ご都合主義な犯罪
という思いを抱いていたにも関わらず、離れることができなかった。
その理由の一つとして、
「嫁さんを裏切った俺が、元に戻ることができるのだろうか?」
という思いであった。
奥さんは何も知らないのだから、奥さんに対して、後ろめたささえなくせば、何もなかったということにできるはずなのに、それがどうにもできなかった。
「呪縛のようなものに、挟まれているのかも知れない」
と、阿久津は感じていた。
あおいは、阿久津に対してまったく悪気はなさそうだった。
そもそも、奥さんから離れてから哀愁を漂わせていた阿久津を、自分が救ったかのように思っているのだから、悪気もないだろう、
だから、自分が男を捨てたという気持ちはない。
「どうせ、この人は最後には奥さんのところに戻っていくんだわ」
と思っていたのだ。
「一時期、奥さんを忘れさせてあげて、快楽にいざなってあげた私のどこに悪いところがあるというの?」
と感じたことだろう。
それなのに、
「どうして、あの人は奥さんのところに戻ってあげないのかしら?」
と、あおいは感じた。
あおいが、どれだけ、阿久津のことを真剣に見ていなかったのかということが分かるというものだ。
阿久津のことを少しでも理解していれば、そう簡単に奥さんの元に戻ることができない性格であるということが分かったはずだ。
もっとも、そんな性格の阿久津という男が気になったのだから、面倒を見てあげようと感じたのではなかったのか。
そういう意味では、彼女は、人のこともさることながら、自分のことを一番理解できないタイプの女性であるということなのだろう。
阿久津は、そんな女に、実際には未練はなかった。
しかし、戻ることもできず、ただ捨てられたかのようになってしまった自分が情けなく。どうせ情けないのであれば、自分を捨てた女に、もう一度すがってみようと思ったのも、ある意味阿久津の性格であった。
ここまで極端だとは、さすがにあおいも分かっていなかった。
「こんなに粘着な人だったとは」
と思うと、自分がどうしてこの男を気になったのか、見る目がなかったということで片付けていいものかどうか。悩むところであった。
そんな阿久津は、何とか追いすがったが、さすがに、
「もうダメだ」
と感じた時、
「今なら、女房の元に戻れるかも知れない」
と感じた。
それは、ダメだと思ったあおいに、ダメではあったが、恥も外聞も捨てて、すがろうとすることができたからだ。だったら、りえに対してもできるのではないか? と思ったのだが、それは、同時に、自分の帰る家がそこにあることを思い出したからであった。
その時、悪いことをしたはずの自分を棚に上げて。
「そうなんだ。あそこは俺の家であり、家庭なんだ」
と思ったのだ、
久しぶりに家に帰ると、傲慢とも思える態度を取った。
「ダメ元だ」
という思いが強かったのだ。
しかし、最初は頑なに見えたりえの態度が少しずつ和らいできたのを感じた。
りえをしてみれば、今までに見たことのない旦那の様子に、
「少しは見直せる部分があるかも知れない」
と裏切られた方がそんな風に感じられるのだから、阿久津という男は、女性に対して、心を動かせる力があるのかも知れないと思わせたのだ。
阿久津氏のそんな事情があってから、家族への後ろめたさもあって、郊外でもいいから、一軒家がほしいという気持ちになったのだろう。
りえも、その気持ちが分かったからか、阿久津氏のことをそれ以降、あまり責めたりしないし、実際に、もう不倫などということがないことは分かっていた。
ただ、たまに仕事で遅くなった時などは、会社の近くのビジネスホテルに宿泊することを許している。そんな時は、たまに風俗を利用しているようだ。
阿久津氏の性格は分かっているつもりだが、彼が、
「一つのことに夢中になれば、嫌になるまでする方であり、そのくせに、飽きるのも結構早い」
というのも、分かっていた。
だから、阿久津は、りえを抱く回数が極端に減った。
どうも避けているような気がする。たまに愛し合うことがあっても、実にタンパクだ。単調というわけでもあるが、正直、やる気がないのだ。
「余計なことに体力を使いたくない」
という思いがありありで、確かに、毎回同じ相手だと、阿久津であれば、飽きがくるのも当然のことだろう。
しかも、結構な体力を使う。ただでさえ、毎日の通勤だけで結構大変なのに、その上、セックスもと思うと、
「今日は疲れているんだ」
と言われてしまえば、どうすることもできないのは分かり切ったことだった。
そう、思うと、一軒家がほしいから、遠くに引きこもっただけではないような気がしてくる。
「今日は疲れている」
という言葉で、逃げようという気持ちがあるからではないかとも勘ぐってしまうくらいになると、りえも、そんなことを考えてしまう自分が嫌になったのだ。
だからと言って、何も好き好んで、郊外に引きこもるというのも、無理があるような気がする。
通勤は毎日なのだ。いつ、通勤のストレスが爆発するか分からない。それなのに、わざわざそれを押してまで遠くに行くというのも、どこか常軌を逸した考えに思えるのだった。
だが、実際の阿久津は、それでも、毎日の営みが辛くなると思っていたのだ、
そのせいで、少し、二人の間に一定の距離ができた。
その距離は、実は適度なものであり、近くもなく遠くもなく、ちょうどいいものだった。
放っておいても、次第にこの距離に近づくのは、誰にでも訪れることであり、そのために、阿久津は何かをしようという気にはならなかった。だから、一度のチャンスで、すべてを賄おうと考えた時、思い切って、家を郊外に買おうと考えたのだ。
幸いにも、阿久津の勤めている会社は、結構な給料を払ってくれる。彼自身にも、
「手に職」
を持っていることでもらえる額なのだが、そのおかげで、郊外とはいえ、小さな家くらいは変えるのであった。
もちろん、りえに相談し、
「都心部で高い家賃を払い続けることを思えば、思い切って、郊外の住宅地の家を買った方がいいと思ってね」
と言って、詳しい話を始めた。
こういう時の阿久津は、結構考えていて、りえなら賛成するであろうというくらいの資料は前もって用意しておき、まるでプレゼンでもするかのように準備を整えているだけに、りえとしても、なかなか逆らい難いところにいるのだった。
そこが阿久津のうまいところで、まるで、保険の資料のようなものを用意していた、さすがにここまでされると、その労力に対しての経緯と、彼の話術による説得力で、りえも賛成せざる負えなかったといってもいいだろう。
家を買ったのは、漱石がまだ、三歳になっていたかどうか、引っ越してきてから、少し落ち着いて、アムロを飼い始めるようになったのだった。
考えてみれば、りえが妊娠し、その間、阿久津が不倫をしていて、その不倫がバレたことで、離婚の危機があり、それを何とか乗り越えてから、漱石の育児問題などがあり、郊外に家を買うことにして、引っ越し後に、アムロを飼い始める……。
たった、数年でこれだけのことがあったのだ。