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歴史の傀儡真実

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 しかし、せっかく将軍にしてもらったのだが、自分にすでに将軍としての力がないことを悟った義昭は、自分の考えにことごとく逆らっている、信長が鬱陶しくなった。
 そこでまわりの諸大名や宗教団体に声をかけ、
「信長包囲網」
 を築き、まわりから殲滅しようと考えたのだ。
 だが、信長に逆に屋敷を包囲され、津法された。それでも何度も同じことを繰り返した義昭が、光秀を利用したと考えるのも無理はないかも知れない。
 そもそも、信長と義昭の間を取り持ったのが、光秀だったのだ。
 その次に考えられるのが、羽柴秀吉設である。信長の死をいち早く知り、岡山から、一気に京に取って返し、山崎の合戦で光秀を討ったということだが、これは、少し考えれば、おかしいと思うところが山ほどあるということが分かるのだ。
 例えば、
「どうして、秀吉が、最初に本能寺の変を知ることができたのか?」
 ということであるが、史実として残っているのは、
「対峙している毛利軍に向かって、光秀の密使が、秀吉の兵につかまって、持っていた密書を見られたことで、信長が討たれたということを知ったということだが、そんなに余りのも都合よく見つかるものだろうか?」
 ということであった。
「相手も見つからないようにしていたであろうし、捕まったとしても、その場で斬られて終わりではないかと思うのだが、それほど、当時は、一人でいる人間をいちいち調べるとう念の入ったことをしていたのだろう?」
 と考えると、確かに不思議である。
 しかも、そのあとの対応が素早すぎる。
 主君が討たれてショックを受け、これからの自分の行動を冷静に考えなければいけないはずなのに、いきなり、和睦してすぐに京に取って返すというのは、無謀ではないだろうか?
 なんといっても、討たれたということの信憑性がどこにあるというのか、信長が討たれたことで、ショックに陥った人間ができる反応ではない。
 もし、殺されずにどこかに逃れていたとすれば、いくら討たれたと聞いたとしても、確認もせず、戦闘をやめて、戻ってくるというのは、どうなのだということだ。
 そういう意味で、和議を結んでいたというのは、いい判断だったはずだ。というのも、逆に、
「最初から分かっていたことなので、行動も迅速だ」
 といえるのではないだろうか。
 さらに、もう一つは、歴史的に有名な、
「中国大返し」
 である。
「迅速な行動をどうしてとれたのか?」
 ということも重要であるが、それよりも、問題は姫路城である。
 大返しの最終、自分の城である姫路城(今のような天守閣ができる前の、砦のような白だった時)に落ち着いた時、
「場内にある、財宝その他をすべて、家臣に配れ」
 と命令している。
「もし、光秀との合戦に敗れれば、二度と戻ってくることのあい白だから」
 ということであったが、逆に、勝利ということを信じて疑わなかったからというのも言える。
「ただ、勝利を確実にするためには、部下の士気を最高に高めなければいけない」
 ということで、財産を配ったのだ。
 それは、
「光秀に勝利すれば、戦利品で、姫路城で配った分を補える」
 という考えがあるからだろう。
「負ければ、持っていてもしょうがないものであり、勝利すれば、元は簡単に取れる」
 ということであれば、財宝を配るのは、理にかなっているといってもいいだろう。
 しかし、この判断は、最初から負けるとはまったく思っていないとできないものではないか。
 実際に、勝利することになる、
「山?の合戦」
 では、池田恒興、細川忠興、中川清秀などの、摂津や山城の国の武将を抱き込まなければいけないはずだ。
 光秀が最初に思っていたように、まさか、それらの武将が秀吉につくとは思ってもいなかっただろう。
 何しろ、機内においての権力として強く持っているのは、秀吉よりも圧倒的に光秀の方が強い。しかも、細川忠興などは、自分の娘婿という立場ではないか。
 それなのに、秀吉のような、悪い言い方をすれば、
「成り上り者」
 に、簡単につくとは思えない。
 最初から、分かっていての先手を打った行動だとしか思えないではないか。
 光秀が支持されなかった理由はわからなくもない。信長を主君として、皆が仰いでいたというのも当然のことだが、何よりも、まわりに相談もせず、いきなり信長を討つという暴挙に出た場当たりな相手に、つくようなリスクはないだろう。
 光秀は本当に、思い付きで行動したのであれば、まだ見方も違っていたであろうが、そういうそぶりがあったとするならば、誰にも相談していないことに腹を立てたとしても無理はない。
ということは、本能寺の変は、
「光秀が最後まで悩んで決めたことではなく、最初から仕組まれていたことだ」
 ということになり、
「黒幕説」
 が叫ばれるのも、当たり前のことだといえるのではないだろうか。
 以上が、秀吉設というものである。

                 歴史の明暗

 もう一つ、一人の人間が浮かんでくるとすれば、長曾我部元親である。
 彼は、そもそも市億を平定したことで、光秀の仲介で、信長から、四国を任せるように言われていたものを、急に、四国の沙汰について、元親の不利になるようなこと言われたことで、仲を取り持った光秀の面目は丸つぶれになった。
 だから、
「光秀は、元親のいうことに逆らえないのではないか?」
 ということである。
 しかし、この説はかなり強引であり、信憑性としては、かなり低いだろう。
 そして、もう一つ、こちらは、信憑性というよりも、その裏にあるもんを考えた時、このお話の信憑性に近づくという意味で、興味深い説として、そして、この小説における話を一本にするという意味で、この本能寺の変の話に言及することになったのだが、それを理解してほしいと思ったのだ。
 その説というのが、
「宗教団体設」
 というものである。
 信長は、結構宗教団体を敵に回している。
 例えば、
「本願氏の蓮如」
「一向一揆の一向宗の門徒」
「比叡山の僧兵たち」
 などであるが、
「寺の坊主は、庶民を救うなどと言って、自分たちは、女を抱き、肉を食らっているではないか。それで特権階級のように荘園を所有したり、僧兵を使って略奪をほしいままにしているのは許せん」
 というわけだ。
 確かに当時の僧侶の堕落はひどいものだったようだ。
 とんちで有名な、一休宗純がいるが、彼は、そのような、
「生臭坊主」
 を戒めるかのような行動を、晩年に取っている。
 それと信長がかぶって見えるのは、自分だけであろうか。
 信長が宗教を敵にするのも確かに無理もないが、ここまで徹底的に敵視するというのは、他に理由があったのではないかというのは、無理な発想であろうか。
 そこで一つ考えられるのは、当時、外国からキリスト教というものが伝わっていて、信長はそれを奨励した。
 もちろん、貿易で利益を上げるのが第一の目的なのだろうが、ひょっとすると、
「国内における、仏教の僧侶に対抗心からだったのではないか?」
 と考えるのは、無理のあることであろうか?
 そんな風に思っていると、
「信長の後ろには、キリスト教がついている」
作品名:歴史の傀儡真実 作家名:森本晃次