「軍人の魂」と、「知恵ある悪魔」
少なくとも、科学者は分かっていたはずだが、それを敢えて言わなかったのは、アメリカやソ連の政府が、政治的な優位しか見ていなかったからだろう。
それを思うと、戦争というのがいかに、愚かなことであるかということを、人類は思い知ることができるかどうかということであった。それを知らずに、ボタンが押されていた可能性も、かなりの確率であったわけなので、冷戦の時代に、世界が滅亡しなかったというのは、ある意味、ちょっとした奇跡だったといえるのではないだろうか?
「血を吐きながら続けるマラソン」
とは、よく言ったものである。
元々、このセリフは、ある特撮番組から生まれた名言の一つであるが、これは、冷戦時代の、
「核開発競争」
を皮肉ったものだと言われる。
地球防衛軍が新型水爆八千個分の破壊力を持った、惑星破壊ミサイルを開発した。
「地球には、惑星を破壊できるほどのミサイルを持った」
ということである。
防衛軍では、皆が喜んでいる。
「侵略しようとしてくる相手に対して、我々は、ミサイルのボタンの上に手を置いて待っていればいい」
というと、
「いいや、地球に徴兵気があることを知らせるんだ。そうすれば、攻めてこなくなる」
という会話を聞きながら、正義のヒーローである、地球防衛軍に入り込んだ宇宙戦士はそれを聞いて、浮かぬ顔である
「これでいいのだろうか?」
とである。
そして、実際にミサイル実験が行われ、目標となった星は、一瞬にして粉砕された。成功に喜ぶスタッフは、まだまだ強力な兵器の開発は可能であるから、急いでさらなる協力兵器の開発を行うということを言い出した。
それを聞いた宇宙戦士は、浮かぬ顔で作戦質から出ていくが、それを気にした一人の隊員が追いかける、
「どうしたんだ?」
と聞かれた戦士は、
「地球を守るためなら、何をしてもいいんですか?」
と聞き返す。
それにこたえられないと、彼は、幹部に開発の中止を進言するというと、隊員はビックリして、
「何をするんだ」
という。
そこで少し険悪なムードになったところに、もう一人の隊員がやってきて、
「どうした?」
と聞くと、隊員が、答えた。
そして、ここから、問答が始まる。
「いや、何でもない。だがな、忘れるな。地球は狙われているんだ。きっと今の我々の武器では歯が立たない相手が現れる」
「その時のために、徴兵気が必要なんですね?」
「決まってるじゃないか」
「でも、相手はそれに対抗して、より強力な兵器を作りますよ」
「じゃあ、こっちもそれ以上の兵器を作ればいい」
という会話になっている。
そこで主事咽喉である戦士は、これ以上ないというくらいの暗い表情になって、
「それは、血を吐きながら続ける、悲しいマラソンですよ」
というのだった。
ラストでも、その言葉とともに、檻の中で永遠に回り続ける輪に乗って、走っているハツカネズミの姿が描かれているのだった。
かなり大きく端折って話をしたが、これこそ、冷戦下での、
「核開発競争」
を皮肉ったものではないか。
核兵器を開発し、太平洋の真ん中や、どこかの砂漠で、核実験を行う。それによって、自然破壊が起こり、時として、被爆者を生む。何よりもすでに、地球規模の星をいくつも破壊できるだけの核兵器を、この両国だけでもっているのだ。
そして、どちらかが先制攻撃でボタンを押せば、相手も、間違いなく報復団を打ってくる。
「完全な、絶滅戦争になる」
ということだ。
さらに特撮ドラマの中でのセリフで、
「人間というのは、そんな愚かなマラソンを続ける動物なのでしょうか?」
というのがあるが、まさに、それが言いたかったのではないだろうか?
「戦争は何も生み出さない」
というが、もう、今の世界は、戦争をすることすらできないという時代に入ってしまったのだ。
それは、抑止力ということであるが、抑止力というのは、解決策ではなく、その場しのぎであることは、永遠に動き続けることだけで均衡が保てるという、
「悲しいマラソン」
という意味で、答えを見つけることのできない、
「禅問答だ」
と言えるのではないだろうか。
麻薬栽培
そんな、禅問答を繰り返している世界の中で、原住民を奴隷、いや、人足として連れ去られていった世界に残ったものは、過疎状態と本来であれば、ゴーストタウンなのだろうが、街自体が存在していなかったのだから、荒れ果てるわけのない、元からあったジャングルが残っているだけだった。
核開発競争の中で、
「建物だけはそのまま残るが、生物はすべて死滅してしまう」
と言われる、中性子爆弾という発想があった。
そもそも、原爆などの核爆発で、一番最初に発せられるのは、中性子だという。建物は壊さないが、爆心地で最初に被害にあった人間が即死するのは、この中性子にやられるからだという。
つまり、その中性子だけを放射できれば、建物はそのままに、生物だけが死に至るということになる。
そこでは、爆風も熱戦も、他の放射能も発散させないということであろうか? それこそ、
「究極の核兵器だ」
と言えるのではないだろうか。
「国破れて山河あり」
ということわざとは、実際の意味は違うが、それまでの兵器は、
「国が敗れれば、山河も残らない」
と言えるであろう。
特に二十世紀以降の戦争においては、戦争が起こ手ば、そこには廃墟しか残らないということであった。
昔の戦争では、戦闘が終われば、わざと、その場所を焼き払うということが行われた。その理由としては、そこに残った兵器や食料などと敵に奪われるのを防ぐためということで、いくら自国の土地であろうと、徹底的に破壊したうえで、撤退するというのが、当たり前のことであったのだ。
原住民とすれば、これほど理不尽なことはない。勝手に入ってきて、勝手に戦争して勝手に焼き払われる。
もっとも、焼き払われなければ、敵が入ってきて、強盗、強奪、強姦と言った、極悪非道な目に遭うのは分かっているので、まだ、焼き払われるくらいの方がマシなくらいだっただろう。
それが戦争なのだ。
「戦争というのは、一体何を目的に行うものなのか?」
これも一種の、
「禅問答ではないだろうか?」
考えれば、
「国家の治安を守るため」
あるいは、
「侵略から守るため」
なのであろうが、世の中がっすべて戦争である時代であれば、専守防衛だけではなく、こちらから攻めるということも十分にある。
「攻撃は最大の防御」
というではないか。
スポーツや、昔の戦争などでは、先制攻撃が美徳だったりする。これこそ、戦争における、戦術の一つである。
だが、戦争というのは、選手宣誓に入ってしまうと、籠城などという戦法もある。実は籠城というのは、追い詰められているように見えているのだが、実際には攻める方がはるかに難しいのだ。
それが戦争であり、戦略と言われるものだ。
しかし、実際には、建物が残っていたとしても、そこに人や生き物が存在していなければどうだというのだ。完全に過疎化してしまった中において、何ができるというのか?
建物だって、人が住んでこその建物であるのだから、
作品名:「軍人の魂」と、「知恵ある悪魔」 作家名:森本晃次