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「軍人の魂」と、「知恵ある悪魔」

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 外国人は、未成年よりも、制限が厳しい。そのすべてを代理人の許可がなければできないのだった。
 ただ、代理人が認めればほぼ問題なく、国家によって裁かれることはない。
「政府による外国人就労不介入の法律」
 というのも成立していた。
 ということは逆にいえば、
「外国人が、代理人から迫害を受けていたとしても、国家が介入できない」
 ということで、彼らは、代理人という立場の雇用主から、逃れることはできなくなるのだ。
 これが、この国における、
「奴隷制度」
 であった。
 この国自体が、民間に口を出してはいけないという体質になっていて、国家は、ほとんど介入できない。
 彼らは雇い主である企業から、死ぬまでこき使われることになる。
 入国時は、気軽に声をかけ、この国の人間は親切だということを印象付け、実際には、不介入を盾に、奴隷として扱う。
 国家にはどうすることもできない。
 できないどころか、企業とグルなのだから、
「奴隷は死ぬまで奴隷だ」
 ということになるのだ。
 そんなやつらを雇うことができるようになり、国家が口出しをしないということで、企業側から、国家に闇金が回るのだ。
 これが、
「国家ぐるみの人身売買であり。そこに人権などというものは存在しない。そもそも外国人は、入国した時点で、人権などないのだ。
 さんざん甘い口を開いておいて、実際には奴隷としてこき使うことができるような体制を作っていたのだ。
「俺たちは、騙されたんだ」
 と、すぐにはピンとこないようなカラクリになっているのだろうが、いかんせん、彼らの頭脳は天才レベルであった。
 奴隷としてこき使われるのは、本当は嫌だったが、本国に強制送還させられるのも嫌だった。
「これだけ、この国の素晴らしさを見せつけられたら、もう、元の国に戻ることもできない。一度踏み出してしまった足を退かせることもできず、自分が、騙されているという感覚にならないように、最初から計算された自体だった。要するに、気づいた時には、もう遅いということであろう」
 そんな風に、奴隷たちは感じることだろう。

                 国家の体制

 だが、彼らが実際に文明に触れるとどうだろう?
 確かに最初は、彼らが奴隷にされることを嫌がっていたのだが、嫌だと思っている理由は、まわりが見ているのと若干違っているようだ。
 普通に、
「奴隷にされるのは嫌だ」
 というのは、自由を奪われ、自分たちが利用されることに対して情けないという思いからではないかと思うのが、外部から見た人の考えではないかと思うのだが、実際にはそうではない。
 彼らは、自由を奪われることに対して別に嫌だと思っているわけではない。むしろ、縛られることで、自分たちが何かを判断しないで済むことに、気楽さすら覚えているくらいであった。
「では、何が嫌だと思っているのか?」
 ということを聞かれると。
「自由になることで、他人とかかわらなければいけないことが嫌だった」
 というものなのだ。
 彼らの原始的な世界では、他人という意識はない。それでも何とかなってきたのは、こちらの世界でいう、
「本能」
 というものが、生まれつき備わっていて、遺伝子がそれを助けているのだろう。
 もちろん、彼らに、本能や遺伝子なる言葉を言っても意味が分かるはずもない。しかし、「自由を得ることによって、今まで持っていた本能が薄れてくるのではないか?」
 と考えることが怖かったのだ。
 実際には、そうではないかも知れない。しかし、そう思い込んでしまった自分が怖いのだった。
 文明というのは。そんな本能を打ち消すものなのかも知れない。運命の代わりに、集団で生きることを覚える。人とかかわることで、お互いに生きていこうという絆が生まれるのだが、それとほぼ同じくらいのタイミングでであろうか、まわりとかかわることで、反発してしまう思いが沸いてきて。それが、相手に対しての疑心暗鬼であったり、猜疑心となってしまうのだった。
 それが、嫉妬になったり、競争心として湧き上がってくる。そのどれもが、元は同じ感覚からではないかと思うのだが、それだけに、この気持ちから逃れることができなくなってしまうような気がするのだ。
 というのも、その闘争心が、相手を侵略するというものに変わってしまうと、次第に人間観で、上下関係が生まれてきて。まわりを従えたいという思いが生まれてくる。それが征服欲だというものだと分かると、それ以外の欲も感じるようになるのだった。
 ここまでくれば、
「人間は欲というものと切っても切り離せない関係なんだ」
 と思うようになる。
 しかし、この欲を持っているのが人間であり、欲があるから、人間関係をよくもできるし、あるいは、悪化させてしまうことになるのだろう。
 だが、この欲はなければいけないものなので、もし、それが悪い方に展開することになったとすれば、この欲が、
「悪」
 というものに変わってしまうのではないだろうか。
 悪というものを悪いことだとして、絶対に認められないというのは、
「勧善懲悪」
 という形で言われている。
 奴隷となった連中には、その勧善懲悪という意識がなかった。
 その時は、
「人間の欲というものによって自分たちが奴隷にされたのだから、自分たちを騙した連中は悪い人間で、懲らしめられなければならない立場なのだ」
 と考えていたが、
「自分たちも奴隷にされることで、生きながらえる力を与えられるのではないか」
 という前向きな気持ちもあることで、勧善懲悪とは違った感覚になっているのではないだろうか。
「懲らしめる」
 という考えも、そもそも悪である。
 それを正義として考えること自体、無理のあることではないのだろうか。
 確かに、自分たちの土地にいると、毎日を生きるのが大変である。下手をすると、明日食べ物があるか、保証はないのだ。完全な自給自足で、弱肉強食の世界。他の土地にいれば、
「人間が一番の高等動物なので、食料が手に入らないなどとうことはない」
 という意識が漂っている。
 もちろん、文明社会においても、地域によっては、飢えや病に苦しんでいう地域もあるし、今は満たされている国も、昔はまったく文明とは程遠い国もあり、天候不良によっての不作や飢饉によって、道にのたれ死んでいる人がたくさんいたりすることもあったのだろう。
 だが、この未開の島では、まったく文明というものから隔絶されていて、そのおかげで戦争というものともある程度無縁であった。
 世界大戦の頃は。このあたりは、日米の激戦区だったはずなのだが、当時の戦争における地理的優位性は、この島にはなかった。そのおかげで、戦略的に攻め込まれることもなく、逆に未開のままに過ぎ去っていったのだ。
 ただ、日本軍は、この島に兵力を温存し、来たる決戦において、出撃命令が下されることになっていた。