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無限と矛盾~知恵ある悪魔の創造~

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 そのせい(おかげ?)で、ロボット開発には、
「ロボット工学三原則」
 というような法則が必要であり、あたかも、
「その三原則が、優先順位を重要としている」
 という考えに至るのも、皮肉なことだった。
「フレーム問題」
 という言葉は、無限の可能性というものを、いくつかのパターンに分けてしまい、そのパターンで判断させるようにすればいいという考えから、
「絵画におけるフレーム」
 のようなものということなのだが、考えてみれば、無限のものを何で割っても、無限にしかならないという数学の法則を考えれば、フレーム問題というものが、不可能であることは、容易に分かるというものであろう。

               人と同じでは嫌だ

 だが、ロボット開発は絶対に不可能なのではないと考える学者もいるだろう。
「そんな都合のいい神なんているものか。神だって、しょせん人間が創造したものなんだ」
 という考えであった。
「ニワトリが先か、タマゴが先か」
 という禅問答のようなmおのだが、
「人間は神が作ったと書いてある本を作ったのは人間だ」
 ということで、ニワトリとタマゴの発想とどこか似ているところがある。
 ニワトリとタマゴもそうであろう。
「タマゴはニワトリから生まれるが、生まれたタマゴが成長し、ニワトリになる」
 ということを考えれば、
「起源はどっちなんだ?」
 ということだ。
 昔の漫才の中に、
「地下鉄って、どこから入れたんだろうね?」
 というのがあったが、この発想も同じことではないだろうか。
 地下鉄だって、建設するのに、地下鉄を作ってから、穴を開ける。そして、どこからか入れることになるのだろうが、地下にしかない地下鉄が存在するとすえば、本当にどこから入れた? ということになるのだろう。
 もちろん、地価を先に作り、地下で地下鉄を製造したというのであれば、李佶は分からなくもないが、結局、製造するために施設や、資材だって入れなければいけない。それをどこから入れたのか? ということが問題なのだ。
 そんなことを考えていると、またしても、
「生物地球科学的環境」
 の発想に戻ってくることになる。
「この発想だって、同じことではないか?」
 ということになれば、何かこの世の中に起こっているすべてのことは、何かの力によって循環しているものだといってもいいのではないかと考えるのだった。
 ここに一人、ロボット開発を研究している学者がいた。
 彼は、元々、人間の脳の役割について研究していたが、それとロボット工学の考えが似通っていることから、いつの間にかロボット開発に、自分の研究が向いてきていることを分かっていた。
 ロボット開発を、そもそも、
「神への冒涜だ」
 という考えに近い方の人だったので、
「今やっている脳の研究は、決してロボット開発には役立たせる思いはない」
 と、自分の中で考えていた。
「ロボットなどという発想は元々、虚像であり、あくまでも、人間が人間のための都合で作ろうと思っているものなのだから、そんな傲慢なものを作る協力などできるわけもない」
 と思うようになっていた。
「ロボットなんて、幻影でしかない。人間の都合のいいように使って、壊れたら、使い捨て、どうせ今の家電などと同じ運命であり、そんな運命があらかじめ決まっている連中に対して、頭脳は高等なものにしようというのだから、傲慢という言葉だけで片付けられるものではないだろう」
 と思えるのだった。
「今の時代に入ってくると、昔からのロボットというのでは時代遅れだ。人間の形をした人間により近いもので、そうずれば、頭脳の人間に近くなるだろう」
 という研究だった。
 あくまでも人間至上主義。ロボット開発における根底にある基本は、この、
「人間至上主義なのではないだろうか」
「意外と人間至上主義の方が、形がハッキリとしていて、迷うこともないことから、ロボット開発には向いているのではないか?」
 と考えるのだった。
 そういう意味で考えれば、
「ロボット開発の限界は、この人間至上主義なのではないか?」
 ということであった。
 それも、人間至上主義だから、ロボット開月ができないという考えではなく、
「ロボット開発と、人間至上主義を結び付けて考えてしまい、それぞれに負の要素がある」
 という思いからの限界ではないかと思うのだった。
 つまり、この二つを別たないと、ロボット開発はできないのではなく、あくまでも、それぞれの考えを理解しつつ、必要な部分を補って考えるということが必要だということであろう。
 この博士は、美山博士といい、研究者の間でも、結構な異端児だと言われている。
 研究発表がいつも奇抜なのもその一つだが、大胆な行動を伴っているだけに、逆に恐ろしいと言われていた。
 それでも、美山博士を、皆が権威だというのは、いつもその道で一番の研究者から、一目置かれているところだった。
 しかも、彼はいつも臆することなく、自分の意見を口にする。
 本来であれば、公言してはいけないようなことでも、自分に自信があれば、いくらでも口にする方である。
 彼には、忖度などという言葉がどこにもないだろうと言われている。それだけ奇抜ではあるが、その奥には計算された頭脳が控えているので、大胆なわりには、その話の信憑性は結構あったりするのだった。
 だから、まわりから異端児とは言われるが、嫌われることはない。皆が皆、彼に敬意を表しているということだろう。
 しかも、博士の研究には、それなりの信憑性もある。立証するにしても、臨床実験をしているようで、どちらの方向から見ても、その信憑性を裏付けている。そこに、揺るぎない自信が満ち溢れているのか、まわりが圧倒されて、反論ができないかのように、金縛りに遭ってしまうのだった。
 美山博士は、まだ、四十歳を少し超えたくらいだ。この年で博士というのもすごいが、逆にいえば、
「この年で博士になれなければ、ずっと教授のままでしかないといえるのではないだろうか」
 ということも言えるのだ。
 元々美山博士は、ロボットう工学に興味があったわけではなかった。
 どちらかというと、生物学的な研究を多くやっていて、特に、前述の、
「下等動物と、高等動物の境目」
 というものを、人間が、意識できるかできないかという感覚から、人間の都合で考えるというような研究をしていた。
 それによって、何ができるかということは分からないが、本人が気になっている点でもあり、ロボット工学を専攻している人と話をした時、大いに共感を受けたことが、彼をいつの間にか、
「ロボット工学の権威」
 と言われるようにするのだから、
「世の中、何が起こるか分からない」
 と言えるのではないだろうか。
 博士も、ロボット工学の研究に際して、
「フレーム問題」
 というのが、限界として立ち塞がっているということは分かっていたが、そのフレーム問題というものが、今のところ、解決不可能と言われるほどの問題になっているということを考えると。必要以上に考えないようにした。
「どうせ無理なものは無理なんだよな」