「軍人の魂」と、「知恵ある悪魔」
最近では、仮想通貨が、国家の代表流通通貨として、承認された国もあるくらいで、ただ問題として、
「仮想、架空」
というものは、その裏返しに詐欺行為が絡んでいるということは、誰もが周知のことであった。
そういう意味では、本当は、架空組織のような、
「クレージーカルチャー」
のような組織は一番危ないと思わなければならないだろう。
しかし、世界は、ある一定の標準を満たしていれば、架空の存在であっても、仮想であっても、流通を迅速にできるのだとすれば、
「それを悪とは認めない」
という風潮にもなってきた。
少々の犠牲は仕方がないという考えも蔓延してきて、世間では、コンプライアンスや、ハラスメントなどと言われている状況に逆行して、スピードを優先する世界もあるということである。
国連もその考えに同調していることで、それぞれの国家も、右に倣えということで、
「国家としては、架空、仮想を承認する」
という無法地帯へ舵を切っていった。
そのせいもあってか、
「クレージーカルチャー」
のような組織が、陰では発生しては、人知れず消えていっているようだ。
つまり、裏の世界は、完全に弱肉強食の世界であり、ある意味では、
「未開の島」
と同じく、原始的なところに立ち戻っているのかも知れない。
世の中は、
「輪廻転生」
という言葉があるように、生まれ変わるという発想であるが、世の中の文明としても、「どこかに限界があり、その限界に達すれば、また一周回って、原始から始まる」
という考えがある。
それは裏の世界では結構信じられていることであり、生まれては消えていく組織は、そのことを分かっていて、
「今の間に、頂点を極めておきたい」
という考えから。倫理や道徳などという生ぬるい考えを払拭し、
「世界を蹂躙してやろう」
とも考えていっるのだ。
世紀末に世界が滅びるという、
「ノストラダムスの大予言」
があったが裏社会では、結構信じられていた。
それは、その限界が世紀末に訪れ、恐怖の大王が、支配する世界が訪れ、ビックバンのように崩壊した社会から、また原始の時代が始まるという発想であった。
これは、日蓮宗の教えからかつて、帝国陸軍の石原莞爾中佐が、著した、
「世界最終戦争論」
に結びついているのかも知れない。
「東洋と西洋の代表が、世界大戦を引き起こし、その後、荒廃した中から、勝者の国が、生き残り、そこから、恒久平和の世界を作り上げる」
という考えであった。
そういう意味で、世界大戦を、
「絶滅戦争だ」
と言った人がいたが、
「それは実に的を得ていることだ」
と言っても過言ではないだろう。
かつての戦争は、二十世紀に入った頃から、
「絶滅戦争」
と言われた。
それは大量殺りく兵器が開発されたからであり、それによって、被害者が、それまではほぼ兵士に限定されていたものが、民間人を巻き込むようになった。
第一次世界大戦では、最初は、オーストリア=ハンガリー帝国と、セルビアの戦争が、それぞれの国が結んでいる、
「軍事同盟」
によって、オーストリア=ハンガリー帝国側には、ドイツ、オスマンの両帝国が、そして、セルビアには、ロシア、イギリス、フランスなどが付き、戦争はヨーロッパ全土に拡大した。
というのも軍事同盟として、同盟を結んだ片方の国が、どこかと戦争を起こせば、自分たちも戦争に参加する」
というような同盟だったので、一つの国が戦争を起こせば、同盟を結んでいる国々が、三つ四つと参戦し、一気に世界大戦に至るのも、無理もないことだった。
当時の戦争は、基本的に大砲による飛び道具と、あとは歩兵による衝突が主だった。そのため、戦場には、攻め込まれないように、鉄条網が築かれ、大砲に備えるために、塹壕なるものが彫られて、ゆっくりと距離が縮まっていくというのが、戦争勃発当時のスタンダードなものだった。
そのため、戦線は膠着し、塹壕の中に潜んで、両軍はなかなか動かないという事態に陥っていた。
そのため、塹壕に潜んでいることでのストレスや、体制からの、身体が固まってしまうような病気が発生したりした。
そのうちに、いろいろな新兵器が開発されて、戦況区は徐々に大量殺戮に向かうようになる。
戦場において、まずは、球を防ぎながら、前に進むということで、戦車が開発された。足場の悪いところでも、進むことができるように、キャタピラのついた戦車は、素晴らしい発明だったのだろう。
ちなみに戦車の発案者は、当時海軍大臣で、のちに首相となる、イギリスの、ウインストン=チャーチルであった。
彼は農作物を耕すトラクター開発にヒントを得て、戦車の発想を思い浮かべたのだが、この戦車が戦争を膠着状態から変えていくことになる。
そして、さらに恐ろしい兵器がほぼ同時くらいに、ドイツ軍が開発した。
それは。目に見えずに、音もたてずに忍び寄ってきて。兵士を苦悶のるつぼに叩き込み、命を奪って行ったり、生き残っても、重度な後遺症に悩まされたりする。
それが、大量殺戮を可能にした、
「毒ガス」
というものであった。
空気よりも重いガスは、一旦放たれると、風向きによって、地を這うように、敵に忍び寄り、気が付いた時には、地獄絵図であった。
何しろ、見えないのだから、どうしようもない。ガスマスクでもしていないと防げないが、マスタードガスなどのような強力なものは、マスクをしていたとしても、肌から侵入する。身体全体を鎧のようなもので、空気が入ってこないような重装備でもしていないと、ほぼ全滅は必至だった。
ただ、そんな装備は不可能であり、できたとしても、戦闘などできるはずもないだろう。毒ガスの恐ろしさはそこにあり、毒ガス合戦となるのも、必死だった。
ただ、毒ガスは、両方が持っていれば、一方からしか使えない。なぜなら、風上から風下でなければいけないからだ。
自軍が風下になってしまうと、毒ガスを巻いたところで、自軍が全滅してしまう。そうなると、風向きが大きな戦闘のカギを握ることになる。
毒ガスというものが、大量殺戮兵器として戦場に登場すると、当然相手もさらに強力なものを作ってくるだろう。さらに今度は相手がそれに勝る兵器を……。
というように、どんどんエスカレートしていくのだ。
それこそ、
「血を吐きながら続けるマラソン」
であり、アリジゴクのような、
「大量殺戮という負のスパイラル」
が永遠に繰り返されるということになるのだ。
第一次大戦は、文字通りの消耗戦争となったことで、国内において、戦争反対や政権に対してのクーデターが起こり、当時の帝国と呼ばれた体制が、ことごとく崩壊していったのだ。
「ロシア帝国、ドイツ帝国、オーストリア=ハンガリー帝国、そしてオスマン帝国」
などである。
したがって、オーストリアを中心とした国々に帝国が多かったことで、ドイツやオーストリアなどが敗戦国となったのだ。
その後の第二次大戦は、ほぼ、第一次大戦が残した、
「負の遺産」
によって、引き起こされることになったと言っても過言ではないだろう。
「ナチスの台頭、ドイツの再軍備」
「世界恐慌」
作品名:「軍人の魂」と、「知恵ある悪魔」 作家名:森本晃次