早朝と孤独
一つは、学校で苛めなどがあり、あるいは、親や大人に不満があったりして、引きこもりが増えたからであろうか?
さらには、パソコンやネットなどの普及もあって、チャットなどによって、遠隔で話ができるようになって、一緒にいる必要がなくなってきたからなのか。
さらに、アニメなどの、二次元などのキャラクターにあこがれを持つようになったからなのか、
それぞれに信憑性があるように思えるが、それだけに、どれが正解なのかというのは、分かりそうにもない、
昔でいえば、大学に入学してきて、童貞だと言えば、先輩が風俗に連れていってくれて、
「祝、童貞卒業」
などと言っていたものだが、最近ではどうなのだろうか?
実際には、
「風俗離れしている」
とも言われていて、ひょっとすると、昔の敷居が高かったソープではやっていけないことから、敷居を下げて、風俗離れしないような努力が行われているのかも知れない。
鏑木は、結構性風俗の世界の話をまわりから聞いて知っていた。
「自分は坊主になる運命なんだ」
ということが分かっているつもりであったが、どこまで世俗と切り離さなければいけないのかということを、自分の中で理解していなかった。
確かに、頭を坊主にしたり、袈裟を着たりなどという、形は大切なのだろうが、自分の欲をどこまで捨てなければいけないのかということを考えられるところまではいっていなかった。
中学、高校時代と、あまり性欲というものを考えたことがなかった鏑木だったが、大学生になり、少しすると、自分の中に性欲がみなぎっているということに気づいたのだ、
それが、一人の女性が気になるようになってからのことだということは分かっていたのだが、
「彼女のことを好きになったから、性欲がみなぎっていることに気づいたのか、それとも、性欲を彼女に感じたから、彼女のことを好きになったと思ったのか」
そのどちからであるということは分かるのだが、実際にどっちなのかということに対して、考えがまとまらなかった。
なぜなら、そのどちらも、
「決め手に欠ける」
ということだったからである。
鏑木が好きになった女性は、同じクラスの女の子だった。その日、テキストを忘れてきた鏑木に、ちょうど隣の席に座った彼女が、
「どうぞ、一緒に見ませんか?」
と言って微笑みかけてくれた。
「まるで観世音菩薩様のようではないか」
と、さすがに房洲らしい発想をしてしまった。
その笑顔に後光がさしているかのように見え、
「ありがとうございます」
と思わず、下からの目線で見上げるようにしたにも関わらず、彼女は上から見ている様子はなく、横からの視線を崩さなかった。
それなのに、目線が遭っているように見えるのは、まるで目の錯覚ではないかと思えるほどだった。
そんな感情から、彼女が今までに見てきた女性とは、種類が違っているような気がした。もちろん、男性というわけでもなく、今まで出会ったことのないような新たな人種という感じである。
まるで、天使様にも見えてきた。坊主のくせに、聖母マリアを想像してしまったくらいだ。
その時点では、彼女に性的欲求がぶつけられたという意識はなかったはずだった。
それなのに、彼女に性欲を感じたタイミングが、彼女を好きになったタイミングとどちらが先なのかということが分からないということは、彼女の視線の矛盾に新鮮さを感じた時が、彼女を好きになった時ではないといえるのではないかと思うのだった。
彼女の名前は、新垣あかりと言った。名前を初めて知ったのは、初めて口をきいてから、少ししてからのことだった。
思春期と大人の視線
大学一年生になるまで、童貞だというと、普通なら、気持ち悪がられるという意識があったので、それまで女性と話をすることはなかった。
「女って、結構鋭いところがあるから、男を見て、少し仲良くなったら、相手が童貞かどうかなんて、簡単に見抜けるみたいだからな」
と言っている友人がいた。
この男は完全に、肉食男子なのだが、あまりまわりに干渉しないという主義なのか、女性に関しての話はよくしてくるが、自分たちのことはあまり話そうとしない。
鏑木のことも、童貞だということは分かっていると思うのだが、そのことについて、触れてくることはなかったのだ。
「俺は、昔からあまり他人に干渉しない主義なんだよ」
と言っていたことがあったが、聞いたのは、確か一度きりだっただろうか。
彼も、
「一度言えば十分だ」
と思っているのだろう。
そんな先輩が時々いうのは、
「女って、不思議な動物で、自分のことを一番に考えてほしいと言いながらも、かまいすぎると、嫌になるやつもいるんだよ、そんなやつに限って、適度な塩梅で、絶えず構っていてやらないといけないんだ。そこが難しい絡み方だといってもいいよな」
と言っていたが、
「だったら、最初から、そんなややこしい人にこっちが絡まなければいいんじゃないのか?」
と聞くと、
「それがそうもいかないのさ。好きになったもん勝ちって言葉があるが、この場合は、好きになったもん負け、ってところだな」
という。
「何だいそれは、おかしな言い回しだな」
と言って、笑いながらいうと、
「笑い話で済まされれば男は苦労しない。女には男を引き付けるフェロモンのようなものがある。それも一種の相性なのだろうが、そのことが分かってくると、自分も大人になったような気がしてくるものさ」
というではないか。
「その大人というのは、女に対してという意味かい?」
と聞くと、
「うん、そういうことになる。女に対して大人になることと、それ以外で大人になるということでは、どこかに決定的な違いがあるんだろうな」
というので、
「それが、性欲なるものなのかな?」
と聞くと、
「いや、一概にはそうは言えない。性欲というのは、それだけの力を秘めてはいるはずなんだが、大人になるから、性欲が強いというわけではないと思う。問題は、その性欲をどこまで抑えられるかということだと思うぞ。性欲というものは、元々人間は生まれながらにあるものではないかと思うんだ。子供の頃にはそれが表に出ないだけで、実際にはそれを抑える力が存在している。大人になるということは、その力がなくなってきて、本来出てこなければいけない性欲が表に出てくるのが大人になるということなんじゃないかな? たとえば、幼虫がさなぎになって、それからしばらく、大人になるための時期を過ごして、満を持して、成虫となって表に出てくる。それが大人になったということで、大人として生きられる期間は、動物によってさまざまだ。セミのようにm数週間というのもいるしね」
と先輩は言った。
「性欲って難しいんですね?」
というと、
「まあ、これは俺の個人的な私見なので、何とも言えないが、お前も自分でいろいろと考えてみるといい」
と言われた。
「確かに子供の頃にも、何かムズムズしたものがあったけど、それが何だったのかって、考えることもある、確かに、股間がムズムズしていたし、気づけば抑えていたような気もする。でも、あの時は気持ちいいとかいうことは分からなかったな」