小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

早朝と孤独

INDEX|8ページ/24ページ|

次のページ前のページ
 

 中には、そのプレッシャーに押しつぶされるやつもいるだろう。
 高校生の頃に大学受験を乗り切って大学生になれたはずの人が、社会人一年生で挫折してしまうのだ。
「それだけ、大学生活が、人間を堕落させてしまうということなのか、それとも、社会人というのが、今まで経験してきた生活とは、計り知れないほどのプレッシャーなのかということなのか、実際になってみないと分からない」
 と言えるだろう。
 社会人というと、今の時代は昔ほどひどいことはなくなっていることは分かっていた。
 今では、コンプライアンスという言葉に会社も敏感で、それまで、横行してきたといってもいい、セクハラであったり、パワハラであったりするものが撤廃されてきた。
 新入社員にとっての苦痛は、半分は解消されているといってもいいかも知れない。
 社会人になると、ある程度は、
「上司の命令は絶対だ」
 と言われるだろう。
 これはだいぶ上の先輩から、入社式の時のことを聞かされた時のことだった。
 その先輩というのは、おじさんになる人で、親戚が集まった時、数人に対して、コンプライアンスの話が出た時に、話していたものだった。
「俺が、入社した時は、今のようなコンプライアンスのようなことは言われていなかったので、その時の入社式の時に言っていた言葉が結構今でも頭に残っているんだよ」
 と切り出し、一息入れて、さらに続けた。
「いくつか話してくれたんだけど、最初は、三のつく数字を話してくれたかな? 三日持てば、三か月もつ。そして三か月持てば、三年もつってね。そうやって段階を自分で意識しながら仕事をしていると、仕事をするのも、そこまで苦痛ではなかったというんですよ」
 と、三年について語った。
「なるほど」
 と思ったが、その次の言葉の方が印象に深かった。
「とりあえず、最初の一年は、上司のいう通りに仕事をしてみてください。中には理不尽なことをいうと思うかも知れませんが、とりあえず、そうしてみてください。そうすれば、二年目以降に、その理不尽さがどこからくるのかということが、自分の中でしっかりと理解できるようになるんですよ。そこが大切なんです。最初に違和感や理不尽を感じたとして、それが本当はどこから来るものかを分からずに、反発するのであれば、それは、ただのわがままにしか見えませんからね、って追われたんですよ。最初は本当に何を言っているのか分かりませんでしたが、一年経ってみると、不思議と自分でも、よく分かるように感じました」
 と、そのおじさんは言っていた。
 それを聞いたのが、大学二年生の頃で、一番大学生活を謳歌している時期だったが、頭の片隅には、
「あと三年もしないうちに、大学を卒業するんだ」
 という気持ちがあったのだ。
 社会人であれば、それまでの理不尽さや納得のいかないことを、コンプライアンスと言う言葉が取り除いてくれ、今までの新入社員に比べて、格段になじみやすい生活になってくるだろうとこは分かるが、坊主を目指している自分には、そんなコンプライアンスなどと言う言葉とは無縁であることは分かっていた。
「毎日が修行で、楽なことなどあるはずはない」
 と思っていたが、次第に、今の楽しい大学生活と、今後迎える修行の毎日を考えると、ジレンマに陥ってしまう自分を感じるのだった。
「しょせん、大学生などというのは、幻影なのだろう」
 という思いで、二年生くらいを過ごしてきた。
 だが、次第にその感覚が揺らいできたのは、それまで感じたことのない。恋愛感情だった。
 最初は、大学生になるまで恋愛感情を抱いたことがないことを不思議に感じなかったことを、
「おかしい」
 と思うこともなかったのが、おかしなことだったはずである。
 思春期があったのは間違いない。街を歩いている女性に対して、
「あの人、きれいだな」
 という感情が浮かんでくるのも分かっていた。
 だが、あくまでも、自分にかかわりのない人なので、言葉を交わすこともない人間に、恋愛感情など抱くはずもなく、
「錯覚だ」
 というくらいに感じていたのだった。
 高校生の頃までも、同じクラスで、
「かわいい」
 と感じた女の子もいた。
 だが、その子と会話をしたこともなく、そのうちに、告白をしてきた同じクラスの男の子と付き合いだしたと聞いた時、
「告白していれば、俺にだって、チャンスはあったかな?」
 と感じ、少しだけ悔やんだが、何と言っても、告白するかどうかというところに、大きな結界があるのだ。
 そんな簡単に
「告白していれば」
 などという言葉で片付けられるものではないに違いない。
 高校時代は、それ以上に、
「大学受験」
 というれっきとした目標があったのだ。
 それに向けての目標が明確である以上、どう対処すればいいのかが、明確になっているような気がしたのだ。
 大学生になってからは、まったくまわりの見え方が違ってきた。それまでなあった解放感ということ一つだけが加わっただけで、ここまで世間が違って見えるとは思ってもみなかったのだ。
 同じ色でも、それまでとは違うのだ。焦点を合わせて見ているつもりでいるのに、まわりの色、例えば空の色が今までと違って見えることで、合わせた焦点の色がまったく違って感じるのだということを、すぐに理解できなかったのは、きっと、その解放感というものが邪魔をしていたからなのだろう。
 そう思うと、
「なんて、皮肉なことなんだ」
 と考えるようになった。
 大学時代は、高校時代までになかった、
「解放感」
 があるのだ、
 焦点を合わせて見ているようでも、まわりまで見えていることに気づかないが、その分、見えていなかったものが見えるようになったというのも事実だった。
「これが大学時代というものなんだ」
 と、皮肉をたくさん感じるようになったのも、同じ理由であると感じたのも、違和感からであろうか?
 大学時代には違和感というものが、結構あったような気がする。それが、皮肉というものと関係しているのではないかと思ったが、どうやら、そこには時間差があるような気がした。
 時間差というのは、いつも同じ間隔でなかっただけに厄介だ。同じ間隔であれば、見えてくるものの大きさが同じでも、違っていても、さほど意識はないのだが、間隔が違うとなると、大きさが同じであることに対して、違和感しか感じないのであった。
「それも大学生活というものだ」
 と一言で今までなら片付けられたのだろうが、ある時からそうもいかない気がしたのだ。どうやら、それが、
「恋愛感情を持ったからではないか?」
 と感じるようになった、きっかけなのかも知れない。
 大学生活の中で、好きになった女の子がいなかったわけではないが、
「女性を好きになるという感覚が分からない」
 という思いに至ったのだ。
 その理由としていえることは、
「女性というものをどのように意識しているのかわからない」
 ということであった。
 人を好きになるというのは、相手の性格を好きになるということなのか、それとも、性的欲求も一緒に考えることなのかということが分からないと話にならない。
 女性を、異性と考えるかどうかということから、性格的なものが変わってくるだろう。
作品名:早朝と孤独 作家名:森本晃次