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ご都合主義な犯罪

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「犬の声、かわいいじゃない。あなたが、ちゃんとアムロに向き合わないからよ。あなたでしょう? 名前を付けたのは」
 と、りえから言われて、そういわれてしまうと、何を言っても言い訳にしかならない阿久津は、
「そうだな」
 と言って、観念したかのように言うだけだった。
 しかし、アムロが次第に大きくなってくるにつれて、かわいく感じるようになってきた。
「子供の頃の方が可愛いのに、お父さん変わってるよな」
 と、息子の漱石に言われたが、本心としては、子犬の頃の声が、どうしても耳についてしまって、離れなかったことが、その辛さに繋がっているのだった。
 だが、そんな思いを女房子供には言えなかった。
「お父さん、本当に変わっているよね」
 と言われかねないからだ。
 本人である阿久津には分かっていないが、どうやら、阿久津の行動は、家族から見ても、かなり変わっているということだ。
「家族だから、言ってくれるのであって、他の人だったら、忖度して行ってくれないわよ」
 と、りえは言っていたが、まさにその通りだ。
「人間、言ってくれるうちが華で、言われなくなったら、終わりだ」
 と、いう言葉が身に染みていたのだ。
 もっとの、阿久津も、
「別に他人が、どう言おうとも、俺は気にしない」
 というところがあるので、だからこそ、うまくやってこれたのだろうが、さすがに家族に見放されることがあれば、そのショックは計り知れないだろう。
 そう思っていると、家族に対しては気を遣ってしまう。
 そういえば、阿久津が家族に対して、意見を強行に押し付けたことは今までに一度もなかった。
 自分の意見を通そうとすることはあっても、相手に意見があれば、どうしても、相手の意見を尊重する。
 逆に表ではそんなことはなかった。
 自分に意見があれば、徹底的に主張し、反対意見があっても、怯むことなく、意見を言う。それが、まわりに対しての威圧感であり、相手に何も言わせないという迫力になるのだった。
 奥さんがいうように、まわりが愛想を尽かして、何も言わないというわけではなかったのだが、阿久津とすれば、奥さんの言う通り、
「まわりは、俺の意見をまともに聞いてはくれていないんだ」
 という思いに至り、そのおかげで開き直ることができているのか、まわりが阿久津に感じている思いとして、
「迷いがない」
 ということで、いい意味でまわりは、一目置いているのだった。
 奥さんは、専業主婦が長くて、子供が高校生になったことで、昼間はパートに出るようになっていた。
 高校生になったといっても、すぐに受験生となる息子には、最大の気を遣う必要があると感じたからか、働き先も、歩いてちょっとくらいのところのスーパーのパートだった。
 時間も、朝十時から、四時までという短期時間であったが、ちょうど人手不足ということもあり、採用してくれたのだった。
 お客さんも、近所の主婦が多く、知り合いばかりということもあって、気楽なものだった。それでも、ずっと専業主婦だったこともあって、最初は身体を動かすのに一苦労だった。
「家で掃除洗濯と、こちらよりも、きつい仕事をこなしているから、簡単にでkると思ったのに」
 と感じていたが、ちょっと考えれば当たり前のことだ。
 掃除、洗濯は、毎日の日課であり、ルーティンと言ってもいい。仕事という感覚ではなく、やらないと却って、ストレスがたまるくらいのレベルだったにも関わらず、いきなりの仕事は、
「やり慣れていないことをやっている」
 という思いと、何よりも、
「お金を稼いでいる」
 という報酬があることに、プレッシャーのようなものがあったのだろう。
 それを思うと、最初のきつさは、一つの壁であり、それを乗り越えてしまうと、あとは、「そんなプレッシャーなんてあったのか?」
 と感じるほど、楽しくできるほどになっていた。
 一つ乗り越えるだけで、こんなにも精神的に違うものかと感じることができただけでも、パートに出てよかったといえるのではないだろうか。
 少し話は違うが、以前、アムロを買い始めた時、旦那の阿久津が、アムロの声に、何か違和感のようなものを感じていたのを思い出した。
 阿久津には気づいていることを知られないようにしようと思っていたが、さすがにできず、逆に軽くスルーする形にしたのだが、その時の阿久津の心境を、この時、りえは感じたような気がした。
「あの時、あの人も、最初は違和感があったアムロの声を、なるべく感じないようにしようとして、苦虫を噛み潰したような雰囲気だったけど、そのうちに何も感じなくなってきた。あれは、今の私のように、壁を乗り越えた感じになったからなのかしらね?」
 と感じたのだ。
 りえは、今回の壁を乗り越えたことは、慣れに繋がっていると思うようになったが、あの時の阿久津もきっと、慣れてきたのだろうと感じた。
 アムロが、声変りをして、嫌な音声ではなくなったからだと思っていたけど、それだけではなく、彼が慣れてきたからなんだと思った。
 しかし、普通なら、嫌なものはずっと嫌なはずで、慣れてくるということはない人だっているはずなのだが、それが、そうではないというのは、
「壁を乗り越えた」
 という思いが、無意識かも知れないが自分の中にあるからだろう。
 その思いがなければ、慣れというのは生まれないものだと、りえは感じていて、あの時の阿久津を思い出せば、
「自分もパートを、このまま続けられるという自信を、初めて感じられるようになったのだ」
 と、感じるようになったのだった。
 パートに出るようになって、本当に最初の頃は、筋肉痛もあったりして、家での家事がかなり億劫になっていた。
 ひどい時は、頭痛が辛くて、寝込んでしまうこともあったが、
「そんなに辛かったら、パート辞めれば?」
 と夫が言わなかったことが、後から思えばよかったのかも知れない。
 もし、下手にそれを言われて、その言葉に少しでもなびいてしまうと、きっと張りつめていた気力の糸がプッツリと切れて、本当に続けられなくなっていたかも知れない。
 そうなると、精神的にどうなっていたのか、想像もつかないくらいで、ひょっとすると、家事もできなくなっていたかも知れない。
 もちろん、ずっとではないが、少しの間そんなことを感じていると、そこで起こってくる自己嫌悪に耐えられない状態となり、もし、少しでも似たような状況になると、その時の記憶がよみがえってきて、トラウマが顔を出すかも知れない。
 せっかく、立ち直っても、一度でも逃げ出したという意識が残れば、自分の繰り返しばかりの人生の中で、何度くじけそうになるかというのを考えると、
「いい加減に同じことを繰り返すのは、どんなにつらいことなのか?」
 ということが分かるというものである。
 あの時、阿久津はそのことも分かっていて、奥さんに何も言わなかったのだ。
 以前の阿久津だったら、奥さんに、
「パート辞めれば」
 と簡単に口にしていたかも知れない。
 それが、旦那としての優しさだと感じていたからで、その優しさを、与えるのが自分の旦那としての役目だと思っていた。
作品名:ご都合主義な犯罪 作家名:森本晃次