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無限と矛盾~知恵ある悪魔の創造~

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「そのために核兵器が必要だというんですか?」
「その通りだ」
 という会話のあとで出てきたのが、この、
「血を吐きながら続けるマラソン:
 のセリフだったのだ。
 確かに、核兵器を持っているだけで平和を守れるという発想はあるだろう。しかし、それは、
「持っていることで、相手も先制攻撃を恐れて使わない」
 という、これが抑止力なのだが、それはあくまで理想であって、持っている以上、外交上であったり、その時のタイミングによって些細なことから軍事衝突が起こってしまうと、果たして核抑止が利くかどうかというのが問題なのだ。
 下手をすれば、ちょっとした事故で、間違って兵器が発射されるかも知れない。発射されれば相手も同じものを打ってくる。そうなると、どちらの国もその時点で崩壊なのだ。
 それをどれだけの人間が分かっているか。それがかつて起こった、
「キューバ危機」
 という問題であった。
 この特撮番組ができる五、六年前くらいの出来事であっただろう。
 当時のアメリカの大統領ケネディは暗殺され、ソ連の最高指導者だったフルシチョフは、「アメリカに譲歩しすぎた」
 ということで、失脚した。
 そういう意味で、
「果たして、軍事上、外交上の勝者というのは果たしてどっちだったのか? それ以前にいたのだろうか?」
 ということが問題なのだろう。
「形あるものは、必ず壊れる」
 という諸行無常の発想は、どこにでも、どの宗教にでもあるだろう。不老不死と言われる人が存在していないし、実際に、どれだけのものが現存しているかということを考えると分かるというものだ。
 だから、この諸行無常という発想は、どこまで言っても、これ以上の条理はないと思うのだ。
 そうなると、
「壊れるものを補うには、どうすればいいのか?」
 ということで、考えられたのが、
「若い肉体を奪う」
 ということだ。
 つまり彼らは気が付いた。
「頭脳は永遠に残るが、そのまわりを形成しているものだけを、その時々で付け替えればいいだけだ」
 ということをである。
 ロボットのような殻を作ったところで、強靭ではあるが、それでもいずれは壊れるのだ。それであれば、身体を付け替えるだけで尊属していく考えを持てばいいだけなのだ。人間は、生まれ変わることができるが、サイボーグはそうはいかない。実際に元々の肉体は寿命で滅んでしまったが、生命の源である魂をいかに生かすかということの問題なのだ。
 こちらの世界であれば、
「寿命が来たから、死ぬのは当たり前」
 と言って、死を受け入れる。
 しかし、あちらの世界では、死を受け入れることができず、さらに、モラルの観点が違っているのだから、他のところから奪ってくることもやむなしなのだろう。
 だから、彼らには、こちらの世界でいうところの、
「神」
 というのはいないのだ。
「神が存在していれば、こちらのようなモラルが存在しているからだ」
 というのは、こちらの勝ってな理屈なのだろうが、相手も同じことを考えていて、そこにあるのは、
「交わることのない平行線」
 だけなのだ。
 だから、彼らには、神はいない。しかも、そのわりに悔しいが科学力はかなりのもので、「知恵がある」
 ということになるのだ。
 最初の、
「神なき知恵」
 というのは、まさにパラレルワールドの世界である、
「やつら」
 ということになるのだ。
 あくまでも、こちらから見た考えなのだが、神なき知恵というものの、その知恵は、どこに結びついているのかというと、こちらから見た時、相手は、
「悪魔」
 にしか見えないということである。
 つまり、この言葉は三段論法のような形ではないだろうか。
「彼らは神がないほどにモラルがなく、その代わり知恵はある。知恵があるから、その暴走する考えは悪魔を作りだす。つまりは、神がなければ、知恵があろうがなかろうが、悪魔になるということになるのであって、それは当たり前のことなのだ。ただ、そこに悪魔というものが存在すると、人類を脅かす存在となり、無視できないものだ。だから、言葉を教訓にして残していた。いや、ひょっとすると、この言葉を考えた人は、一種の予言者なのかも知れない。そもそも、こんな言葉は、知恵ある悪魔の存在を意識しなければ、出てくるはずのない発想だからである」
 と、考えていいのではないだろうか。
「知恵ある悪魔」
 の国では、奴隷制度というものがあるようだ。
 ただ、その奴隷制度は古代にあった奴隷制度であったり。アメリカのように、黒人奴隷であったりというものではない。
 基本的に身分制度があるわけではない、あちらの国では、奴隷というものは、一つの職業となっている。
 制度というのは、ある一定の年齢に達すれば、国民の義務として、
「ご奉公という意味合いと、人生経験を踏む」
 という意味合いで、
「奴隷奉公に出る」
 という決まりがある。
 いわゆる、
「徴兵制度」
 のようなものであるといってもいいだろう。
 そういう身で、この、
「奴隷制度にも、学者などの、すでに国家に役に立っているような人間は、免除されることになる」
 というものである。
 そして、このような奴隷奉公の時には、給料も支給される。これは国家が負担するものであり、まるで教育の一環のようなものだ。
 そして、奴隷奉公に出たあと、そのまま奴隷として、登録され、派遣されるというような感じである。まるで、派遣社員のような感じだ。
 派遣社員との違いは、奴隷というものには、一定の発言権があり、奴隷が進言したことを派遣先の会社は吟味して、すべてを任せることができる。そして、その進言によって利益が出れば、その会社は、国からかなりの補助金が出るということだ。そしてその奴隷は、本人の選択で、そのまま奴隷として続けるか、国家のプロジェクトに派遣される形をとるかを選べるのだった。
 この奴隷制度というと言葉は悪いが、
「国家にとって、役立つ人間を発掘する」
 という目的が一番だった。
 もちろん、奴隷の進言がうまくいかず、あるいは、行動力に問題があったりして、会社に損害を与えた場合は、その損害を補償するまで、自由をその会社に与えることで、ここで初めて奴隷という形での奉公になるのだった。
 こちらの世界から見れば、かなりの歪んだ考え方に見えるが、彼らからすれば、
「人材発掘のために、一番の手っ取り早いやり方なのだ」
 というのだ。
 ちなみに、奴隷奉公の期間は、四年と決まっている。
 こちらの世界で言えば、大学生と同じであるが、向こうの世界にも大学というのが存在し、その難関度は、ハンパでないほど、門が狭いのだ。
 だから、ほとんどの人が、奴隷を経てから、就職するということになる。
 もちろん、大学に入学できれば、それが一番いい。大学生はこちらの世界と同じように、「青春の謳歌」
 を、まるで、
「わが世の春」
 とでもいえばいいのか、極楽生活であった。
 ただ、向こうの世界と、こちらの世界の決定的な違いは、
「戦争がない」
 ということであった。
 こちらの世界では、戦争のない時代はないと言われるほど、世界のどこかで戦争が行われている。