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無限と矛盾~知恵ある悪魔の創造~

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「せめて、我々が作った空間都市の利用は許可しますが、何しろ次元が同じだとは言っても、世界が違うんです。お互いにあまり深入りしない方がいいと思いますがいかがでしょう?」
 という、相手の首脳の意見とも一致して、
「まったくですね。お互いに内政干渉のようなものはなしで行きましょう。友好な通商条約を結んだことで、お互いの利益だけを考えたいものですね」
 と、こちらの代表は思った。
「今下手に未知の世界を相手に、事を荒立てたくない」
 というのは、どちらの世界も同じことで、この通商条約は相手からすれば、肉体を盗もうとしたことを合法にしなければいけないという意味で、最初から相手は不利だった。それだけに、お互いに干渉しあわないということで、あきらかに得をしたのは相手の方であろう。

                 大団円

 やつらが行っていた、
「奴隷制度」
 であるが、これは元々、奴隷たちが始めたことだった。
 前述のように、こちらの世の奴隷とは種類が違っている。彼らは、奴隷というものを最初は、こちらと同じように、労働力を、ほぼ自分たちが損をしないように取得するのが目的だった。
 それがいつの間にか、
「権利の象徴」
 のようになり、地主がどれだけ奴隷を持っているかということが、まわりを収めるための指標のようであった。
 今でこそ戦争のない、あっちの世界であったが、国家が出来上がるための戦争は、絶えなかった。これは国家ができあがるためには、越えなければならない峠のようなものであり、超えることで、一歩ずつ、土台が固まっていくものだ。
 しかし、統一されると、国家の権威は揺るぎないものとなった。体制は、その時々で変わっていく。それは、国民の許容範囲ないで行われることなので、反対もない。
 長い歴史の中で、クーデターのようなものが起こったのは、五本の指にも満たないという。
 彼らの歴史は、約一万年の文明というが、こちらの世界で、かの中国でも、四千年というではないか、その間にいくつの王朝ができ、滅んでいったかを考えると、実に少ないものである。
 経済政策も、こちらでいうところの、資本主義や民主主義、そして共産主義に社会主義という、
「どちらかの限界がどちらかを生む」
 というようなものではなく、基本的には世界は自由だったが、その間に奴隷という制限された人たちが一定数いることで、バランスを保っていたのだ。
 しかも、奴隷というのは、決まった人間がなるものではなく、
「年齢によって奉公する」
 という、徴兵制度における、職業軍人ではない、一般軍人いわれる人たちで、こちらの世界の徴兵制では、
「まず、一定の年齢になったら、軍に志願し、任期満了で、徴兵を解かれるが、その後、試験に合格し、職業軍人になる人がいる」
 というのが、一般的な考えだが、向こうの奴隷制は少し違う。
「確かに一定年齢になると、奉公に取られるのは同じだが、ここは志願ではなく、国民の義務であった。しかし、彼らは完全に法律で守られている。奴隷として雇うところが、キチンとしているかもしっかりと調査を受け、彼らが奴隷として適正なのかもちゃんと調査される。もちろん中には、奴隷不適格の人もいるだろうが、そのような人たちは養成所に送られ、治療を受ける。そのあたりは、こちらの国と変わらないだろう。だが、奴隷はそこでもらった球菌で独立することもできる。ただし、一旦奴隷として、任期満了後に職業奴隷となった人たちには、その権利はない。つまり、奴隷を職業とした時点で、彼らに職業選択の自由がなくなるのだ」
 というものであった。
 だから、あちらの世界では基本的に、職業自由の選択は憲法で認められていうが、職業奴隷にだけは適用されないと、憲法の但し書きに書かれている。
 その理由は、奴隷の一定数の確保というものと、奴隷制の任期満了において、職業奴隷が増えすぎないようにするための、政策であった。
 とにかく、
「我慢を強いられる職業の人間を、必要以上に増やすことは、クーデターや反乱に繋がる」
 ということが一番の問題だった。
 あちらの世界の法律は、そのあたりまで考えて草案を組まれている。頭が下がるばかりである。
「これが俺たちの国が誇る憲法なんだ」
 とばかりに、皆が言っているものだった。
 そういう意味で、奴隷制度というのは実によくできているが、これを最初に始めたのは、ロボットだったのである。古代のこの世界には、ロボットが存在していたのだ。
 これは、向こうの世界にだけ存在していたのか、それとも、こちらの時代にもロボットがいたということなのだろうか?
 パラレルワールドというのが、
「並行世界」
 として存在しているのであれば、どちらが本当の世界なのだろう。
「どちらかが本当の存在だ」
 という考え方自体が間違っているのかも知れない。
 どちらも本当の世界であり、それぞれに、その存在を本当は見つかってはいけないというものかも知れない。
「誰か、頭のいい人がいて気づいたとすればどうなのだろう?」
 博士がこちらの世界ではその存在だとすれば、今ここで記していることは、博士の頭の中だといってもいいだろう。
 人間に、それぞれ存在意義があるのだとすれば、博士の存在意義は、すべての人間の存在意義を集約しているかのようでもある。
 博士は確かに、
「知恵ある悪魔」
 なのかも知れないが、そこに神があるとすれば、博士は悪魔ではない。
 だが、そのことを証明することはできない。
 確かに、
「知恵ある悪魔」
 だったとしても、悪魔の存在を誰が証明できるというのだろう。
 ひょっとすると、博士は神なのかも知れない。そうなると、知恵のある天使ということになるのだろう。
「悪魔と天使の違いって何なのだろう?」
 この言葉でいえば、
「神があるかないか?」
 ということである。
 神とは誰にとっての神だというのか、それは、この世に存在しているすべての人間に対して、平等に幸せをもたらす者だといってもいいだろう。
 だが、本当にそんなことが可能なのだろうか?
 自然の摂理、生物地球科学的循環、食物連鎖などを考えれば、この世のすべての人間に幸せをもたらせるなど、ありえないことだ。
 この世のすべての生命に無限を考えるなら、人間だって、無限でしかない。それは、フレーム問題が証明していることではないか。
「ロボット工学の人工知能を考えた時に問題になるフレーム問題というのが、天使を悪魔を考えた時の神に通じることになるとは、思ってもみなかった」
 というものである。
 それだけ、この世で何かを考える時、絶対に引っかかってくるのが、矛盾というものだ。
「ゼロ除算」
 というものが矛盾を孕んでいるのと同じで、無限を考えるということは、すべてにおいての矛盾と引っかかってくるに違いない。
 自然の摂理、生物地球科学的循環、食物連鎖などについても、必ず循環というものがあり、
「循環は、すべてにおいて限界があるから、循環するんだ」
 と言えると考えると、無限という発想はその時点で、
「矛盾している」
 と言っていいのではないだろうか。
 美山博士は、いつも、矛盾について考えている。