「軍人の魂」と、「知恵ある悪魔」
「人がいなくなったのであれば、他から連れてくればいい」
と言えば、確かのその通りなのだが、
「だったら、人を滅ぼす必要があるというのだろうか?」
ということになる。
「他から連れてくればいい」
という発想は、完全に的外れで、本末転倒なのではないだろうか?
確かに戦争なのだから、
「相手を戦闘不能にすることが目的だ」
というのであれば、人を殺すだけではなく、建物も壊してしまわなければいけないだろう。
戦争というものは、完全に勝敗が目的である。だが、相手を完全に滅亡させてしまう必要はないのだ。相手が、
「降伏します」
ということで、負けを認めれば、それで終わるのだ。
ただ、その時、こちらも、壊滅状態であれば、勝利したとして、どうなるのだろう? 相手から賠償金を得たり、土地を奪ったりすれば、復興できるのだろうが、それは戦争前に目論んでいた勝利とどれだけのギャップがあるのかということが問題だ。
「戦争など、しないに越したことはない」
というべきなのだろうが、しょうがなく戦争をして、果たして、国土崩壊の一歩手前での、薄氷を踏む勝利など、誰が想像しただろう。
戦争をしなければ、滅亡するということが分かっているならまだしも、すべてを犠牲にしてまでする戦争などあるのだろうか?
それこそ、戦争というものが、実に虚しく、理不尽なものなのか、考えれば分かりそうなもの。開発された兵器で、虐殺と破壊の限りを尽くす。それが戦争であり、相手に物資を与えないというのも、戦略としては重大なことだった。
そんな世の中で、戦争が絶えず起こっていて、ただでさえ資源には限界があるのに、破壊の限りを尽くしてしまうと、資源など、あっという間になくなってしまうのではないか?
「資源を使って、兵器を作り、その兵器が、資源をさらに破壊する」
本末転倒もいいところだ。
そのせいもあるのか、地球上では、温暖化などの自然の崩壊を人間が招いたことにより、自然現象の異常気象が引き起こされ、それが温暖化につながり、母星の寿命を削っていくのだ。
もちろん、先に人類が死滅していって。sこには、何も残らないのだろう。すべては、人間による自業自得が、自然界にまでつけを回すことになるのだ。
そんなことを誰が考えるだろうか?
今でこそ、
「持続可能な開発目標」
などと言って、今さら感のあることを言っているが、実際に危機が迫らないと何もしようとしない。
人間は同じことを繰り返す。核兵器だって、開発をした科学者には、最初からその危険性も、社会の危機も分かっていたはずなのに、止めることはできなかった。そして、使用された後も、危険を悟りながら、目を背け続けた科学者もたくさんいる。
たとえは急に狭くなるが、
「警察組織は、何かが起こらないと動こうとしない」
というように、秩序を守るために、動けないというのだろうが、
「だとすれば、警察というのは何のためにあるというのか?」
という、禅問答のような会話になり、
「負のスパイラル」
が生まれるのである。
この島で、人が減ってしまい、自然だけが残っているところに入ってきた、
「クレージーカルチャー」
は、そんな採取されて残った見た目は、そのままだが、廃墟と化した誰もいないジャングルに、最初から目をつけていた。
だから、人がいなくなるのを黙って見ていたわけで、いよいよやつらの本性が現れてくるのである。
彼らにとって、そこがどのような、興亡を起こそうと、自分たちの利益だけを求めて、一切関係ないと思っていたのだ。
そんなやつらだkらこそ、他の連中には想像もつかないことが思いつき、一種の火事場泥棒ができるのだった。
元々、この会社は、他のところのように、
「何かの資源があるはずだ」
ということから、一つ一つをゆっくりち、模索していくようなことはしない。
「完全にあるものでないと、興味がない組織だ」
と言われていた。
いわゆる、
「合理主義的組織」
であった。
彼らが目指しているものは、鉱物や地下資源のような、燃料やエネルギーのようなものではない。原住民の人が普通に食しているもので、だからこそ、他の企業や組織には分からないものだったのだが、彼らの組織は、実は優秀な人材の宝庫でもあった。
元、弁護士や医者、さらには科学者などが集まってできた、頭脳集団だったのだ。
だから、
「クレージーカルチャー」
などという、いかにも怪しい名前にしたのだ。
普通常識のある組織が考えることは、
「いかに、当局から目を付けられないようにするか?」
ということであり、暗躍するための土台作りのために、目立たないようにしようというのが当たり前で、組織の名前もありきたりの名前にするのが普通なのに、いかにも怪しい名前を付けたのは、
「当局に意識されることは計算済み、しかし、最初から怪しそうだというような名前をつけていれば、いくらでもつぶしが聞く」
というものだった。
当局だってバカではない。暗躍しようとする組織を見抜くことくらいはできるだろう。だから、下手に隠し立てをするよりも、自分たちを表に出して。怪しげな様子を見せることで、却って、
「こいつら、本当はバカなんじゃないか?」
という意味で、欺くことはできるだろう。
最初から怪しいかも知れないと思わせておいて、そこでの判断からが、腕の見せ所である。
彼らのように下手に自分たちにプライドがあれば、一旦、怪しいと思って調べて、実はそうでもないと思わせれば、もうそこから先はよほどのことがない限り安心して暗躍できるというものだ。
最初から怪しまれると、その意識が相手を引き付けてしまい、なかなか気を反らせるのは難しい。しかし、その怪しむというのは、あくまでも、相手側が自分から怪しいと思ったという意識でなければいけない。それが、プロ意識というものの、盲点になるであろう。
彼らのように、自分から怪しいというのを見せてしまうと、
「いかにも怪しいものだと思わせることで、実はそうでもないと後で感じてしまうというのは、一緒に、専門家あるあるなのではないだろうか」
と言えるだろう、
そのあたりを、巧みに利用することで、一旦目を反らすと、もう一度食いついてきたとしても、
「一度、この俺たちが怪しくないと判断したのだから」
と甘くみてしまうのだ。
それは、
「一度警察が捜査した場所は、もう二度と調べない」
という心理に似たところがあるのだろう。
プロ意識の裏返しだと言ってもいいだろう。
「敵の裏の裏を掻く」
と言ってもいいが、下手をすると、正面からぶつかってしまうことになる。
ただ、それを意識していさえすれば、身構えて対処だってできるのだ。どちらにしても、敵の裏の裏を掻くという作戦は、
「どちらに転んでも、損をすることはない」
と言えるのではないだろうか。
一度、国連が意識を外した地域なので、そこに国連が踏み込んでくるということもないだろう。だからこそ、人材を表に連れ出すこともできたのだろうし、この組織は、そこまで意識していて行動しているのだから、大きな失敗はないに違いない。
彼らが目を付けたのは、前述のとおり、
作品名:「軍人の魂」と、「知恵ある悪魔」 作家名:森本晃次