「軍人の魂」と、「知恵ある悪魔」
「早期において、大きな戦果を挙げ、米英が盛り返してくる前に、いかに一番条件のいいところで和平に持ち込むかが問題だ」
と言われ、海軍からは、半年が限界という話だったのだ。
そのため、当時の関東軍は、終戦前に、731部隊を完全にこの世から消滅させておく必要があった。
それが四年も引っ張った挙句、本土のほとんどが焦土と化してしまい、終戦も混乱の中で行われたことで、せっかくの研究も、すべて抹殺するしかなかったのだが、もう少し余裕があれば、研究結果を他の土地に持っていくこともできたはずだった。
実は、この横田少尉は、そんな関東軍の中で、研究結果を定期的に、どこかに隠すという役割を持ったうちの一人だったのだ。
もちろん、内容に関しては、最高の軍による機密と言われたので、少尉ごときに、それを破るだけの気持ちがあるわけもない。
「もし、敵に見つかりそうになったら、お前は、この資料を完全に抹殺するんだ。それだけ重要なものだ」
ということだったのだ。
だから、もちろん、横田少尉はその命令を守り、ずっとその資料を持っていたのだが、組織は、彼の事情をいち早く悟り、言葉巧みに資料を自分たちの手に収めたのだ。いくら強固に秘密を守ろうとも、彼が絶対に信じるであろう内容のことを言えば、簡単に渡すはずである。旧日本軍はそれだけ真面目で一途だったのだろう。
「それでは、大元帥閣下に、私が頑張っていることをお伝えください」
と言って、資料を簡単に渡してしまった。
ここでいう大元帥閣下というのは、軍隊から見て、天皇陛下のことである。
大日本帝国の軍部を統率できるのは、大元帥である天皇だけで、総理大臣や、陸軍大臣であっても、作戦に関して口出しできないどころか、軍議にも参加することができなかったのだ。それを、
「天皇の統帥権」
といい、憲法に規定されていたので、それを破ることは、憲法違反だったのだ。
そして、今回の一連の暗躍というのは、そんな大日本帝国軍人であった横田少尉が、かつて満州のハルビンにいて、しかも、732部隊から戦争が始まって、半年ほどで南方に転属になったということがミソであった。
しかも、比較的戦線が拡大するような場所にではなく、未開の島に転属になったのだ。本人が別に気が振れたわけでも何でもないのに、戦争が集結したという事実を知らない。
普通ならそんなことはありえないのではないだろうか。
戦争が終わっても、そのことを知らず、密かにジャングルに潜んでいて、二十年も経ってから見つかったのだ。
しかも、この島には、麻薬のようなものも存在している。
横田少尉は、日本に帰国して、さぞや国が平和になっていて、しかも経済成長が進んでいることにビックリしただろう。
ただ、帰国するまで、実は横田少尉がほとんど記憶をなくしていることに誰も気づかなかった。
確かに、横田少尉はこんな未開の島で、二十年もいたのだから、記憶の一つや二つ消えていても無理はないだろうが、ほとんどすべてが消えていた。専門家に聞くと、
「こんな環境に置かれてしまえば、無理もないことだ。しかし、失うならすべてを失っていそうなものだか、ある意味中途半端ではないか」
というのだった。
そして、日本に戻って、少しずつ記憶が戻ってきたようだが、肝心なところは失ったままだ。そこで専門家がいろいろ調べたところ、
「どうやら、この記憶喪失は、作られたものではないかと思われます」
というではないか。
「どういうことですか?」
と、国家の役人が聞くと、
「消された記憶の中に何か秘密があるのか、それとも、今残っている記憶の中に秘密があるのかですね。普通であれば、すべてを失っていると思うんですが、そうではない、本当は記憶を消したい方はすべてを消しにかかったんだろうが、横田少尉の中で、消したくないという作用が働いて、消えたはずの記憶だったのかも知れないということです」
と専門家がいうと、
「じゃあ、記憶喪失にした方は、すべての記憶を消して、しめしめと思っているのではあいかということですか?」
と聞かれ、
「ええ、その可能性はかなり高いのではないかと思うんです」
と答えた。
帰国してから、半年後。、戦争中の途中から、満州から南方に転属になったということは思い出した。だが、不思議なことに、当時の軍隊の資料に、横田少尉の転属のことは書かれていなかった。
ということは、彼の所属は最初から南方であり、彼はすでに死んだことになっていた。
軍隊として、玉砕を行った島に戦争が始まってからすぐに配属されたことになっているのだ。
記憶を少しだけ取り戻した横田少尉の口から、
「731部隊」
という言葉が飛び出してくるようになった。
当時の日本は、連合国の占領政策の名残で、
「731具体」
というのは、タブーとなっていた。
存在もすべて抹消されていて、そこにいた連中は半分は行方不明となっている。最終的に、戦犯となることと引き換えに、アメリカに実験のノウハウを売ったという話になっているが、どうやら、本当のようだ。
当然、アメリカとしては、731部隊の存在は消したままにしておきたい。横田少尉の帰国は厄介だっただろう。日本政府としてもせっかく存在を消した、
「過去の負の遺産」
なのだから、今さら出てきても困ることだった。
利害関係が一致し、その記憶をまた消しにかかった。
すると、その時、横田少尉の口から、新たな組織が案託しているという、またしても爆弾発言が飛び出したのであった。
まさか、そんな組織があるなどということを知らなかった国連は、さすがにビックリした。東亜威霊仙を考えると、最初はそんな組織の存在が信じられなかったので、横田少尉の言葉をまともに信じられなかったが、彼らの資金調達ということが、実にシビアに行われているのを聞くと、その方法から、どこまでの信憑性があるのかということも分かってきた。
一番怖いのは、731部隊というものが実際に存在していて、それを証拠となるものを他に逃がそうという意識があったことだ。
きっと、彼らは、戦争が予定通りに半年で終わるということも考えていたはずだ。予定通りに終わった時、問題になるのは、731部隊の存在をいかに隠し通せるかということだった。
史実のように、まったく何もなかったかのように、証拠の隠滅を図るのだろう。ただ、史実としては、最初の半年という計画から予定が外れて、結局泥沼に入ってしまったことにより、勝ち負け関係なく、いつ終わるとも知れない状態だったので、最終的な資料は、形として残すことはできなかったのだ。
まさか、731部隊の人たちが、明晰な頭脳から、戦争は敗戦ということですぐに終わるということを分かっていたとして、最初からアメリカなどと、取引が行われていたとすれば、国際極東軍事裁判において、逮捕起訴されなかったことも頷けるというものだ。
そんなことになっていたのだとすれば、横田少尉の場合は、証拠を持った状態で、なるべく、満州から離れたところにいて、
「まさか、満州の資料を持っているわけはない」
ということで、追及は少ないだろう。
作品名:「軍人の魂」と、「知恵ある悪魔」 作家名:森本晃次