやくと、信定が話し始めた。
その内容は、歴史の教科書に載っているような内容で、歴史を知っている人間には、なんてことのない情報であったが、ここに鎮座している、
「今という時代を生きている二人」
である、重光と頼経には、センセーショナルな話であった。
「実に、興味深い男なんですね?」
と聞くと、