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歴史の傀儡真実

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「油断大敵」
 という言葉であった。
「ライオンは、ウサギを倒すのに、全力を尽くす」
 という意味の、
「獅子博兎」
 という言葉にも由来するのだろう。
 どんな時でも戦では何が起こるか分からないという意味に相当するのだろう。特に油断をしたために、相手の作戦にまんまと引っかかって、普段なら分かりそうなことも分からなかったということになるのではないだろうか。
 前述の、毛利元就による、
「厳島の合戦」
 にも言えることであった。
 このお話は、安芸の国の厳島で、毛利元就と、陶晴賢による戦が行われたが、元々は、安芸の国の大名である、大内義隆を、陶晴賢が下剋上において討ち果たしたことから、大内氏の実験を握った陶晴賢との決戦を迎えたことによって始まった。
 元々は、毛利元就は寡兵であり、大内の軍勢という大名の軍勢とでは、兵力にあまりにも差がありすぎた。
 そこで毛利元就は、息子の毛利隆元、吉川元春、小早川隆景の三人を従えて、厳島での決戦を考えたのだ。
 厳島というところは、その名の通り、狭い島であり、そこに、城を築いたという情報を、毛利方が、作為的に相手に流した。
 大軍勢で攻めれば、打ち破ることができると考え、一気に大群で上陸し、城を襲った。
 しかし、毛利元就は、陶晴賢が、城を攻めている間、嵐であったにも関わらず、少数の軍勢で上陸し、油断していた相手は、慌てふためいたと言われる。
 これは、織田信長が、桶狭間で酒盛りをしていた今川義元に奇襲をかける際に、急に雨が降ってきて、天候が悪くなったのを見て。
「天は我に味方した」
 と言ったというが、まさに、厳島に上陸した元就も、同じことを考えたに違いない。
 何と言っても、来るはずのない軍勢が押し寄せてきた。ここからが、元就の真骨頂なのだが、幾重にも考えられた作戦だった。
 まずは、陶軍が、全軍を率いて、厳島に上陸していたということだ。攻められれば、大混乱をきたし、狭い範囲で、統制が取れなくなってしまうと身動きは取れない。
 さらに、毛利元就は、この作戦を行うについて、村上水軍を味方につけていた。
 混乱している相手は、次第に自滅していき、そして、水軍によって取り囲まれたのだから、その時点で勝敗は決したといってもいいだろう。
 士気という意味でも、元就は、夜陰に紛れて上陸した時に、帰りの船を返している。つまりは、退路を断ったわけである。そうしておいて、
「勝利するしかない」
 という状況に追い込み、最高の士気を高めたのであった。
 陶軍としては、下剋上でのし上がっただけの陶晴賢は、言ってみれば、主君大内氏の敵でもある。元々の陶軍に、大内軍が加わっただけなのだから、これも、烏合の衆だといえるだろう。
 戦意高揚が最高潮に達している毛利軍と、烏合の衆で、しかも大混乱になっている陶軍との間では、当然、勝利は見えていたといってもいいだろう。
 これがいわゆる、日本三大奇襲の一つと言われた、
「厳島の合戦」
 である。
 この合戦において、元就の用意周到さと、時系列を考えた作戦経緯。さらに、そこに、天候という運も重なったのだから、ある意味、奇襲と言ってしまうと、毛利元就に怒られるかも知れない。
「これは奇襲などではなく、勝つべくして飼ったのだ」
 と言えるからだった。
 用意周到という意味では、最初に、
「厳島に城を建てた」
 という情報を故意に流したという情報戦を仕掛け、相手を油断させたことで、その情報を鵜呑みにして、
「一気に攻める」
 という、狭いところに大軍を進行させることの愚かさに気づかないほど、油断させたということも大きかった。
 つまり、陶晴賢は油断から、
「獅子博兎」
 という精神を忘れてしまったのだろう。
 さらに、村上水軍を味方に引き入れることによって、相手の混乱を、
「逃げ場がない」
 ということで、恐怖のどん族に叩き落とすという、とどめを刺すことができたのだ。
 そして自軍に対しても、船を返してしまうという、退路を断つことで、最高潮の士気を高めることにも成功した。
 すべてのことが計算通りにいったのも、最初に立てた計画が、すべてにおいて、ピースがうまく嵌ったということだろう。
 ジグソーパズルで一番難しいのは、九割以上完成してからであって、どこか一つピースを間違えたりしていると、そこに築くまでにかなり時間がかかるということである。
 つまり、
「まずい」
 と感じてしまうと、もう時すでに遅く、収拾がつかなくなってしまうといっても過言ではない。
 逆にいえば、九割まできちんとできていれば、その先は自信をもって結果を導き出せばいいだけなのだ。もし、途中で間違いがあったとしても、取り返しがつくだけのものである可能性は高い。それを、厳島の戦いは証明しているのかも知れない。
 さらに、
「油断をしていると、相手の作戦に見事に引っかかる」
 という意味で、
「寡兵でも、大軍を打ち破れる」
 という作戦があることを示した戦法が実際にはあった。
 いわゆる、
「捨て身の攻撃」
 という言葉が一番よく似合う戦国大名というと、
「薩摩の島津氏」
 ではないだろうか。
 関ケ原の合戦において、石田三成率いる西軍についてしまい、味方がどんどん、壊滅していく中。的中の中に取り残されてしまった。
 そこで彼らの取った作戦は、的中突破であった。一気呵成に的中に飛び込んでいき、相手が怯んでいる間に、一気に駆け抜けるというものだ。
 被害は甚大であったが、さすが武士道というのは残っているようで、必死になって逃げていく島津軍を、追いかけることは最後はしなかったというから、それだけ悲壮感が漂った、潔い作戦だったのだろう。
 さて、お話は、ここではなく、島津氏が得意とする作戦であった。
 いわゆる、
「釣り信瀬」
 という作戦であるが、これは、
「寡兵が、大軍に打ち勝つ」
 ということを基礎にした作戦である。
 まず、軍を三つに分ける。一つは主力軍であり、あと二つは少数の兵であった。
 兵を分けておいて、まず、主力が、敵前に討って出る。すると相手は、
「向こうは寡兵である」
 ということが分かるので、一気に叩き潰そうと、何も考えずに、数にものを言わせて突っ込んでくるだろう。
 すると、こちらは、怯んだふりをして、一目散で後ろに退いていく。
 ただ、それも、作戦であり、最初に討ってでるふりをして、実は、途中で引き下がるということは計算済みであった。
 相手は、こちらが怯んだと思い、この期に一気にと思い、まわりを気にすることもなく突っ込んでくる。そこで、ある地点までくると、その両脇に潜んでいた別動隊が、姿を現すのだ。
 そして、後ろに下がっていた本隊が、踵を返して襲い掛かってくる。
 つまり、相手は三方から挟み撃ちにされるというわけだ。
 相手は一気に叩き潰そうとして襲い掛かってくるのだから、しかも、人数的に有利だと思っているので、陣形に守りの体制などまったくないにちがいない。あったとしても、防御の体制は取っていないだろう。そうなると、三方からの挟み撃ちは、完全に全軍が浮足立ってしまうことになりかねない。
 完全な、
「形勢逆転」
 というわけだ。
作品名:歴史の傀儡真実 作家名:森本晃次