ご都合主義な犯罪
ただ、それなのに、近所づきあいは正反対の自分が見えている。そういうことなのだろうか?
このギャップが理不尽な自分を作り出している。この違いが、
「自分で自分が分からない
という状況に持ってこさせ、たぶん、これから自分を永遠に苛めることであろう……。
そんな内容のことを日記には書いていたが、何しろ精神が病んでいる人間が書いた日記なのである。常人に理解できるわけもない。
刑事としては、
「俺も常人とは程遠いんだけど、それにしても、この男の病みがどこにあるのか、正直分からないといってもいい」
と、日記を読んだ担当刑事は、そう考えるのだった。
大団円(復讐の雄叫び日記)
文章を読み込んでくると、そこから数日間で、いろいろなことが分かってきた。。
「俺は、最近、小説を読んでいる。特に探偵小説をよく読んでいる、その中で人を殺すにはどのようにすればいいか? というような話に興味がある。誰かを殺して、その罪を誰かに擦り付ける、あるいは、人を殺しても犯人だと疑われないような鉄壁のアリバイを作る。どちらにしても殺人を犯しても、自分が捕まらないようにするためだ。どちらがいいのか考えてみたが、やはり犯人がハッキリしている方がいいだろう、まず動機がハッキリしている人間がいれば、自分のアリバイが脆弱でも、動機がハッキリしている人にアリバイがなければ、警察は、そちらを犯人として、思い込みから捜査をする。相手のある倍が完璧でなくとも、アリバイを証明できないというだけで、他の犯人を浮かびあげることはできない。それが一番安全であろう」
という内容が、一日分の日記として書かれていた。
そして、次の日には、一つおかしなことが書かれていた。
「今日は、どこかから変な音が聞こえてくる。最初はどこから聞こえてくるのか分からなかったが、その声が、思わず興奮してしまいそうな、女の喘ぎ声だった。身体がムズムズしてきそうなその声に、完全に惑わされてしまう。時間帯としては、深夜の二時前くらいであろうか、そんな時間に、セックスをしているなんて、と思ったのだ。考えられることとしては、奥さん(いや、奥さんとは限らないが)の声が大きいことで、女がそれを極端に恥ずかしがって、真夜中だったら、皆寝ていると思うので、そう思えば恥ずかしくはないということで、真夜中に男女の営みの時間を持って行ったのではないか? 最近ずっとそうだったのかも知れないが、こちらは深夜には起きることなく眠っていたので、今まで相手の術中に嵌っていたと思うと、してやられたという気持ちでいっぱいだ」
というのだ。
さらにその続きとしては、
「その声は、次第になまめかしくなっていく、普通なら、なまめかしい声から次第に大きくなるものだが、こちらの方が、いやらしさの興奮は倍増してくるというものだ。そう思っていると、おや? と感じた。微妙に女の声が、何か重なって聞こえるように感じたのだ、それは和音とでもいうべきか、サラウンドが掛かったような声で、大音響にかんじられるのは、この和音のせいかも知れないと思えたのだ。最初は、秘儀となり(阿久津家に相談に来た新婚夫婦)の方からだけしか聞こえてこないものだろうと思っていたが、よく聞いてみると、反対側の隣の家からも聞こえてくる。なるほど、最初どこから聞こえてくるのか、判断にこまったのは、こういうことだったのか? という思いがあったからだった。そう思うと、サラウンドで聞こえてくる女性の喘ぎ声が、次第に時間差で感じられるようになった。そう、一小節分、少しずつ遅れて聞こえてくる、輪唱を聞いているような気がしたからだ。そう、小学校の音楽でやらされた、あのカエルの歌を思い出されたのであった。私は、女の喘ぎ声に魅了されてしまった。それまでだったら、何とかして、その場面を見ることができないだろうか? と考えたことだろう。しかし、今はそんなことを思わない、声だけを聴いているだけで、妄想が膨らんできて、このままでいいと思うのだ。逆に見てしまうと、それまで感じた妄想が、狂ってしまうようで、妄想を感じてしまうと、映像として決してみたくないことだってあるのだと初めて知ったのだ。確かに、私はマンガを見るよりも小説の方が好きだった。マンガというと、作者の絵のタッチは皆違うので、それぞれの絵があるように思うが、パターンは決まっている。例えば劇画調、少女マンガチックなタッチ、さらには、ギャグマンガ的な書き方など、あまりマンガを見ることのない人間には、どうしても、マンガのタッチがワンパターンに見えてきてしまう。それが、小説ほどリアルに描かれているわけではなく、しかも、マンガのような絵にも、ドラマの映像のような好きな俳優などを想像、いや妄想して、自分のおかずにすることができるのだ。それを思うと、想像や妄想がどれほど人間の快感を刺激するのか、分かるというものだ」
と書かれていた。
「さらに私は、これを誰も見ることのない日記だということで書くことにするが、妄想をため込みすぎて、誰かに話さずにはいられないというほどの興奮を、さすがに一人で抱え込むことはできなかった。そう、あれは自らが欲したことではなかったが、偶然が重なったとはいえ、夢のような時間を得られた瞬間だった。あの人は、回覧板を回すという単純に、隣の家を訪れただけだった。運悪く、その時私は、人には言えないような、自分で慰めるという、理性には勝てないような行動をしていた。独り身の私なので、これはしょうがないことだ。誰に避難されることもない。しかし、その女は、自分が悪いにも関わらず、私を責めた。それこそ、まるで授業中に一人でしているところを、女の先生にでも見つかったようなバツの悪さがあったのだ」
さらに日記は生々しくなってくる。