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ご都合主義な犯罪

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 そもそも、殺人事件なのか、事故なのか、それとも。突然死だったのかということもハッキリとは聞いていないが、この話を誰もする人がいないということで、勝手に、
「殺人事件だからということで、皆、敢えて話をしないようにしているんじゃないだろうか?」
 と考えたことで、イメージがそっちに凝り固まってしまったのだった。
 殺人事件など、起こりそうもない閑静な住宅街、これは、他の地区とはまったく違っている閉鎖的なところだから、そう感じるのだが、逆に考えてみると、昔の探偵小説などでは、他の土地と隔絶された、何とか村などというところで、その土地に伝わる伝説などを事件と結びつけるという種類の話も結構あったりした。
 実際にあった話を元にして書かれた小説もあったりするくらいで、それだけに、昔の都会と隔絶された田舎の村というのは、事件が起こる可能性を秘めていたのかも知れない。
 昔の村というと、ほとんどの場合、村長と書いて、「むらおさ」と読むような、地主のような家があって、村人のほとんどが、皆、その家の恩恵を受けることで暮らしていけるというような村である。
 そんな村長のような家で殺人事件が起こるなどというのは定番ではなかったか。
 しかし、小説の中では、
「こんな殺人事件などが起こるような村ではなかったはずなのに」
 という駐在の話が聞かれるわりには、物語の途中で、
「実は昔」
 ということで、数十年前に起こった、忌まわしい連続殺人の話が出てきたりして、村人や村にかかわっている人が、かつての忌まわしい事件を思い出したくないという発想になっていたりするものだ。
 さすがに連続殺人などになると、そんなことも言っておられず、やっと、かつての事件が表に出てくる。
 しかし、これもおかしな話で、最初の殺人が起こった時点で、警察は被害者の身辺や、家の過去、そこから出てくるはずの、かつて起こった殺人事件のことが捜査の段階で明るみにでるのは分かっていたことであろう。
 それでも、
「だからと言って、今回の事件と結びつけるのは、早急すぎる」
 ということで、いちいちかつての事件を結び付けるようなことはしないだろう。
 犯行声明があったり、
「昔の恨み」
 などという言葉が書かれた紙などが出てくれば、結びつけることになるだろうが、そうでもなければ、
「今さら、十年以上も前の事件を」
 と思うのも当たり前のことで、普通なら、
「どうして今なんだ?」
 ということになる。
 もちろん、復讐計画を練っていて、計画が成就したのが今だったというだけであれば、その問題は解決するのだろうが、逆にそこから、事件解決に結びつけることは難しいかも知れない。
 犯人が当時の事件の関係者であれば、なるべく隠そうとするだろうし、逆にそれを公表して、しかも、犯人がアリバイなどの工作をしているのであれば、矛盾した行動だということになる。
 そうなると、
「昔の事件が、ただダシに使われただけだ」
 ということになり、やはりそこから事件解決に向けて、かつての事件をフェイクに使っているといってもいいかも知れない。
 探偵小説というのは、そういう感じで読み込んでいくのが、結構楽しかったりするものだ。
 そういえば、数年前だったか、このあたりの住宅街で、空き巣があったという話を聞いた。
 当時は、世間がある伝染病が全世界規模で流行ってしまったこともあって、経済が悲惨なことになってしまった。
 元々は、政府の怠慢さと、危機管理の甘さから、諸外国で伝染病が流行り出した時、水際対策を強化するどころか、ザル同然だったため、発生国から大量お旅行客などが流れ込んできて、感染を拡大させた。元々、その国からの渡航者は全世界からの半分近くあったかも知れない。
 それをそのまま垂れ流しにしてしまったことで、政府はそれ以降すべての製作が後手後手に回ってしまう。
 詳細が分かっていないということで、いきなり、全国の公立の小中学校に休校命令を出したり、いきなり、
「緊急事態宣言」
 を出したりした。
 日本という国は憲法九条にて、
「有事は存在しない」
 という理念の元、国家は戒厳令と呼ばれるものが存在しなくなったのだ。
 戒厳令というのは、大日本帝国化には存在したものであり、
「クーデターや災害などが起こって、治安が著しく悪化したりした場合、秩序、治安の維持を目的に、本来であれば、憲法で守られるべき、個人の自由を、その時だけは制限できる」
 という法律である。
 もちろん、大日本帝国下には、存在した。今までに日本は戒厳令を、発行したのは、過去三回だったのだ。
 時代も、明治に一度、大正に一度、昭和に一度だったのだが、果たして、皆さんはそれぞれ分かるだろうか?
 まずは最初に発行された明治時代。これは、日露戦争に由来するのだが、日露戦争というのは、弱小と言われた明治日本が、当時最大の陸軍を誇ると言われたロシアとの戦争であった。
 日本とすれば、安全保障の観点で、死守しなければいけない朝鮮半島、さらには、満州地区に対して、
「不凍港」
 を目指して、シベリアから南下してくるロシアとの間での衝突であった。
 日本がこの戦争に勝てたのは、多大な犠牲の中で、薄氷を踏むような戦闘に勝ててきたことが大きなことであったが、実は、外交的な意味でも重要なことがあったことを、日本史の授業で習ったはずだが、上の空だった人も多いことだろう。それでも、
「日英同盟」
 と言えば、一度は耳にしたことがあるはずである。
 国際上、ロシアは極東のシベリア以外にも、中央アジアから、南下して、クリミア半島やギリシャあたりの不凍港を目指して南下していると、そのあたりに権益を持っている英国と衝突することになる。
 当時英国は、
「栄光ある孤立」
 ということで、どこの国とも軍事同盟を結んでいなかったが、この時は日本の外交努力にて利害関係の一致した英国と同盟を結ぶことに成功した。これがあればこそ、当時の対ロ開戦に慎重だった伊藤博文も、やっと折れることで、日露の開戦に入ったわけだが、日本という国は、そこで初めて日露戦争の開戦に入ったわけである。
 問題は、朝鮮半島での陸軍の戦闘と、ロシア海軍が、当時極東艦隊として基地を置いていた、
「ウラジオストック艦隊」
 と、
「旅順艦隊」
 とが結びつき、バルト海から派遣されるバルチック艦隊とが合流すれば、さすがに日本の連合艦隊と言っても勝ち目はない。そういう意味で、旅順港におけるロシア極東艦隊の撃滅、もしそれができなかったとしても、戦闘参加が不能なように、閉塞作戦が考えられたが、ことごとく失敗した。そこで陸軍による旅順攻略作戦が行われたが、ロシア軍は、元々清国が作っていた要塞を、世界最強のトーチカとして要塞化した旅順要塞を攻略できないでいたのを、二百三高地に攻撃目標を変え、そこを攻略することで、旅順の山から、大砲で、旅順港に停泊中のロシア極東艦隊の半分を撃滅することに成功したのだ。
 あとは、バルチック艦隊だが、ここで日英同盟が、効力を発揮する。
作品名:ご都合主義な犯罪 作家名:森本晃次