ご都合主義な犯罪
「お前のような、あまり話をしないやつの方が、こういう大会はいいんじゃないか?」
と言われたことがあった。
「どうしてなんだい?」
と聞くと、
「出てくるのは、喋ることが好きだったり、自信のある連中ばっかりだろう? そんな中で、普段は寡黙なやつが入賞でもしたら、面白いじゃないか?」
ということだった。
最初は、
「俺には、そんなことできやしないよ」
と言って尻込みをしていたが、喋る内容も、自分で決めて、すべてを自分でやるということを聞いて、がぜん興味が出てきた。
漱石は、何でも自分で全部するようなことが好きだった。
今の時代は、一つのことに突出していて、それを長所としている人が多い。それはそれでいいことだと思うし、
「自分も何か一つのことに特化した人間になりたい」
と思っていたのだが、やはり、何でもすべて一人で作り上げるということに勝るものはないと思っていたので、それを聞いて、
「参加します」
ということで、いよいよ、原稿作成から入ることにした。
作文などと違って、人に訴える文章なので、ピンとこなかった。それで昨年の映像を借りてきて、自分で、何度も先輩の演題を聞いて、どのようなものかを感じていったのだ。
テーマに関しては、何でもいいということであったが、どうせなら、社会に対しての警鐘がいいと思った。
ただ、社会への警鐘というものを、正面から見てしまうと、
「きっと、皆とかぶってしまう」
と感じたのだ。
漱石は、人と同じことが嫌なタイプだったので、同じ方向でも、絶対にかぶらないようなものにしようと思ったのだ。
それは、テーマは同じであってもいいのだが、普通の人は絶対に主張しないような、アンチな内容を、あたかも自分が正しいというような訴え方をしようと思ったのだ。
聞いていて、気分が悪いと思う人もいるかも知れないが、自分の主張なのだから、いかに正当性を持たせて訴えるかで、まるで正しいことのように勘違いさせるということがテクニックになるのだろう。
実際に原稿を作成し、先生に見せた。
基本的な大会までの流れとして、出場者が決まれば、本人が原稿の原案を書いてくる。そして、その内容を、実行委員の先生に見せて、添削をしてもらう。
そうしないと、差別用語であったり、主張が強すぎるもの、倫理に背くものなどがあれば、そこは訂正しないといけない。
いくら学内とはいえ、一般的に言われている、
「放送禁止用語」
を使うのはタブーだからだ。
そもそも、放送禁止用語というのは、法律的に禁止されているものではなく、差別になることや、一般的に人の感情を逆なでするようなことは、
「放送事故」
として、放送倫理に背くことになる。
一般倫理とは別に。放送界というのは、いかに、自分たちの倫理を守って放送するかということが、使命である。だから逆にそれに背くことは、当然一般倫理に背くことであるため、放送業界の理念には、
「放送倫理にのっとった放送」
ということになるのだ。
そういう意味では、たとえ学内と言えども、それらの倫理に背く活動は許されない。
「放送業界にとって、放送倫理こそが法律なのだ」
ということになるのだろう。
自分の原稿を見た先生は、じっくりと吟味しながら、赤線で添削してくれた。
「少し過激な言葉というか、これは自分が口に出して喋る言葉だということを自覚して、もう一度、その線で消した部分を、もう一度考えてごらん」
と言われた。
先生は自分で答えを出すようなことはせず、必ず生徒に答えを出させる人だ。そういう意味で厳しい先生ではあるが、それだけに、優しさを感じさせる。暖かさを感じるからであろうか。
先生が言葉を書いて、生徒に示したのであれば、せっかくの思考能力と、想像力を鍛えることはできないということであろう。
「こういう文章を書くのだって、想像力が豊かになるということを考えながら書きなさい」
ということを話してくれたのだった。
確かに先生のアドバイス一つで、それまで浮かんできそうもないような言葉がどんどん浮かんでくるような気がする。
「俺って、意外と調子に乗りやすいタイプなのかな?」
と感じるのだった。
やっと原稿が出来上がると、今度は本番前に、リハーサルが行われた。
このリハーサルは、実際の講堂で行うものではなく、教室で演台の代わりに、先生が講義をする時に立っているところを演台に見た立て行うものだった。
本番のリハーサルとしては、少し物足りないが、
「ここでできないくらいなら、最初から無理だということなのだろう」
と思って、教室でのリハーサルに臨んだ。
観客は、自分と同じエントリーをした人間で、それだけにその時、初めて皆がどのような内容の発表をするのかが分かるのだ。
漱石は、緊張もせずに、リハーサルをすることができた。
「これだったら、本番は緊張することもないだろう」
という思いと、
「ひょっとすると、入賞も夢ではない」
とまで自惚れたほどだった。
クラスに一人か二人が代表として出る。
一学年、五クラスあるので、一クラスに一人とすれば、十五人のエントリーであるが、実際にエントリーしたのは、二十人だった。
入賞は三位以上で、それ以外に、毎年特別賞があるという。
特別賞は、いわゆる準優勝という立場であろうか。優勝とほぼ差がないことが基準であった。
だから、優勝がずば抜けていれば、特別賞は、
「該当者なし」
ということになるだろう。
さすがにそこまでは難しいと思ったが、演目の内容を聞いて、テーマも原稿内容も、他の人と引けを取らないと思っていたので、十分に可能性はあると思ったのだ。
しかも、リハーサルも緊張もなくできたことで、その思いはさらに強くなってきて、本番日を楽しみに待ちながら、寝る前に毎日何度か部屋で練習をする程度だった。
当日の朝もまったく緊張もしなかった。その日の自分の出番が終わるまでで、唯一緊張したというか、戸惑ってしまったのが、演台に上がった時であった。
「何だ、これ?」
と正直感じた。
その理由は、演台から見た客席が、これほど何も見えないものだとは思わなかったからだ。
スポットライトが自分に当たり、非常に眩しいのだが、目の前の客席は何も見えない。冷静に考えれば分かることなのだが、それすら自分で把握をしていなかった。それゆえに、完全に戸惑ってしまったが、それでも、自分なりに冷静さを取り戻し、一度戸惑ったわりには、
「結構うまくいった」
と感じたのだった。
「あとは、野となれ山となれ」
実際の結果を待つだけだった。
自分の演目の前は、
「早く舞台に立ちたい」
という思いだったが、終わってしまうと、想像以上に疲れてしまって、気が付けば、あっという間に時間が過ぎていて、自分の演目以降の人の内容は、まったく頭の中に入ってきてはいなかったのだ。
いよいよ最後の演目が終了し、審査が行われている間、次第に緊張が増してくるのは確かだったのだが、それ以上に、
「入賞くらいはするだろう」
という自信が強くなってくるのを感じていた。
そこには、矛盾した感覚もあったのだ。