ご都合主義な犯罪
予期しているから何とかなっているというもので、予期せぬことが起これば、どうすればいいのか、想像もつかない。
だから、救急車などという本当に大げさなことにはされたくないのだった。
気にかけてくれた人には、
「大丈夫です、少しすれば痛みは治まりますから」
といって、まわりをなだめるのだが、考えてみれば、傷んでいる自分がまわりをなだめるというのは、滑稽なことであり、逆に考えれば、
「必死になっているのは、自分本人だけなんだ」
ということになるだろう。
そんな阿久津と、妻のりえは、
「似た者同士だ」
と言っていいだろう。
りえが、阿久津の夜中足が攣っているのを知っていながら何も言わないこと、そして、りえがパートで辛い思いをしているということを分かっていて何も言わない、阿久津氏。
この二人は、本当に相手のことをうまく思いやっているのだろう。
今の時代、
「三人に一人は離婚している」
と言われている時代に、夫婦というものを長くやっていける秘訣なのではないかと感じるのだった。
「この人がいるから」
と、それぞれお互いに対して感じていることだろう。
だが、二人が感じているのは、微妙に違っていて、それが、却っていいのかも知れないと、それぞれに感じている。
蚊の鳴く問題
そんな住宅街において、ある日、一つの苦情が寄せられた。それは、隣の家からのもので、
「どこかから、不快な音が聞こえてくるんですけど、ご存じないですか?」
というものであった。
隣の家に住んでいるのは、最近引っ越してきた若い夫婦だった。年齢的には、三十代前半じゃないかと思える新婚さんのようだった。二人暮らしにしては、このあたりの住宅は贅沢で、よほどいい会社に勤めていりのではないかと思えるくらいだった。
引っ越しの時に、一応の挨拶があったので、少しだけ話をしたが、それ以降はほとんど話をしたこともなかった。
「最近の若い人っていうのは、皆あんな感じなんだろうね」
と、引っ越してきてから、一か月も経った頃、夫婦でそんな話をしたが、それ以降は、隣の夫婦について触れることもなかった。
たまに、息子の漱石は、挨拶くらいはしているようだが、それでも、相手の対応は塩対応で、あまり、話はしたくないといっているようだった。
二人が引っ越してきてから、そろそろ二年が経とうとしている、二年も経ってしまったことで、隣を気にすることもなかったのに、いきなり、そのような相談を受けたのは、きっとそれだけ、その不快な音というのが、耳についかからであろう。
話を聞いている限り、その音の原因を、阿久津家だとは思っていないようで、思っているのであれば、もっと強硬に抗議をするだろうし、証拠を握っているのであれば、直接警察に相談に行くということもできたはずだ。
だから、向こうもハッキリとした証拠があるわけではないが、とにかく、その音には悩まされているということであり、とりあえず、相談という形で様子を見にきたのかも知れない。
「うちは気づきませんでしたけどね。どんな音なんですか?」
と聞かれて、
「何やら電子音のような音にも聞こえるし、モーターの動いているような音にも聞こえるんです」
というではないか。
「うちの方から、その音が聞こえるんですか?」
「いえ、それが分からないんですよ。電子音のようなものって、どこで鳴っているか分からないということがあるでしょう? あんな感じなんですよ」
というのだ。
ということは、どこから聞こえてくるのか、ハッキリと分からないということは、阿久津家に対しても、抱いた疑念をハッキリと晴らしたわけではないということになるのであろう。
それを聞くと、
「うちは、気づかないけど、時間帯としてはいつ頃気になるんですか?」
と聞くと、
「深夜の時間帯です。最初は虫の声か何かではないかと思ったのですが、虫の声の割には、ずっと同じ宗派の音が聞こえているような感じだったんです。それがモーターのような音かとも思ったんですが、それにしては、音が高すぎるんです。キーンという音で、モーターだったら、ゴーっというような音ではないんです。だから、モーターでもない。それに、そこまで大きな音ではないんですよ。もし、気にならない人であれば、聞こえない程度の音ですね」
というではないか。
「うーん、私たちは気づかなかったけど、うちの漱石はどうかしら?」
と言って、りえが、学校から帰ってきてから、少し経った漱石を呼んだ。
家に隣の夫婦が来ているのを見ると、少しびっくりした様子で、相手の様子を見るかのように、顔色を窺っているようだった。
漱石としても、うちと隣の夫婦が疎遠であることは周知のことだったので、しかも、相手が乗り込んできているという状態を、尋常ではないと感じたのだ。
相手夫婦と、こちらからは、母親と息子の、二対二の状態でソファーに座っている様子は、やはり一人だけ子供が混じっていると思うと、漱石は緊張で、手に汗握るというところであろうか。
「ねえ、漱石。最近、どこかから、何か変な音が聞こえてくるということはないの?」
と言われ、りえとすれば、
「漱石は何も知る由もないだろう」
と思っていたので、息子がスルーしてくれるものだと思っていた。
だが、意外にも息子は、
「うん、僕も何となく感じていたんだけど、電子音のようなものが夜中に感じられるんだよね。その音というのは、キーンというような音なんだけど、重低音に比べれば、そこまで気にはならないんだけど、深夜の静寂の中では、これから寝ようと思っていると、どうしても気になって仕方のないものだったりするんだ」
というではないか。
「そうなの? そういえば、アムロはあまり気にしていないように思うんだけど、犬って、異常があったら、鋭いから、そわそわしたりするものなんじゃないかしら?」
とりえがいうと、
「そうだね、アムロが騒ぐということは確かにないね。でも、最近、どれとは別にアムロが何やら気にしているような気がするんだ。だから、それとあの音が何か関係があるのかどうなのかが、気にはなっていたんだよ」
と、漱石は言った。
りえは、さすがに探偵小説が好きなだけあって。それなりに、推理に対して、考えるものがあった。不快な音が聞こえるということで、その音の正体に必要以上にこだわっているのは、そんなミステリーファンとしての、血が騒ぐからなのかも知れない。
「アムロが、何かを気にしているというのは、表に向かってなのかしらね?」
と漱石に聞いた。
りえとしても、本当はそのことには気づいていた。そして、表に向かって意識しているということも分かっていた。それを息子の口から証明してもらいたいという気持ちがあったのだった。
すると、息子がいうには、