「軍人の魂」と、「知恵ある悪魔」
しかし、来たる決戦は来なかった。それ以前に、本島の方に、米軍が奇襲してきて、上陸を許してしまった時点で、実質的な戦争は終わってしまったのだった。そのため、別動隊は忘れ去られ、彼らは命令を忠実に守り、この島にとどまっていたが、一人、また二人と、島の自然に太刀打ちできずに死んでいった。
横田少尉だけは、何とか生き残り、運よく、原住民と心を通わせて、今まで生き延びることができたのだった。
今回、横田少尉が帰国して、一時のブームもあっという間に去ってしまうと、残ったのは、相変わらずの原住民の生活だったのだ。
彼らは、ここで暮らすことが、運命であり、それ以外は考えられないと思っていた。だから最初は、他の土地に強制的に連れていかれるのは、本当は不本意だった。
しかし、彼らには、
「運命には逆らえない」
という宿命があったのだ。
運命によって、他の土地に連れていかれたわけで、そこで待っていたのは、強制労働だった。
最初は、
「どうして、俺たちがこんなことをしなければいけないんだ?」
という素朴な疑問だった。
家に入って、家事をさせられたり、農作業のようなことである。頭を使ったり、今までの経験値を生かして、自然と読んだりもしないで済む。彼らにとっては、毎日が生きるか死ぬかという状態だったので、
「生きるためにがどうすればいいか?」
ということを真剣に考え、考えが間違っていれば、食べ物はなくなり、次の日には、死んでいるという状態だということは本能で分かっている。
それを思うと、こんな生きるということに対して、別に関係のないようなことをどうしてしなければいけないのかが不思議だったのだ。
要するに、
「戦争中に、まわりの人はどんどン戦って死んでいっているのに、自分だけが、戦争にもいかず、家事をしているような感じだった。彼らとすれば、そんなことをしている自分が情けないくらい」
だったのである。
しかし、家事をしているだけで、ちゃんと食べ物も与えてくれる。自分たちも文明人と同じものを食べさせてくれるのだ。しかも、衣類も住まいも提供してくれる。自分で探してきたり、奪い取ったりしなくてもいいのだ。
「至れり尽くせりではないか」
と感じることで、
「自分はこんなに楽をしてもいいのだろうか?」
と思うようになり、さらに、
「まさか、こっちの方が本当なのではないか?」
と感がることで、今までの生活が何であったのか、そして、今のこの生活が、こんなに楽でいいのかという、まわりが見る目と、まったき逆の意識を持っていたのだ。
それだけ、彼らの意識は、現代の文明人とは、かけ離れたものだったに違いない。
彼らには、夢のようなものというのはあるのだろうか? 毎日をその日暮らしでやり過ごし、当然、継続的な生活ができているわけでもない。そこに、夢や目標などないだろう。あるとすれば、
「生きていくということをいかに継続させられるか?」
ということに限られるのではないだろうか?
文明人の方からすると、この国の奴隷制度は少し変わっていたのだ。元々奴隷制度などというものを利用していたわけでもなく、
「お手伝いさん」
であったり、
「ハウスキーパー的な職業」
というのも、この島には存在しなかった。
それらの制度は、国全体が豊かで、個人個人がそれ相応の豊かな生活をしていることでできるものだった。
一部の特権階級の人たちがそのような贅沢な生活ができたとしても、必ず、底辺から不満が起こり、クーデターのようなものが発生していたかも知れない。
それが、
「あってはならない時代」
というものを作るのであって、下手をすれば、国家の滅亡を意味するものとなったであろう。
「下剋上のような世界」
を、上層部は恐れたのだった。
それなのに、
「奴隷制度などを推奨するというのは、一体どういうことなのか?」
と考えさせられる。
だが、ここには、国家の思惑があった。
この奴隷というのは、そもそも、普通の奴隷制度のように、自分たちの都合だけで、勝手に奴隷を迫害することは許されなかった。
もっとも、そんなことをしようものなら、あまりにも育った環境の違う連中を初めて相手するのだから、何があっても、命の保証はないと言われていた。
それでも、奴隷制度のようなものをどうして国家が推し進めるのか、庶民には分からない。
彼らを受け入れることにしたのは、他でもない、島の政府であった。
急進的に諸外国に追いつこうとしていることで、かたや、先進国の文明を受け入れてきたのだが、そこで補うべき、人足をいかに補充するかというジレンマから、
「未開人を、うまく飼いならして、人海戦術のための要員に育てる」
ということを目標に、この奴隷制度のようなものが生まれた。
この奴隷制度は国家からの押し付けであり、うまく国家運営ができるようにするのが一番の目的ということで、まるでモニターのようなものだtt。
そのために、奴隷を雇ってくれた家庭には、奴隷の使用料は、すべて国家持ちであり、警備員も、一家庭に一人つけるという、大盤振る舞いだった。
それでも最初は、
「あんな、どこの馬の骨とも分からない民族を家に入れるのは、恐怖以外の何物でもない」
ということで、誰からもモニターになってくれる家庭が現れなかったが、国家の最終手段として、
「この制度が軌道に乗らなければ、国民にS徴兵制をしくことを、閣議に提案する」
ということが発表され、議会の中で賛成派が増えていき、
「閣議決定も時間の問題だ」
と、マスゴミなどで、煽られたせいで、さすがにここに至って、国民も渋々従うしかなかったのだ。
「まさか政府がここまで強引なことをするなんて」
と、国民も政府の本気度に、恐れを感じていた。
そんなこんなで、政府の考えが、この期に及んで、いよいよ奴隷制度の足場を固めることになった。
実際の目的達成までには、何段階もステップを踏まなければいけない。今のところは、諸段階であるが、実は一番の味噌が諸段階であった。諸段階を乗り切れば、半分近くは目的に近づいたことにあるだろう。
「百里の道は九十九里を半ばとす」
という言葉があるが、まさにその反対である。
この奴隷制度がうまくいくか行かないかは、
「それぞれの立場でいかに、相手の考えがどこまで分かるか?」
ということに掛かっていると言っても過言ではないだろう。
お互いに、奴隷と使う側がお互いに分かっていないと、それぞれが探り合いになる。
元々、奴隷というのは、それぞれに、立場が分かっていることから、支配する方は、安心して、支配される方は、諦めの境地でしたがっていたのだが、この場合は、最初から人間関係を作らないといけないところから始まる。
そもそも、支配する側に、
「支配している」
という意識もなければ安心感もない。
むしろ、相手が逆らってこないかという恐怖が先に来ているのだ。だから、必要以上に気を遣っているのだし、しかも、国家が強制的とはいえ与えた相手なので、傷つけるわけにもいかない。
作品名:「軍人の魂」と、「知恵ある悪魔」 作家名:森本晃次