「軍人の魂」と、「知恵ある悪魔」
「共産主義、ファシズム体制の勢力拡大」
などの、第二次大戦の勃発理由が、ほぼ、その負の遺産だったと言っても過言ではない。
帝国主義がクーデターによって、滅び、敗戦国となった国がファシズムとして再起を図り、戦争で疲弊した国家を革命というクーデターで倒したロシアの共産主義の台頭。それらは、第一次大戦の負の遺産であった。
しかも、共産主義と、ファシズムはそれぞれ、敵対視していたにも関わらず、体制よりも何よりも国益のために、同盟を結ぶという、他の国からでは考えられないような形を示した。だから、同盟を結んだとしても、それは紙切れ同様として、アドルフ=ヒトラーのように、国益がないと見れば、掌を返して、不可侵条約を一方的に破棄し、軍事侵攻に走るという、男もいたのだ。
そもそも、軍事同盟を結んだのは、両国の利害が一致したというだけのもので、そんなものは、時間が経って、状況が変わると、紙切れ同然となっても不思議のないものであろう。
それがファシズムの正体であり、独裁者の化けの皮だったのだ。
第二次大戦では、一次大戦と違って、ドイツが、ドイツ民族によるヨーロッパ支配を目論んでいた。かつての戦争に敗戦したことにより、戦争賠償を二十年分の国家予算などという法外な額を吹っかけてきたせいで巻き起こったのだから、それも当然のことだろう。
相手を生かしておくと、どういうことになるかは、自分たちの台頭で分かり切っていることである。
だからこそ、欧州を占領すれば、あとは、民族虐殺をさらに進めていたことだろう。
ユダヤ人を根絶やしにした後は、ひょっとすると、ドイツ民族以外の民族は、灘谷氏にされていたか、奴隷としてこき使われていたかも知れない。
だから、
「絶滅戦争」
と言われるのであり、イタリアも、
「かつての古代ローマ帝国の映画を取り戻す」
というスローガンを掲げていたし、同じ同盟国である日本も、
「欧州が行った植民地政策を打破し、アジアにおける大東亜共栄圏の確率においての、アジア各国の開放、そして、日本を中心に、満州国の建設における、五族協和、つまり、日本民族を中止に、漢民族、満州、蒙古、朝鮮のそれぞれの民族による新秩序を作ること」
をスローガンにしていることで、最終的には、日本民族が、アジアの覇者となるという考えだったのであろう。
それを思い知ったのは、世界恐慌によって、欧州の強大国が、ブロック経済を敷き、
「自分たちさえよければいい」
という政策をしたことで、そこに入れなかった、滅亡も見えていた国の最低限の抵抗が火種となり、第二次世界大戦を引き起こすことになったのだ。
一次大戦が終わって二十年もしないうちに始まったこの大戦は、その間に航空機による戦闘、海では空母による機動部隊としての航空機の活用、そして、Uボートなどの、潜水艦による奇襲攻撃などが、一次大戦の間に開発され、研究されてきたのだった。
それによる、
「ナチスによる電光石火の作戦」
ができあがり、世界はナチスを恐れた。
しかし、それは、連合国などの戦勝国によって、引き起こされたと言っても過言ではない。
第二次大戦は、
「起こるべくして起こった戦争だったのだ」
と言えるのではないだろうか。
こちらは、ドイツによる、航空機による無差別爆撃、そして、今度はアメリカによる、日本本土焦土作戦という、民間人だろうが関係なく、街を焼き尽くす目的で開発された、
「ナパームという名の焼夷弾」
によって、日本本土のほとんどが焦土と化した。
とどめが原爆であり、一発で、五万人以上が即死したという、最終兵器と言ってもいいもの。残留放射脳が、まるで毒ガスのように、見えない悪魔として身体に入り込む、
「神なき知育は、知恵ある悪魔を作ることなり」
という言葉の通り、大量殺戮においては、開発した人間、それを使用した人間、それぞれは、いくら頭がいいと言っても、悪魔でしかないのだ。
さらに、世界大戦が終わり、ファシズムは崩壊した。その代わり、今度は、戦勝国において、アメリカを中心とした資本主義陣営と、ソ連を中心とした共産主義を掲げる社会主義との間に、
「冷戦」
と呼ばれるものが出てきた。
冷戦というのは、大戦末期にアメリカが開発した、原爆という核兵器をかさに、相手に対して自分たちが有利な体制を築こうとするものであり、それぞれの陣営が、植民地から独立していく国家に対し、自分たちの影響力を示そうと、主義の押し付けを行い、宗主国の形をとるのである。
それにより、朝鮮では、南北に分裂、ドイツでは東西に、さらに、インドシナでは、南北に分裂した。
インドシナでは、独立しようとした現地民が、そもそもの宗主国であるフランスとの戦闘において、フランス軍を苦しめたことで、フランスは国連に問題を丸投げしてしまった。それにより、ソ連とアメリカが南北に別れたインドシナをそれぞれに支援するという態勢になったのだ。
朝鮮では、日本の支配から解放された北部をソ連が、なんぼを連合国が占領統治するという形になり、大戦終了後には、南北で戦争がはじまり、アメリカ、ソ連が直接介入することのない、代理戦争になったのだ。
南部はあくまでもアメリが軍が中心となった、国連における多国籍軍が、そして、北部は、ソ連の支援を受けた北朝鮮軍、さらには、中国人民解放軍が戦った戦争であった。今でも実際には休戦状態で、まだ完全に戦争は終わっていないのだ。
インドシナでは、本格的な戦争になり、アメリカ軍は、攻め切ることができず、国内から出た反戦運動が世界に広がり、ベトナムからの撤兵を余儀なくされたことで、
「アメリカ軍の最初の敗北」
ということになってしまった。
世界は、それをピークに冷戦が拡大し、最終的にはソ連が崩壊するまで、その後、二十年近く、冷戦が続いたのだった。
そんな二十世紀だったが、今度は二十一世紀に入り、テロによる新しい紛争が始まった。そのため、国家同士の見える戦争から、組織のテロ活動などによる、一種の。
「見えない敵」
を相手にするという形になってきた。
時代は、ステルスという、相手のレーダーをも狂わせるような戦闘も出てくるようになった。
電子戦であったり、エレクトロニクスによる戦いであったりするのだ。
それは、冷戦時代のように、
「先制攻撃をすることによって、相手からも報復を受けることになり、先制攻撃をした方も、された方も滅亡するという分かりやすい結末になるということで、武器は持っていても、攻撃は許されない」
ということになるのだ。
それはまるで、
「檻の中に二匹のサソリを入れたのと同じで、こちらは相手を殺すことはできるが、攻撃した瞬間、相手も自分を殺すことになる。つまり、触れるだけでも、ダメだということになるのだ」
ということである。
それが、冷戦の正体であり。核兵器というものの、恐ろしさでもあった。
「核ミサイルのボタンを押した瞬間、世界は滅亡する」
ということを、最初、どうして誰も気づかなかったのだろうか?
作品名:「軍人の魂」と、「知恵ある悪魔」 作家名:森本晃次