「軍人の魂」と、「知恵ある悪魔」
今回の状況を見て、毎朝の経済討論番組で、専門家が語るのだが、いつもは、ありきたりのセリフを言って、それが、株価の安定に一役買うという、いつもの、
「お約束番組」
であったが、
「今回の株価は、いつもの政府への信頼感に左右されたものではないですね」
という専門家がいたことで、少しいつもと、話の内容が違った。
朝の情報番組の中に一コーナーなので、いくらでも、時間配分の変更ができるということで、いつもなら、十五分くらいで終わるところを、三十分に拡大して、討論することになったのだ。
少々の株価変動に動きがあっても、時間を変更することはないのだが、今回時間の変更に踏み切ったプロデューサーは、専門家の先生の顔色を見て、ただごとではないと判断したのだった。
この判断は正しかったのだ。夕方になる頃には、経済界は波乱に満ちていて、夕方の番組では、経済専門家が、どのチャンネルをひねっても、出てくるというありさまだった。
専門家には、何が問題なのかということは分かっていたが、それは現象の結果として、
「これでは危ない」
という結果が出ているからであって、なぜそんなことになったあのかということは、まったく分からなかった。
「それが分かるくらいなら、こんなに騒ぎはしない」
と専門家は思っていた。
今回の事例は、
「問題が起こっても、解決までにはすぐに向かうのだが、原因が分からない」
というものであった。
「今回は、事なきを得たが、問題が少しでも違った形に推移していたら、どんな結果をもたらしたか、誰にも想像がつかないだろう」
というようなことだったのだ。
だから、ニュースで専門家が騒いでいるわりには、投資家の人たちには、よく分かっていなかった。
「何をそこまで騒いでいるんだろう?」
と思うのであって、専門家は、自分たちの目で見ていることと、投資家の目線で見ていることが違っていることで、投資家には、
「どうせ分からないだろう」
と感じたが、投資家には専門家のような広い視野で見ることはできず、あくまでも、自分しか見ていない狭い視野の連中には分からないことだった。
専門家も経済界が混乱しなければ、投資家がどうなろうが関係ないと思っているのだろうが、経済界の混乱は、専門家の責任になることで、投資家を見捨てることはできなかった。
それを思うと、専門家にとって、投資家は、嫌いな存在でしかなかったのだ。
「なんで、あんな自分のことしか考えない連中まで、俺たちが救ってやらなければならないんだ?」
と思っていた。
最近の投資家は、自分たちのやり方を独自に開発し、他人を蹴落とすまでの捜査ができるまでになった。
しかし、それを頻繁にやってしまうと、経済の動向が不安定になり、下手をすれば、収拾がつかなくなってしまうので、そのような迷惑行為を取り締まる法律は成立していたが、投資家の方でも、そんな法の抜け道を考えるところまでいっていた。実際に、投資家専用のコンサルタント業もあり、彼らは金がある分、そんなコンサルタントを雇い、少々の法律違反も辞さないくらいの行動をとるようなっていた。
政治家が、裏で暗躍をするというのは、どこの国にもあることだが、この国においては、経済界までも、裏で暗躍をするのが、当たり前のようになっていて、そこに専門的なフィクサーがいることで、成立していた。
しかし、この国は、国家の力としては、かなり弱いものだった。裏で暗躍していたとしても、投資家の力というのは、国家運営における資金面では必要不可欠な存在だった。
かつての帝国主義の時代において、経済界を財閥が握っていたのと同じような感じである。
あの頃は、財閥という限られた巨大な企業グループが政治に介入したりしていたが、この国では、個人の投資家が、フィクサーを雇って、それぞれで勝手に暗躍する。政治家でも金のある人は、そのうちの有力な投資家と組んで、政治に介入しているのだ。
専門家も、そのあたりは分かっているが、彼らを規制すると、とたんに政治が滞ってしまう。完全に、彼らは必要悪であり、簡単に、規制することはできないのだ。
政治家の中に。今までまったく目立つことはなく、そのわりに、徐々に陰で力をつけてきた人がいた。
彼が目立たなかったのは、年齢的にもまだ四十代前半という、完全に若手だということで、誰もその男を意識もしていなかったのだ。
特に政治家というのは、勤続年数よりも何よりも、
「年齢が上の者が上である」
という、完全な年功序列だったのだ。
ここまでハッキリとした年功序列は世界でも珍しいくらいだった。これこそ民族性であり、学校でも、一般の会社でも、すべてが、年齢によって、上下が決まっていたのだ。
そんな社会なので、表向きの体制としては、民主主義を歌っているが、実際には国家にあまり自由はない、どちらかというと、封建的なところがあり、そのために、どうしても、中央集権を取ることができない政府にも問題はあるのだ。
封建制に近くなるのは、政府にそれほど力がないからだが、それは政府自体が機能しているわけではなく、個人個人が強いために、意見の一致場ないために、どうしても政府は弱体だった。
それでも、政府が転覆しないのは、政府のまわりの地方でも、
「何かあったら、政府のせいにできる」
ということで、政府を潰してまで、地方の力が強くなるということを望んでいないからだった。
この国は、比較的自由だった。それは自由にしておかないと、政府の力がないので、抑えることもできず、抑えてしまうと、他から攻められた時、ひとたまりもないという情けなさだったのだ。
「こんな、弱小な国なのに、よく独立国家として成り立っていけるよな」
と他の国の人はそう思っていることだろう。
しかし、この国には、他の国にはない。それでいて、なくてはならない資源が存在したのだ。
下手に侵略したとしても、今度は侵略したところが狙われて、不安定な状況になり、一歩間違えると、火薬庫になりかねない。
そのため、弱い政府であっても、国家としての体制があり、何かあった時は、国際連合が軍を率いて助けにいくという態勢が世界の常識になっていたのだ。
バックに国連があるだけに、この国の政府は弱い方がいい。国連に睨まれる形での国家運営など、これまでの歴史にはなかったことだった。
「国連の傀儡国家?」
とまで言われたが、国際法上では、この国は独立国家である。
国連としても、傀儡国家というよりも、独立国家としての体裁の方がありがたい、傀儡国家でもなく、完全な独立国家でもない国だが、近いといえば、
「国際的委任統治国家としてではあるが、表向きには、独立国家」
という態勢であろう。
厳密にいえば、それも若干違っているのだが、それはそれで悪いことではないようだ。
この国が成立したのは、第二次世界大戦が終了し、その後、アジアやアフリカにおいて、独立国家がたくさんできた時期があったが、その混乱に乗じてできた国の一つだった、
作品名:「軍人の魂」と、「知恵ある悪魔」 作家名:森本晃次