無限と矛盾~知恵ある悪魔の創造~
だから、今まで自分を手玉に取った男にかなり類似点があったのだろう。そうでもなければ、明らかに女の方が手玉に取っていたはずの相手に、背を向けるような形で、急いで撤退していったのかなど分かるはずもないのだ。
「私が仲良くなったのは、あんな男じゃなかったはずなのに、どこで間違えたのかしら?」
と思ったに違いない。
男の方も、女を怪しいとは思っていたが、こちらが何かの作戦を考える前に撤退していったのは不思議だった。
「明らかに手玉に取られる寸前だったはずなのに」
と思った。
下手をすれば、
「今回は危ない」
と思っていたところだけに、ビックリである。
まるで、元寇の時、圧倒的な力を持って、侵略一歩手前だった元寇の船団が、一夜にして消え去った時の民衆のような気持だったに違いない。
相手に勝ったといえるわけでもない。戦わずして逃げていったのだから、こちらの勝ちなのだろうが、それを認めるわけにはいかない自分がいる。
「悪運が強いということなのか? それとも、相手が悪いことをしようとしているのを見かねて。神が助けてくれたのだろうか?」
と、普段はそんなに神に感謝などしない教授がその時は、ほんのちょっとであったが、感謝をしたのだった。
そのせいもあってか、女が信じられなくなった。その分、研究に没頭するようになったのだが、そのためか、アンドロイド開発について一番難しいのが、
「アンドロイドに感情を込めるかどうか?」
ということであった。
感情というのは、考えたり判断したりすることに対して、微妙なところがあるのだ。普通にロボットが感情を持てば、人間に近づくようで、人間のいいところ、悪いところ、それぞれを示しているように思うが、普通の人であれば、
「悪い方に作用するのではないか?」
と考えるに違いない。
確かにそうであろう。言葉として、
「感情的になってはいけない」
という戒めのように、
「感情的になることは、悪いことだ」
と思われるであろう。
研究員の人たちは、皆、
「ロボットに感情を込めるなんて、そんな危険なことを」
と言っていた。
つまりは、
「ロボット三原則さけを充実に守っていればいいのだから、感情など持つと、三原則に疑問を感じるロボットが出てきたりして、そうなると、フランケンシュタイン症候群になってしまうんじゃないですか?」
と言われたものだ。
「そうか? 俺は逆ではないかと思うんだけどな」
と教授がいうと。
「どうしてですか? 感情がこもるということは、余計なことを考えるということですよ。人間にロボットというのは、人間とは一線を画さなければいけないんじゃないかと思うんですよ。人間のように感情を持って、考えるということをやり始めると、自分たちの立場に疑問を持ちかねないですよ。明らかに、やつらの方が優れているものを作ろうとしているんだから、それこそ、フランケンシュタインのように、理想を作り上げようとして、悪魔を作ってしまいかねないということになります。ミイラ取りがミイラになったという言葉をそのまま実践してしまうような気がするのは、僕だけでしょうか?」
というのだった。
「確かに、君の主張は分かる気がする。だけど、フラン系シュタインの話だって、あれはあくまでも小説の世界の話ではないか。あの時代に人工知能を持ったロボットが存在しているわけはないのだから、あれは、空想物語でなければいけないはずだよね。そうなると、信憑性がないわけで、どこから、感情を持つと、フランケンシュタインになってしまうという話になってくるんだい?」
と言われた。
研究員たちは、それをいわれて、ぐうの音も出なかった。
「なるほど、言われてみれば、そうだ」
と思い、何も言えなかったのだ。
教授はまくしたてる。
「そうだろう? フランケンシュタインの話が事実で、本当にそういう過去があったというのであれば、信憑性はあるが、実際には架空の話であって、誰もが本当のことだと思うほどに錯覚してしまうような素晴らしいインパクトを持った作品なのだということなんじゃないかな?」
というのだった
それを聞いた研究員も、
「ああ、なるほど、そこまでは考えませんでした」
とばかりに、教授に敬意を表するかのように、頷いていたのだ。
「そうだろう? 物事は絶えず、まわりから見ないといけない。それは君たち研究員は絶えずそのつもりでいつも考えているはずなのだが、たまに考えすぎて一周してしまうんじゃないかな? それで、自分が何に迷い込んでしまっていることに気づいていないということになる」
と教授は言った。
それに対しても、
「まさにその通りだ」
とばかりに皆が頷いている。
そのことを考えていると、さらに教授の意見が聞きたくなっていたのだ。
「これは私の仮説なんだが、聞いてくれるかい?」
と教授が改まったかのように話始めた。
教授がこのように自分の意見をまわりに認めてほしいと考えるのは、ある程度まで自信があるのだが、誰かに認めてもらうことでさらに自信が湧いてくるようだという、誰にでもある感情だった。
それを教授は自分が教授であるという、よくある、
「自我の境地に陥った時の、さりげない不安だ」
というように、まわりは感じていたのだ。
「ええ、もちろんですよ」
と一人が代表していうと、
「私は、死というものをいつも考えているんだけど、その時、死というものは、肉体が滅んで初めて市というのか、それとも、この世の人間と話ができなくなったら、それを死だというのかと考えていました。もちろん、後者は、元に戻らない、つまり蘇生しないというのが大前提ですけどね。この考えはかなり極端なのだけど、宗教のように、肉体が滅んでも魂だけは生き延びるという考えに対し、若干の不思議な思いがあるんですよ」
と言い出した。
「それはどういうことですか?」
と聞くと、
「魂だけが生きているということになると、肉体は、滅んでいくだけだよね? ということは、どこかで肉体が生まれてこないと、魂が不滅であれば、その分、あぶれてしまう。すると将来的に、肉体はなくなってしまって、魂だけの世界になってしまうということなのだろうか? と考えないのかな?」
というのだった。
「なるほど、それも考えたことはなかったですね。でも、肉体が生まれるとすれば、どういうところからなんでしょうか? 輪廻転生という発想からすれば、生物地球科学的環境であるとすれば、肉体は土に返って、そこから栄養になるということなので、どこからだったか、人間の元祖は土だったということで、また土に返るという発想ですよね」
と研究員がいうと、
「それは聖書の一節で、人類最初の人間であるアダムは、土から生まれたとあるから、そのことなんだろうね。人間が人間から生まれるというのも、実際には面白いもので、アダムが土から生まれ、土に返るという発想が本当であれば、人間から生まれた人間も、また人間に戻ると考えれば、輪廻転生という発想から、肉体は帆トンデモ、新たに人間から生まれてくると考えると、人間に限らず生物は、必ず生まれ変わるという発想になってもいいんじゃないか?」
と、教授は言った。
作品名:無限と矛盾~知恵ある悪魔の創造~ 作家名:森本晃次