「軍人の魂」と、「知恵ある悪魔」
そうすることで、奴隷としてではなく、人足として働く中で、ほぼただ同然に働かせることが半永久に続くことで、今の投資も完全に回収できるという考えから生まれてきたのだった。
最初は、政府の考えが嵌ったのだ。
なぜなら、彼らは国民に支配されることで、自分たちが今までやってきたとこよりも、楽だということに気づいたからだ。
ただ、これはあくまでも、偶然の産物であって、
「ケガの功名だ」
と言ってもいいだろう。
しかし、その気持ちが永久的に続くものではなく、どちらかというと、
「ただの通過点」
でしかなかったのだ。
それが、政府にとっての誤算であった。
奴隷と支配者との間に、交流が生まれ、本来であれば、奴隷制度は一時期のものであり、いずれは政府に奴隷を、
「返還」
しなければいけないということであったが、支配者連中が、そのことに抗議を寄せてきた。
国家とすれば、
「だったら、奴隷を有料にして、協力金の一部を返還させることにするが、それでもいいのか?」
ということになった。
国民は、
「それでもいい」
というではないか。
相手を奴隷としてではなく、対等な相手として見るのであれば、ハウスキーパーを雇っているのと同じことであり、それに対価が伴い野茂当たり前だ。
今までの協力金と、無料だったことで浮いた資金で、これから彼らを養っていったとしても、これから受ける奉仕に比べれば、何でもないことだった。
しかも、完全に情が移ってしまっている。友達ともいえる相手をみすみす政府に返還するというのは、それこそ、人道に反することであった。
国民の、反対運動も辞さずという態度に、政府も強硬な態度はとらなかった。
そこで、政府は今回の関係を、モニターと考え、その効果を検証してみることにした。
専門家が割り出した結論は、実際の事実経過と、そんなに変わるところはなかった。そうなると、まだこちらに連れてきていない連中を洗脳することは難しくはない。出稼ぎ労働者のような形で扱うのであれば、別に何ら、問題はない。
彼らもこちらに来ることで、毎日の生活を、明日の食事の心配をすることもないので、安心であった。
そういう意味では、
「奴隷として連れてきたことは、政策としては失敗であったが、それをモニターとして切り替えて考えたことで、うまく行ったんだ」
ということを理解できたことは、彼らを使うという意味だけでなく、これからの政府の方針を考える際の、指標になるだろうと考えるようになった。
そういう意味で、この政府の政策は、曲がりなりにも成功したと言ってもいいだろう。
国連も、表から見ている分には、この国の政策は、これからの未開人の国に対しての、
「モデルケース」
として、マニュアル化することを推進していた。
この国から、アドバイザーとして招いて、教授を受けたが、実際には、
「棚から牡丹餅」
的なことでうまくいったことなので、マニュアルがどこまで通用するかということは、ハッキリとはしていないだろう。
そんな政府と国連の考えをよそに、国家の中での未開人が、次第に勢力を持つようになってきて、そのうちに、市民権を得るまでになるのに、そんなに時間はかからなかった。国民は一つだという考えが、国民の中に浸透していたからである。
そんな国家の元々の思惑とは違っていたが、結果としてうまくいったことを、
「事なきを得た」
というのだろう。
絶滅戦争
原住民が、次々と島から連れ去られているということを、他国に知ることとなった。結果的には、国連を通して、全世界にセンセーショナルなニュースとして知れ渡ることになるのだが、そこは、すでに、迎え入れた国家としては、彼らが平和で無事に生活していることで、連れ去ったことを、とやかくいう国はなかった。
むしろ、他国としても、彼らのやり方が成功例として、
「いずれ自分たちもそれに乗っかっていければいい」
と思っていたのだ。
前述のように、国連常任国だと言っても、ほとんどの国が、自分たちに関係なければ、さほど問題にすることはないと思っている。
「君子危うき日香らず」
という言葉、そのままである。
したがって。
「彼らが平和に暮らしているんだったら、別にそれを問題にすることではない」
と思っていたのだ。
本当は、住民を取られた島の方が問題かも知れないのだが、それはあくまで、先進国のように、
「人は一人では生きられない」
という、助け合いの精神がなければ生活していけないという、悪いい方をすれば、
「弱いがゆえに、頭がよくなくてはいけない」
というべきか、
「頭がいいから、身体が退化してしまって、よわくなった」
というべきなのか、まるで、
「タマゴが先かニワトリが先か」
という理論のようではないか。
そういう意味で、国連がこの島に対して、住民の流失を認めてしまったということで、口出しができなくなってしまったと解釈した、某国のある組織が、この島に目を付けた。
忘れているのかも知れないが、その土地はまだ未開の土地であって、どんな資源が眠っているか分からない。島全体を買い占めるだけの金はなかったが、統治権を買うことはできた。
この島のような国家としては、未開すぎるところに対して、国連が介入するということはリスクが大きいということで、委任統治を募ることにしていた。
そこで立候補できるのは、国家だけとは限らない。ある団体、企業であっても、かまわない。
そういう意味では、一個人であってもいいというくらいだった。
さすがに小さな島とはいえ、一つの国家に匹敵するくらいの島を個人が保有するとうのは無理がある。組織や企業単位が一番だろう。
ここで名乗りを上げてきたのは、いわゆる。
「裏組織」
であり、一般的に名前の知られていないところであった。
そのため、この島の統治委任県を買い取った組織があるとはニュースで知っていても、知らない組織なのだ、いちいち世間も調べたりはしない。そこまで見越した組織の考え方が、勝っていたのだ。
統治権を手にしたということは、その国の法律は、この組織が決めることができる。政府というものがあったとしても、まったく決定権はない。国家運営の組織は島内にあっても、お飾りである。
すべての決定権は、統治権を持った組織にあり、完全に、その島は、組織のものだったのだ。
その組織というのは、
「クレージーカルチャー」
という組織だった。
つまりは、
「狂った文明」
とでもいうべきか、彼らが狂った存在であることに違いはないのだった。
組織というのは、文明がなければ、自分たちが文明を作るだけの小回りの利く団体でなければならないのだった。
「クレージーカルチャー」
という組織はどこの国に所属しているのか分からない。組織名は存在し、少なくとも、統治権を国連から購入できるだけの、
「実態なるもの」
は存在しているのだ。
しかし、今の世界には、仮想や、架空などというものがたくさんある、何しろ、
「仮想通貨」
などというネットを使って購入できる機能が主流になってきた。
作品名:「軍人の魂」と、「知恵ある悪魔」 作家名:森本晃次