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ご都合主義な犯罪

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 という感覚で、そういえば、前に沖縄から転入してきた転校生がいたが、彼が言っていたことを思い出していた。
「沖縄というところは、結構変わっているところでね。沖縄時間というのがあるらしいんだよ」
 というではないか。
「沖縄時間って、それは何なんだい?」
 と誰かが聞くと、
「僕たちにとっては、普通のことだったので、逆にこっちの様子が、ヤマト時間という感覚なんだけどね」
 と前置きをしていたが、我々にとって沖縄が別世界だと思っている以上に、沖縄の人間がさらにこちらを意識しているというのは、
「ヤマト」
 という言葉で分かるというものだ。
 彼らは、本土のことを、ヤマトと呼んでいる。ヤマトというのは、もちろん、宇宙戦艦のことではなく、
「ヤマト民族」
 のことである。
 きっと、ずっと古代から、琉球というのは、
「独立国家」
 という意識があったに違いない。
 確かにあれだけ遠いのだから、外国と言ってもいいだろうし、大東亜戦争での日本における、最初のいわゆる日本国としての直接的な戦闘の場所だったのだ。
 しかも、沖縄というところは、土地柄、米軍における戦略的に重要拠点となることで、米軍基地の問題が、今でも続いているという深刻な問題を抱えた土地だったのだ。
 そんなところからやってきたのだから、皆興味津々だといってもいいだろう。
 彼は前置きの後に、
「沖縄時間というのは、沖縄が、とても暑くて、昼間はほとんど活動できないので、自然と皆が夜型になることで、待ち合わせをしても、時間通りに来るためしがなかったり、夜遅くまで開いている喫茶店があったり、待ち合わせの時間にルーズな人間ばかりだという意識から、そういうことをすべてひっくるめて、
「沖縄時間」
 というようになったという。
 沖縄時間を強くいうのは、やはり、独立国家という誇りを感じた彼らに対しての、敬意を表しているのか、それとも、皮肉を込めてなのか、たぶんどちらも言えることであろうが、本土の人間が感じている沖縄だからなのだろう。
 沖縄時間だと、本土では、夜九時くらいには閉まってしまう準喫茶が、当たり前に深夜の二時、三時くらいまで開いているのが普通だったりする。
 要するに、沖縄というところは、沖縄時間を利用する人と、利用しない人がそれぞれいるので、昔から、まるで東京のような、
「眠らない街」
 といってもいいのではないだろうか。
 だが、ここは本土であり、都心部のような眠らない街ではないので、午前二時というと、本当に街全体が、寒さすら覚えるほどのしじまの街と言ってもいいくらいであった。
 そんな夜中の閑静な住宅街に、犬の遠吠えが聞こえるのは、当たり前といってもいいのかも知れない。
 だが、実際にはそんな静まり返った夜のしじまにおいて、犬が遠吠えをしたその時、
「何か変だ」
 と言って、おかしな状況になっているのを。漱石は気づいていた。
「何が変なのか、分からなかったが、少ししただけで分かったのは、最近、この時間までいつも起きていて、いつものように、アムロの声を聴いていたからだ」
 と言えるのではないだろうか。
 ただそれでも、しっかりと意識していなければ分かるはずのことでもないようで、その違いに気づいた時、
「何か起こっているのかも知れないな」
 とも感じたのだった。
 そのおかしな感じというのは、アムロの遠吠えに合わせて、一匹も反応を示さなかったことである。
 聞いていると、いつもアムロは自分から遠吠えをすると、他の犬が反応して、同じように遠吠えをする。反応している犬はいつも同じ犬ではないのだが、最初の遠吠えは、ほとんどがアムロの声だった。
「アムロのやつ、皆に何か号令でもかけているのだろうか?」
 と感じていたが、この日だけは、他の犬が反応しなかったのはどうしてであろうか?
「ほとんどの犬が眠っていた?」
 あるいは、
「ほとんどの犬がその遠吠えを聞こえなかった?」
 というのは、この日のアムロの遠吠えが普段と違い、人間にぴったりと嵌る音ではあるが、他の犬には聞こえないものだったとすれば、それはまるでモスキート音のようなものではないかということである。
 ただ、このどちらも考えにくいことではないか。もう少し可能性があるとすれば、アムロが今まで他の犬を扇動するかのようなことを言っていたにも関わらず、今回はまわりを巻き込むような声ではなかったということになるのだろうか?」
 と思うのだった。
 だが、勉強している状態で、自分自身が少しハイな気分になっていることなので、わざわざ表まで出ていくという心境にはなれんかった。
 疲れてはいるが、勉強をしている。それだけ、まだこれが予行演習なのだという心境になっているのが、面白い感情であった。
「あの時、もう少し気にしていればよかったのかも知れないな」
 と感じたのは、次の午前中のことで、その日は休日だったということもあり、昼前くらいまで寝ていた漱石だったが、何やらサイレンが聞こえてきたのを感じ、
「近所で、パトカーのサイレンのような音が聞こえる」
 と感じた。
 自分に関係のあることであれば、気になるのも仕方がないが、
「気が付けば、気になっていた」
 ということであり、その日は、パトカーだけではなく、人の足音やヒソヒソ声まで聞こえているようで、逆に、
「よくこの状態でも寝ようと試みたのだった」
 ということである。
 だが、一旦気を抜いてしまうと、襲ってくる睡魔は尋常ではなく、瞼の重さに耐えられるわけでもないはずなのに、気を抜いた瞬間、槍でつつかれることは分かっていた。
 だが、救急車の音だと思っていたが、うちの前にとまったのは、一台のパトカーだった。
 普段なら、同じサイレンでも、警察と病院の救急車とでは、まったく違った音だと思っていたのだが、単独で聞いた時、どっちがどっちだったのかということを、自分でもよく分かっていなかったようだった。
 だが、気にはなったが、
「勘違いだったら、どうしよう?」
 という思いがあり、誰にも言えなかった。誰かに少しでも話をしていれば、違ったのではないかと思うと、気分的に治まらなかった。
 しばらく鬱状態に漱石が陥ってしまったのも仕方のないことで、しかも、その原因が、翌日になって知らされた衝撃的な事実からだった。
 もちろん、事実は後から聞かされたことであり、その詳細が伝わってくるうちに、明らかに漱石が怯えに走っているのを、彼にかかわっている人には皆分かってくるのだった。
 それは、翌日の早朝のことであった。
 早朝と言っても、時間的には、午前九時を回っていたので、普段だったら、ある程度一段落した時間なのだろうが、その日は土曜日ということもあり、ほとんどの会社が休みなので、ほぼ休日と同じだった。
 学校も会社も休みなので、早朝というのは、土曜、日曜、祝日は、午前九時くらいまでをいうのが、このあたりの閑静な住宅街なのだろう。
 誰も、表に出ることもなく、ちょうどその日は朝から、軽い靄が掛かっていたので、余計に早朝の雰囲気を醸し出しているようだった。
作品名:ご都合主義な犯罪 作家名:森本晃次