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無限と矛盾~知恵ある悪魔の創造~

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「限界というものを逃げではないと自分に言い聞かせることが大切で、その意識が、限界という言葉を、悪い意味から解放してくれる」
 ということになるのだろう。
 今まで限界を意識しすぎてしまっていたために、そこに至るまでの壁が見えず、ただ抵抗だけが激しい状態に、いつの間にか逃げの体制に入ってしまい、先に進むことができないと、壁を超えることができないどころか、そこまで進んできたということが、間違いだったのではないかという大きな壁を作ってしまうのだろう。
 それが、
「壁を超えられない」
 ということであり、どうして超えられないのかということを、理解できないでいるか、少なくとも、
「逃げがかかわっている」
 ということを理解できないでいるからに違いない。
 それを考えると、これから先の研究というものが、
「右に行くか、左に行くか、さらに重要になってくる」
 ということを考えるようになるのだった。
「人間が死ぬということは、どういうことなのか?」
 ということを、考えたことがあった。
 子供の頃は、今に比べると、よく考えていたような気がする。それはあくまでも、臆病風に吹かれてのことであったが、
「死ぬ時って、本当に苦しいんだろうか? 痛いんだろうか?」
 という直接的な恐怖がほとんどだった。
 よくケガをする子供だったので、痛みを感じる時には、一緒に呼吸が数秒止まるようなことも多く、痛さに苦しさが一緒になっていたので、実にたまらない気分だったのだ。
 だから、余計に
「死ぬほどの苦しみって、これよりももっときついんだろうな?」
 という思いに至ったのだ。
 中学に入った頃からだっただろうか。入学してからすぐ、バスケット部に入部した。
 それまでスポーツらしいものはあまりやったことがなかったので、どうしてバスケットをしようと思ったのか自分でも分からなかったが、漠然とバスケット部に入部した。
 漠然とした感覚としては、
「的に入れると点が入る」
 というところが好きだったのかも知れない。
 入部したとすればそれだけの理由なのだが、実際には、狭義としては結構な運動量である。
 練習というと、下半身強化が基本であり、練習のほとんどが、走ったり、急激に止まったりすることが多かった。
 狭いフィールド内で、いかに相手をかわしてシュートするかがキーとなるのがバスケットボールである。下半身強化が基礎トンるのは当然のことである。
 その頃、よく足が攣っていた。
 練習中に攣るというよりも、練習を終えて、眠りに就いてから、寝ている時に、急に、
「ピキッ」
 となるのだ。
 来る時は寝ていても分かるもので、
「ヤバい」
 と思う瞬間があるのだ。
 その瞬間に目をカッと見開くような感じになり、足を触りに行こうとした瞬間、激痛が走るのだ。
 その時は、完全に呼吸ができない状態で、身体が硬直してしまっている。声も挙げられない状態で、触ろうとした足に手が届かない。それだけ完全に身体が硬直してしまうのだった。
「痛いっ」
 という声すら挙げられない。
 その時に感じるのは、
「まわりに誰もいなくてよかった」
 という思いであった。
「誰にも知られたくない」
 という思いになるのだが、それは、
「人に触られたくない」
 という思いが強いからだった。
 特に心配されることが一番つらかった。
「心配してくれたって、この痛みをどうにかしてくれるわけじゃないのね?」
 と言いたい。
「何もできないのなら、余計な騒ぎにしないでほしい」
 と思うのだ、
 下手に騒がれると、自分がまわりを騒がせたという感情になり、痛みを堪えながら、まわりに気を遣わなければいけないというのは、何ともやりきれない気持ちである。
 それを思うから、
「痛みを堪える時は一人がいいと思うようになり、痛みを誰かが救ってくれるのであれば、当然誰かがそばにいるようがいい」
 と思うのだ、
 痛みを堪えようとしている時に、変に心配されてしまうと、自分のペースが狂ってしまう。それが怖いのだった。
 この感覚は、きっと自分だけだろう。
 ただ、動物は、
「死期が近づくと、誰もいないところに行って、一人で死を迎えようとする」
 というではないか。
 同じ感覚なのかも知れないと思うのだが、それならば、人間が死の床についていると言われている時、枕元にたくさんの人がいるというのは、どんな気持ちになるのだろう?
「このまま、放っておいてほしい」
 と思うのだろうか?
 こういう時に、昔のミステリーなどでは、大金持ちの会長のような人が、枕元に主治医を中心に、家族が集まってきていて、その横には顧問弁護士がいる光景を見ることがある。
 そして、枕元では喧騒とした雰囲気があり、そのうちの身内の人間が、
「お父さん、ご遺言は? 皆、お父様のご遺言をお聞きしたくて、こうやって控えております」
 と言って、泣いているのか、そのわりに涙が出ていないようなそんな状況が、さらにその場の臨場を異常にしているのではないだろうか。
 考えてみれば、大会社の社長ともなれば、顧問弁護士と相談し、遺言状くらいはしっかり事前に作っているものである。
 そんな当たり前のことを本当に分かっていないのか、その場の雰囲気なのか、それとも、誰も聞かないので、痺れを切らして言い出したのか、
 最後はあるだろう。
 一人が言い出すと、他の人たちも我先にと、身を乗り出して、虫の息の、会長を覗き込んでいる。
 誰もが分かっているはずなのに、ここで態度で乗り遅れてはいけないとでも思うのだろうが? 必死になって死にそうな人を追い詰める。これこそ、
「死人に鞭を打っているかのような情景」
 である。
 死に行くだけの人は、何を思ってまわりの人間を見ているのだろう。死を迎えた人は、その時、今までの人生を走馬灯のようなものが駆け巡るというが本当であろうか?
 もしそうだとすれば、せっかくの、過去を振り返る時間に、自分のいいことだけを思い出したと思っているのに、
「やれ、遺言だ」
 などと言われて、自分の最後の迷走を邪魔されるのだから、たまったものではない。
 もし、このような家族の卑劣さを知らずに、普通に遺言書を書いていたとすれば、これほどの屈辱と後悔に満ちた気分もないだろう。
 最後の瞬間がこれだと浮かばれないというものだ。
 ただ、ひょっとすると、この時の状況を最初から分かっていて、家族に対して、
「殺し合え」
 とでも言っているような遺言書を残していたとすれば、最後の死の床にいても、気持ちは晴れたかだったに違いない。
 そのようなミステリーがあり、それが発端で、案の定、殺し合いが起こるという話もいくつか読んだりしたものだった。
 それを思うt、
「死というものは、何を物語っているのだろう?」
 と感じた。
 さらに、このように、布団の中で死ぬことができる人だけではなく、戦場で死んだり、戦争に巻き込まれる形で死んだりする人が結構いた時代もあった。
 かつての世界大戦などがそうであり、
「戦争だから、死ぬのはあたり和えだ」
 という状態で戦場に赴く人もたくさんいただろう。
 ただ、日本の場合は、大日本帝国の教育自体が、