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ご都合主義な犯罪

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 しかし、そんなことをすれば、旦那としての圧となって、却って、相手の自由意思をくじいてしまうのではないかと思ったのだ。
 阿久津は、時々筋肉痛で足が攣ることがあった。そんな時、苦しんでいるのをなるべく見せないようにしているのだ。
 変に、
「大丈夫?」
 などと言われると、せっかく痛みを耐えようとしているのに、それが無駄になってしまう。
 無駄になるどころか、心配された時点で、気合が一気に抜けてしまう気がするのだ。気合が抜けてしまうと、堪えようとしている痛みに逆らえなくなってしまう。
 足が攣る時というのは、大体わかるもので、
「それは当然、自分の身体なのだから」
 という意識があるからで、どこで力を入れたり、抜いたりすれば一番自分が楽なのかということは分かっているつもりだった。
 しかし、そこでなまじ心配などされてしまうと、意識が勝手に楽な方に向いてしまう。そうなると、一度気を抜いてしまうと、取り戻すことは不可能で、いかに苦しみが抜けるまで耐えればいいのかということが分からないのだ。
 今までにこんなに分からなかったことはなかった。いつから足が攣るようになったのか覚えていないが、どうも最初から、足が攣った時に、どのように力を入れればいいのか分かっていた気がした。
 それだけに、未知の世界での痛みを堪えるということが恐怖でしかないのだ。自分で最初から分かっていたというのは、遺伝子の力によるものなのかも知れないが、それだけ、
「最初から分かっていないと、耐えられるものではない」
 という意味で、
「神様が遺伝子を通じて与えてくれたものではないか」
 と感じるようになった。
 そのおかげもあってか、足が攣った時の対処法は、痛みを耐えるというのはつらいが、最小限の苦しみで耐えているような気がする。子供の頃は、なかなか慣れていなかったので、痛みを堪えている間、呼吸もできなくて、身体を少しでも動かすことができないくらいであった。
 しいていえば、
「痛みはすぐに治まる」
 というのが分かっていることだけが、救いだったといってもいい。
 やはり、声を掛けられるのがどれほど辛いのか、身に染みて分かっているような気がするのだった。
 だから、奥さんが苦しんでいる時の様子を見ていて、
「ここで自分が下手に声をかけると、りえはきっと自分を見失ってしまうに違いない」
 と感じたのだった。
 もし、そうなってしまうと、一歩間違えれば、家庭崩壊につながりかねない。いくら、りえが我慢しようと思ったとしても、自分を抑えることはできないような呪縛を与えてしまったのが自分だと気づいた時、
「俺は一体だれを恨めばいいんだ?」
 と、まずは、自分の保身から考えてしまった。
 そんな自分を決してあまり好きではない阿久津は、なるべく家族を見るように考えていた。
 そういう意味で、実は、
「りえが、パートに出たいと言った時、どこか甘く考えているようで、それが気になっていた」
 と思っていたが、その予感が的中したように感じた。
 これまで、十数年も専業主婦をやってきた人が、急にパートに出るというのは、思ったよりも厳しいと思っていたのだ。
 阿久津は、専業主婦を決して甘くは見ていない。
「毎日家事に休みはない。しかも、会社員のように、拘束時間が決まっているわけでもないし、給料がもらえるわけでもない。やって当然という思いがまわりから感じられると、本人も、やって当然という思いが募ってきて、それがストレスになるんじゃないか?」
 と思っていた、
 確かに、急にパートに出るというのも、辛いことだろうと思ったが、それよりも、今までの、
「やって当然」
 というストレスを少しでも解消するには、気分や環境を変えるのが一番だ。
 だから、パートというのも、そういう意味で悪いことではない。阿久津は、そう思うと、
「パートに出てみたい」
 と言ったりえを心配しながらも、
「気分転換になれば」
 と思って、送り出したのだった。
「何よりも、自分で仕事をして、お金をもらうということの悦びを感じてくれればいいのだが」
 と感じたが、まさか、このお金をもらうということが新たなプレッシャーに加わるとは思っていなかったことが、計算外だったといえるだろう。
「お金を稼ぐのって、大変なのね」
 と、皆がよくいうセリフを呟いたが、感じていたことと実際に口に出した時の心境が、ここまで違うとは思ってもいなかったのだ。
 そんなパート先で、だいぶ慣れてきた、りえだったが、今度は、阿久津の方が、最近、また足が攣るようになった。
 ほとんどが、寝ている時に、急に来るのだが、そんな時は、目をカッと見開いて、その痛みを堪える自分を思い浮かべるだった。
 声を押し殺して、りえに見つからないようにする。額に脂汗が出るほどなのだが、堪え方は自分で分かっているので、何とかなるのだった。
 痛みを堪えていると、りえは、スヤスヤと眠っている。それに気が付くと、足の痛みが徐々に緩和されていくのだが、だからと言って安心はできない。
 そこで気を抜いてしまうと、足がけいれんしている状態なので、今度痛みがくれば、その時の痛みは最初の倍増であった。
 二度目の痛みを堪えるのは、結構大変である。なるべく二回目を起こさないように気を付けるようにしている。
 足が、ひくひくしていると、そこで呼吸を止めることが、痛み回避の一番だった。二回目が襲ってくると、一回目のように、りえの顔を見るという神通力は通じないのだ。だから、痛みが起こってから収まっても、そのまま寝ようとはせず、一度トイレに行くことにしている。
 立ち上がる時は、本当に痛くて耐えられないのだが、それを堪えて、少しでも歩くと、硬直している筋肉がほぐれてくるのか、それとも、足の痛みが慣れてくるのか、どちらか分からないが、何とか耐えられるのであった。
 そのおかげで痛みに耐えられるようになり、二回目を起こすことが減ってきた。それでもその一回の辛さは、二日ほど続く。それでも、歩いていれば筋肉がほぐれてきて。いつの間にか痛みを堪えられるようになる。
 最初は、ふくらはぎを少しでも触ると、筋肉の筋が、血管のように浮き上がってしまっていて、触ると、ドックンドックンしているようだ。
 だが、必要以上に触ると、また足がひくひくしてきて、足が攣るという状況を生み出してしまう。
 表で足が攣ると、まわりは、事情も分からずに、寄ってきて、
「おい、大丈夫か?」
 と騒ぎ立てるに違いない。
 これが一番本人の避けたいことであり、恐ろしいことだと思うのだった。
 あれだけの痛みを示せば、普通なら、まわりにいる人は黙っているわけはない。救急車を呼ぼうとする人も出てくるだろう。
 それは必至になって、止めなければいけないと思うのだ。痛みを堪えているのに、そこに下手に救急車が来て、せっかく痛みが治まっている時に、あれこれ触られたりして、また二度目のけいれんが起こってしまっては、本末転倒だというものである。
 しかも、これ以上騒ぎが大きくなると、精神的なプレッシャーから、予期せぬ足のけいれんが起こるかも知れない。
作品名:ご都合主義な犯罪 作家名:森本晃次