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ご都合主義な犯罪

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「確かにそうなんだよね、でも、声を知らないということはもちろんなんだけど、喋り方にも問題があったようだね。自分ではちゃんと喋っているつもりだったんだけど、話しながら、何となく方言になっているような気がしたんだ。でも、やっぱり、感じたのは、ステージに上がるということが、あれほど別世界だったとは想像もしていなかったことかな?」
 と言った。
「俺も確かにそれは分かる。客席からステージは、暗いところから明るいところを見るので、スポットライトが当たっていて、ハッキリと見えるんだけど、ステージからは明るいところから暗いところとなるので、眩しいだけで、向こうが見えない。それを把握できていないと、どうしようもないんだよ。いきなりステージに上がると、完全に、我を見失う人が多いというけど、まさにその通りなんだよ」
 と友達がいうので、
「そうそう、まさしくその通りで、後から思えば、電車の中を思い出したよ」
 と漱石は言った。
「電車の中?」
「ああ、俺は子供の頃から電車に乗るのが好きで、特に、一番前の車両に乗ると、運転席の後ろから前を見るのが好きだったんだ。運転席の目線から見えるだろう?」
 と言ったが、それはたいていの子供が同じようで、いつも一番前のところに立って前を見ている子供がいたような気がする。
 完全に先を争っていいポジションをキープしようとするのだが、特に夜の電車は前に行きたかった。
 普通の席で、車窓から表を見ていると、明るいところから暗いところを見ているので、車窓には、自分たちの姿が映っている姿しか見ることができない。
 逆に、
「向こうからはよく見えるんだろうな?」
 ということは分かっていて、そんな時、
「まるでマジックミラーのようだな」
 と感じたものだ。
 子供でもm刑事もののドラマとか、結構好きで見ていたので、取調室のシーンで、隣の部屋に証人の人がひそかに待機させて、自分が見た人間かどうかを確認させているシーンがあった。
 取調室からは、こちらは見えないが、こちらからはハッキリと見える、マジックミラーと呼ばれる特殊な構造なのだろうが、理論的な構造は、夜の車窓と同じ原理であることは分かっている。
 当然、容疑者からは分からないように、完全防音になっているのだが、これも特殊な構造であることは間違いない。そう思うと、
「一度、マジックミラーがどういう構造になっているのか、知りたいものだな」
 と感じていた。
 また、マジックミラーというのは、刑事ドラマなどだけではなく、高層ビルの全面がガラス張りになったようなところにも使われていたりして、結構幅広く使われているものである。
 ただ、その後で、
「疑問に思ったら、ネットでググる」
 ということがある程度身についている世代なので、その後実際にネットでググってみると、
「マジックミラーというのは、板ガラスやアクリルなどのガラスに、錫や銀のメッキを用いた反射膜を非常に薄く死、形成し、半透明にする」
 と書かれていた。
「暗いところと明るいところを作り出すという意味で、射した光の一部を反射し、一部を透過させるものだ」
 ということのようだ。
 最初に光の特徴を見出した人間、そして、それをマジックミラーとして開発した人たち、それぞれに簡単なようで、なかなか難しいことだろう。特許を取るような人でも、今はあたり前のように使っている道具を発明した時は、発明した瞬間、本当に世界が変わったかのように感じたことだろう。何かを発明発見できる人というのは、そういう意味では、
「選ばれた人間」
 なのかも知れない。
 この時の弁論大会で二つの意外なことを発見した。
 しかも、かたや、鏡という媒体を使った光の関係、かたや、声による不思議な現象ということで、考えれば、世の中には、様々な不思議なことがあるのだということを、漱石はその時、思い知らされたような気がした。
 一つ言えることは、
「光にしても、声にしても、反射するものだ」
 ということであった。
 光であれば、前述のマジックミラーの構造などは、まさにそれであり、声や音の反射というのも、あながち捨てがたいものであるといえるのではないだろうか。
 例えば、コウモリという動物などは、そうではないだろうか。
 コウモリという動物は、暗い洞窟の中などに潜んでいて、夜に活動する、
「目の見えない動物だ」
 という意識がある、
 そのため、何かにぶつからないようにするために、超音波を出して、その反射によって、何があるのかを事前に察知し、避けることができるようになっているというのである。
 そもそも、コウモリという動物は、実に不思議な動物だといえるのではないだろうか?
 イソップ童話の中に、
「卑怯なコウモリ」
 という話があるのだが、コウモリという生態から、この話を思いついたのだとすれば、かなりの発想を持っている人であり、特殊感のある人でなければ、こんな発想を思い浮かぶはずもないと思えるほどだった。
 コウモリという動物の一番の特徴は、
「羽根があり、獣のように手足がある」
 ということであるが、その特徴を生かした話である。
 話の内容としては、
「昔、鳥と獣が戦争をしていたのだが、その時、一匹のコウモリが、獣の前で、自分は全身に毛が生えているので獣の仲間だといい、鳥を前にして、自分には羽根があるので、鳥の仲間だといって、逃げ回っていたり、勝ちそうな方についたりしていた。しかし、いずれ、戦争が終わると、今度はコウモリがうまく立ち回っていたことに気づいた鳥と獣たちから、卑怯者呼ばわりされて、皆から無視されたという話があった。
 そこで、まわりに哀帝されず。夜にだけ外に出て構想し、昼間は、暗い洞窟の中で暮らすことを余儀なくされたという話であった。
 だが、逆に、この話を、
「コウモリは、うまく立ち回って、生き残ることができた」
 という意味で、うまく立ち回ることが、保身に繋がるという意味の話として伝わっていたりもしている。
 ただ、一般的に、コウモリというと、気持ち悪くて、皆から嫌われるというイメージが大半である、それを思うと、コウモリを、
「是とするか非とするか?」
 というのは、実に難しい判断である。
「戦争に巻き込まれたのだから、何とか生き延びようと、知恵を働かせた」
 という意味では、褒められるというところまではいかないにしても、無理もないことではないのだろうかと考えるのは、平和な日本に住んでいるからなのかも知れない。
 ただ、日本の刑法にも、殺人を犯しても罰せられないというものがある。
「違法性阻却の事由」
 ということで、正当防衛であったり、緊急避難、自己防衛などがそれに当たる。
 鮒が沈んで、救命ボートが三人乗りだった場合、すでに三人乗っていて、他の人がその船に乗ってきたら、確実に沈んでしまい、結局、全員が死ぬというのが分かっている場合に、一人を寄せ付けないようにして、殺してしまったとしても、それは、
「緊急避難」
 ということで、罪に問われることはない。
 ただ、それはあくまでも法律上の問題であって、
「倫理、道徳上、どうなのか?」
 という問題は、また別の問題として残ることになる。
作品名:ご都合主義な犯罪 作家名:森本晃次