ご都合主義な犯罪
それを考えると、コウモリの問題は、かなり難しい問題だといえるのではないだろうか?
だから、この、
「卑怯なコウモリ」
という話を、テーマにしたマンガやドラマも結構探せばあるかも知れないと思えるのであった。
そんなコウモリの話であったが、コウモリというものを別の味方から見ると、この話では、
「日和見的な動物だ」
という見方ができるが、それよりも、
「表裏のある関係」
という意味もであるのではないだろうか。
昔読んだ、ロボットマンガの中に、悪の手先になったロボットがコウモリ型のロボットだったという話があった。
基本的にはドラキュラの話であったが、このロボットは、卑怯なコウモリの習性を持っていて、そのために、余計な苦しみを味わうという話であった。
(ちなみに、このお話は、石ノ森章太郎先生原作の実際のロボットマンガにあるお話になります)
このお話の主人公のロボットには、良心回路というものがついていて、ただ、それが不完全であるので、人造人間の中で、その意識があるため、せっかくの、ロボット工学三原則が、中途半端になってしまう可能性があり、自分の中の良心と不完全な回路によって、苦しむことになるのだ。
そこで、コウモリロボットがいうのだ。
「自分にも、かつて良心回路などというものがついていて、お前より、さらに脆弱なものだったため、もっと苦しむことになった。だから、そんな回路に負けることでどれだけ楽になれるかということを教えてやる」
ということで、コウモリロボットは襲い掛かってくるのである。
これは、コウモリロボットとしては、敵である人造人間を倒すということだけを目的にしていたはずなのだが、実際に戦ってみて、相手の神壮人間に昔の自分を見たのだろう。
そういう意味で、
「そんな苦しむような機械はかなぐり捨てて、自分の思う通り、つまり、本能で生きる方が、どれほど楽か」
ということを教えようと考えていたのかも知れない。
自分を作り出したのも、その人造人間と同じ博士だというが、博士は、ロボットの気持ちなど考えてくれているわけではない。
「しょせんは、ロボット工学三原則にしても、それは、人間の人間による人間のためのものであって、自分たちは利用されているだけだ」
ということを、思い知るがいいということだ。
それを教えてくれた、悪の結社の首領に感謝しているくらいで、苦しまずに済むには、人間に従う必要がないことを理解することだというのだった。
「人間というのは、昔の俺たちコウモリのことを卑怯だと書いていたくせに、あいつらが卑怯なだけではなく、傲慢で、それこそ自分たちのことだけしか考えず、卑怯なコウモリよりも、数段卑劣なものであるということを思い知るがいい」
ということであった。
だが、結局、人造人間は、おのれの良心と、さらに、悪が引き込む世界の狭間で苦しみながら、人間を選んでしまうのだった。
だが、この話のラスト、つまり、マンガの一つの章ではなく、マンガ自体の最後では、ロボット皆が、悪の組織に、服従するという回路をつけられ、その回路を発動させて、主人公のロボットにも、悪の組織の首領である男に対し、
「服従することが、これほど楽なことはないんだ」
ということを教えられたといい、主人公にもその装置が埋め込まれているということを告げられた。
だが、良心回路を持つ人造人間に服従回路を付けたとしても、それは副作用を起こすことで、仲間すら殺しても平気な気持ちになるような悪魔W作り出すことになったのだという。
仲間のロボットを殺した主人公は、孤独な旅に出るという衝撃的なラストだったというのを、漱石は、友達に教えられて、単行本の復刻版で読んだのだった。
(このお話はかなり古い話なので、すべてに信憑性がないかも知れないことをお許しください。しかし、大筋はこのような話だったと思いますので、さほどそのあたりは意識しないでいただけると助かります)
結局、そのロボットは、自分が破壊して殺した、コウモリロボットが、遺言のように言い残したことを、最後には実証することになった。
コウモリというのは、そういう意味で、この良心回路を持ったロボットに、服従回路をつけて、副作用を起こしたように、コウモリロボットも、二重人格という側面を持っているところに、不完全な良心回路を付けたことで、苦しむことになったというのを、最後に立証したというものだ。それがこの話の教訓だったのではないだろうか。
目の見えないコウモリが、超音波を出し、さらに、音の反射によって物体の存在を知るということをする。それが、善悪、あるいは、日和見的なことを行うコウモリを、弁論大会の中での自分を感じるというのは、何か皮肉な気がしてくるのであった。
閑静な住宅街での殺人事件
隣の夫婦が、ちょうど騒音について相談に来たのは、弁論大会にて不本意な成績を収めてしまったことで、それを確かめたいという思いから、放送部に自分の映像を見せてもらったちょうど、その頃だったのだ。
そのことで、音は光に興味を持った漱石が、
「モスキート音」
というものを知っていたというのも、無理もないことだった。
タイミングがちょうどいいということだろうか。それにしても、隣の奥さんも物分かりがいいというのが分かったのも、いいことだと思った。
ただ、モスキート音というのが、どこでどのように発生するのかということまでは、なかなか証明されていないようで、特にこの閑静な住宅街で聞こえているとすれば、それは一体どういうことになるというのだろうか?
基本的には、自然現象とはあまり考えられないということだった。
有名なところでは、モスキート音のような、高周波発生装置というものを実際に設置しているところがあるという。
それはもちろん、
「この音が、年齢によって聞こえる人、聞こえない人と、それぞれ違ってくる」
という特徴を最大に生かしたということであろう。
つまり、モスキート音というのは、ある一定の高周波であるため、年齢が高くなるにつれて、その音が聞こえにくくなるという効果があるのだ。
そのため、ファストフードの店や、コンビニなど、二十四時間営業の場所などの駐車場に設置されていることが多い。
一つは、今の世の中、昔と違い、受動喫煙というものが厳しくなっていて、次第にタバコが吸える場所がどんどんなくなってきている。
それは、もちろんいいことなのだが、そのこともあって、しょうがないので、コンビニの入り口のすぐ近くに灰皿を置いている店もあったりする。しかも最近の受動喫煙は、
「ほぼ、室内でタバコが吸える場所はなくなってしまった」
ということもあり、喫煙者のほとんどは、キチンとマナーを守ったりしているのに、一部の輩が、無法地帯と化しているところもあったりする。
コンビニなどが灰皿を設置しているのは、