早朝と孤独
「相手が男性であれば、基本的に友達、親友という感覚になるが、相手が女性、つまり異性であるとすれば、相手の性格的なところが、女性だから、という発想で片付けられるであろうか?」
ということである。
相手が男性だと思うと、
「同じ男性なんだから、気持ちはわかる」
と感じることだろう。
だから、
「男性だから分かる。女性だったら分からない」
という単純なものなのだろうか?
恋愛をしたことのない人、いや、それ以前に、恋愛感情を持ったことのない人は、男女というものを一刀両断にして、違うものだと感じるようになっているのかも知れない。
だから、女性に対して、どこか違和感があるのではないか、特に潔癖症だと感じている人に多いかも知れない、
逆に、女性に対して興味がなかったり、自分とは違う人種というくらいに感じている人は、自分を潔癖症だという意識がないのではないだろうか。自分のことを潔癖症だと思っているのだとすれば、この違和感はなく、逆に、
「潔癖症だから、女性を好きになれない」
と思うのかも知れない。
逆に、男というものに興味があるのかも知れない。
最近では、小説やマンガの世界でも、BLという、いわゆる、
「ボーイズラブ」
というジャンルが流行っている。
年配の人などには、よく分からないが、どうしても、年配の人間から見れば、男同士の同性愛は、
「暖色や衆道」
と呼ばれるような世界しか思い浮かばない。
戦国時代などには多かったもので、これは時代的に仕方のないことなのかも知れないが、あまり男性同士の同性愛というのは、言葉のイメージとしても、よくない感じがしてくるのだ。
だからと言って、女性同士が美しいというわけではない。耽美主義の中には、女性同士の恋愛を美しいと考えるものもあるのだろうが、今の時代のBLというものが、どういう発想からきているのか、よく分からなかった。
ただ、最近では、草食系男子と言われるような、女性に興味のない男性が増えている。結婚しようと考える男子も減ってきている。これは女性と性格的な関係を持つというよりも、性的欲求が生まれてこないことから、女性に興味のない男性が増えたということであろうか?
性欲が普通であれば、女性に興味がなければ、男性にいくのだろうが、BLのようなことは実際にはないだろう。
そうなると、この社会問題になっている、
「少子高齢化」
というのに拍車がかからないのも分かる気がする。
「結婚する人が減ってきていて、しかも、結婚してから離婚するという人が増えてきている」
これでは、子供ができるわけもない。
もっとも、子供を作っても、社会が機能していないのだから、少子高齢化は避けられない。
何と言っても、現在の夫婦生活は、共稼ぎが基本になってきている。そうなると、子供ができれば、託児所であったり、保育園に預けるということが基本である。
それにも関わらず、保育園に入所したいと思っている人の数に全然足りておらず、
「待機児童」
がどれだけいるというのか、
政府は、
「子育て支援:
などと言って予算を組んでいるのかも知れないが、結果、ほとんど機能していないのであれば、同じではないか。
そもそも、政府がどこまで真剣に少子高齢化を考えているのか分からない。
どうも、女性政治家の人しか考えていないように思えるのは気のせいであるのか、そう考えるから、
「女性議員が増えてきているのではないか?」
と思えるのだ。
「男性議員だと、どうしても男性の目線からしか見ることができないので、女性支援や子育て、少子高齢化を担ってくれる女性議員をたくさん増やしたいというのも、国民からだけでなく、男性議員の中にもいるのではないか?」
と考えられる。
要するに男性議員の責任転嫁になると思えるのだった。
性格的なことで、男女が仲良くなれないとすれば、それは小学生の頃の感覚に近いのかも知れない。
どうしても、男女の関係というと、そこに恋愛感情が存在しているかどうかというのが、まず最初に考えることであろう
恋愛感情であれば、また付き合い方も接し方も違ってくる。そうではなく、友達や兄弟のような感覚であれば、男性の友達とあまり変わらない付き合い方になるだろうが、どうしても歩み寄ることのできない関係が出てくるに違いない。
そんな恋愛感情を持つには、思春期というものを通り超えてくる必要がある。
その思春期の間に、恋愛感情を持ったことがあったかどうか、これも、その後の感情に大きな影響を及ぼすのではないだろうか。
思春期真っただ中においての恋愛感情が、性格的なところでの異性への感情なのか、それともズバリ、性的欲求によるものなのかということが問題だ。
しかも、後者であれば、その相手が特定されているのか、されていないのかという問題もはらんでくる。
相手が特定されていないのであれば、完全に性欲というものの現れであるといえよう。ただ、それが思春期ということであれば、
「それはそれで仕方がない」
と言えるのではないだろうか。
それが思春期というものであり、思春期における正当な判断ができるはずの年齢でもあるはずだ。
思春期における性欲の高揚は、仕方のないことであり、人間の本能だといってもいいかも知れない。だから、本来あるべき時間を、その通りに過ごしてこなかった弊害だって起こりえるだろう。
性犯罪の中には、思春期に勉強ばかりしていて、欲を抑えつけてきたことで、ある時、その抑えていたものが爆発することで理性を失い、性犯罪に走らせるということになる。
抑えつけていたものが何であるかということも分からずに抑えつけているのだから、すでに理屈で解決できる段階ではなくなってしまっているのだろう。
だから、抑えが利かずに、暴発するのは、自分で無意識な行動であるだけに、本人に抑えられるわけがない。無意識の状態に近いわけだからである。
それを、今度はまわりが、本人の意識に関係なく抑えようとして、抑えられるわけもない。
行動パターンも思考回路の構造も分かっていないのであれば、神出鬼没だと思われても仕方がないだろう。
思春期に、欲望を抑えつけるパターンとして、外的要因と内的要因とでどちらが多いのだろう?
自分で、
「性欲は悪いことだから抑えなければいけない」
というだけの理屈で、訳も分かっていないのに、抑えつけようとする場合、あるいは、まわりの大人が、
「この子は自分で抑えることができないから、親や先生が無理やりにでも抑えようとしないと、犯罪者になってしまう」
ということで、こちらは、強制的に完全に抑えつけてしまう。
そうなってしまうと、本人が納得する以前に、反発の方が強く、反発しようとすればするほど、性犯罪にのめりこんでいくものなのかも知れない。
そんな中で、大学生になっても、
「まだ、童貞だ」
という人も少なくはない。
以前のように、童貞だといって、気持ち悪がられる時代ではなくなってきたのか、それとも、草食系男子が増えてきたことで、そういう男子が強くなってきたのか、はっきりとは分からない。
草食系男子が増えた理由はどこにあるのだろう?