ご都合主義な犯罪
学校でも成績はよく、大学も地元の一流大学化、それとも、都会の大学かで悩むところであったが、まだハッキリとはしない。
あれくらいの年齢であれば、都会に憧れがあるだろうから、まずは、都会の大学を目指そうとするようだが、決めかねているということは、
地元の大学がいい」
という思いも、若干はあるからだろう。
学校の先生としては、都会の大学に進んでほしいというのが本音なのかも知れない。
「都会の大学に行くというのは、成績の良しあしだけではなく、都会に馴染めるかどうかということの方が大きいのかも知れない。そういう意味では、漱石君は、都会の大学でも十分にやっていけるという感じはしています」
と、一年生の時の担任の先生はそう言っていた。
「でも、最後に決めるのは、本人の意思ですからね」
と、先生は追加で言ったのだ。
「そうですね。柔軟に考えてみたいと思います」
と、母親と、本人の面談を別々に行った際に、両方とも、奇しくも同じ発想のことを話したのだった。
先生とすれば、あわやくば、都会の学校にと思っていたようだが、どうも本人とすれば、
「地元がいい」
と思うようになったようだ。
それは、ハッキリと本人に聞いたわけではないが、
「地元で就職するのであれば、地元の大学の方が有利かな?」
と思ったからだった。
漱石は、まわりが考えているほど、都会に執着があるわけではなく、
「何かをしたいから都会に出る」
という意識もないようだった。
「都会でできることであれば、地元だってできないわけではない」
と思っていた。
別に大学院に進んで、何か一つの道に特化した研究をしたいなどという思いを担っているわけでもない。それを思うと、無理に都会の大学に行ってまで、勉強することはないのではないか?」
と思うようになったのであった。
そんな漱石は、好きな子はいるが、付き合うまでは言っていなかった。
「告白しようかな?」
という思いはあったが、彼女は結構男子に人気があって、
「俺なんかにかなうわけはないよな」
と感じていた。
「告白して玉砕すれば、それで諦めがついていいのではないか?」
と思ったが、実際には、
「フラれるのが怖くて、ビクビクして告白できない」
という設定を、ドキドキしながら、感じているという自分を楽しんでいるようなところがあった。
最初は、そんな気持ちに自分がなっているということが分かっているわけではなかったが、
「恋などというのは、叶う前の願望でいる間が一番心地よいのではないか?」
と考えていたが、まさにその通りなのかも知れない。
「恋が成就して愛に変わると、そこから何に変わるのか、誰も知らないというのが、愛に至ることを望まない」
ということで、それを話すと、
「いかにも、漱石らしいよな」
という友達もいたが、まさにその通りで、それを、
「諦めが早い」
とは思わないようにしようと思うのだった。
そういえば、
「自分にあまり諦めという意識がないのだ」
ということを、漱石はよく考えていた。
この考え方は、どちらかというと、
「父親に近いのではないか?」
と思うのだった。
一年生から二年生になると、自分で思っていたよりおm、かなり精神的に違っていた。
「子供から大人になった」
という気がするのだ。
ただ、高校一年生から二年生になるのに、
「大人になった」
という感覚とだと言っていい。
つまり、子供が大人になったと限定するわけではなく、ただ、大人になったという感覚を覚えたといってもいい。特に思春期の始まりが中学に入ったくらいとすると、そこまでが子供だったといえる。では、そこから高校二年生までは何だったのか? ということのなる。
「大人予備軍」
とでもいえばいいのか、それとも、
「さなぎの時代」
と言えばいいのか、つまりは、人間も、子供から大人にいきなりなるというわけではないということである。
確かに、大人にいきなりなったという感じに思っている人は少ないかも知れない。
大人と子供の間の時期、それこそが思春期だといえるかどうかも微妙であり、かぶっている部分も結構あるように思うのは、自分だけだろうか?
もっとも、思春期という時期自体が曖昧で、定義らしいものもないことで、大人と子供の間の狭い範囲という定義づけでもあれば分かるが、それ以外の定義づけであれば、大人と子供の間にかぶっていた李、まったそのどれでもない空白の期間が存在したりしても不思議ではない。
実際にあるとすれば、
「自我を忘れてしまう時期」
が存在しているのかも知れない。
自我を忘れるというのは、結構あったりするもので、生まれて初めての、躁鬱症などを感じ、その間、どうしていいのか迷ってしまう時期があったりすると、
「自我を忘れる」
といってもいいだろう。
躁鬱症になると、自分のことというよりも、まわりのことの方が気になってしまう。
だが、自分のことをまわりから見つめるということは、悩んだり苦しんでいる時にはえてしてしてみるものだが、鬱状態に陥ると、なかなかそうもいかなかったりする。神経を表に出すことができないのだ。
そのため、目の前で見ていることが、外に向けられることはあっても、外から自分を見ることができないようになってしまう。それが不安や恐怖に繋がり、
「俺は一体どうしてしまったのだろう?」
と考えてしまう。
そのため、中から外が見えるので、
「その感覚を忘れないようにしよう」
と思い、特に、色のあるものを見ようとするのだ。
特に、赤や青などの原色系はよく目にも留まるので、意識的に見てしまう。気になってしまうのは、信号機で、信号機という板の上には、赤と青の両方が存在するからだ、
その時に感じたのは、
「まるで、夜の時のように、くっきりと見える」
という感覚だ。
そして。
「赤い色はさらに赤く。青は、緑に見えることもなく、まっすぐに青に見えるのだ」
と感じる。
昼間であれば、後ろが明るいというのもあってか、赤が少しピンクっぽかったり、青が緑っぽかったりするのだが、鬱状態の時は、昼間であっても、
「赤は赤、青は青」
と、ハッキリと感じるのだ。
「ということは、信号を見ていて、バックが真っ暗に見えているのだろうか?」
と思ったがそんなことはない。
そんな魔法のようなことが起こったりはしないのだった。
色というものが、それだけ精神状態を序実に表しているのだろうが、音の聞こえ方にも同じことがいえる。
「鬱状態の時には、乾いた空気を通り抜けるように聞こえてくる」
というもので、鬱状態というのが、まわりの余計なものを省いた素朴なものではないかと思えてきたのだ。
それによって、防御がまったくない状態に落とされた感覚になるので、必要以上に恐怖を煽ってしまい、うちに籠ってしまうのではないだろうか。
音というもので、面白いと思ったのは、これは音というよりも、声のことだが、あれは、高校一年生の時、学校で、
「校内弁論大会」
というのがあったのだが、あまり人と話すことが中学時代まで苦手だった漱石は、まわりから、