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早朝と孤独

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 別にソープ通いがバレたとしても、そのことがショックなわけではなく。このひそかな楽しみがなくなってしまうことの方が、よほど辛かったのだ。
 辛いというと少し違うだろう。
「寂しい」
 と言った方がいいかも知れない。
 これこそ、
「ひそかな楽しみ」
 というもので、それは、以前まで感じていたソープのイメージと、実際に通ってみて違うと感じたイメージを、
「お前たちは知らないだろう」
 という、
「自分だけが知っている」
 という感情があるからだった。
 もちろん、錯覚かも知れない。かつての風俗を知らなかった自分が抱いていたイメージがそのまま感覚となっているからだった。
 特に風俗という、一種の、
「開けてはいけないパンドラの匣」
 というようなイメージを持っていたからで、そのイメージは、昔のマンガなどで得たものだった。
 鏑木は、今三十歳だが、中学高校時代には、マンガに嵌っていた。
 しかもその嵌ったマンガというのは、当時連載していたようなマンガではなく、それからさらに以前のマンガであり、昭和の頃のマンガを読んだりしていたのだ。
 確かに、あの頃のマンガというのは、今でも金字塔として残っているマンガもたくさんあるが、鏑木が読んでいたマンガは。どちらかというと、もっとマイナーなものが多かったのだ。
 しかも、中学生、高校生が読むには、年代的には違うと思えるもので、もう少し年齢の高い人が読みそうな本を好んで読んでいた。
例えば、サラリーマンの出世ものであったり、学園ものでも、青春ストーリーというよりも、もう少しドロドロしたものが多かった。
 能と狂言の、
「狂言」
 のように、口直しで、ギャグマンガを読むことも多かった。
 しかし、それよりもやはりサラリーマンや、大学生が好んで読むものが多く、
「これらのマンガは、小説としても発刊できるようなものじゃないのかな?」
 と感じるほどであった、
 サラリーマン風のマンガというと、どちらかというと、絵のタッチは劇画調であった。小学生の頃までは、劇画調というと、恐怖を感じさせるものというイメージで嫌いだった。
 それともう一つ感じていたのは、
「エッチなシーンが多いのではないか?」
 という思いから、劇画は嫌いだった。
 実は、中学に入ってから、少しエッチにも興味を持つようになって、マンガやエロ本と呼ばれるようなものも見たことがあったが、どうにも劇画調のものは好きにはなれない」
 という思いが強く、マンガは読むことがあっても、劇画調のものは敬遠していたのだ。
 だが、テレビドラマで面白いドラマがあって、毎週欠かさず見ていたのだが、その話の原作があるということでエンディングを見ていると、原作が乗っていたので、さっそく、ネットカフェに行って、読んでみることにした。
 表紙を見た瞬間、劇画調だったので、一瞬にして、高ぶっていた気持ちが萎えてきた気がしたのだが、
「せっかくだから、最初くらいまでは」
 と思って、少し読んでみると、嵌ったのだった。
 ドラマの雰囲気とは明らかに違っていたが、マンガならではと思われるところが描かれていて、ドラマにはない面白さがあった。
 特に、サラリーマンというものを、裏から見た描写は、不特定多数が見るドラマと違って、基本的に読みたいと思ってマンガを買って読む人だけ、つまり、ファンにだけ分かっていればいいと思うようなことが描かれていたのだ。
 それだけ、
「ファンに寄り添った作品」
 と思えてきて、原作を読むことで、ドラマを見ていたよりも、さらに特別感が味わえるということがどれほどの楽しみかということを分からせてくれたのだった。
 そのマンガにおいて、一人の青年が、あることをきっかけに、その会社の社長と知り合うのだが、社長がお忍びでどこなに出かけているところを知り合うという、結構ベタでありがちな話であるところが、却って、気になるところであった。
 そのあたりの最初の掴みは、ドラマと一緒だったが、やはり劇画と実写とではかなり違っているようで、最初は劇画に違和感満載だったが、次第に慣れてくると、原作というよりも、まるで別の作品を読んでいるようで新鮮だった。
 本当は原作を読みたいという思いで来たにも関わらず、劇画に嵌っていったこともあって、
「途中から、ストーリーが違っていてくれればいいのにな」
 と思うほどになっていた。
 そして、その話は、期待に漏れることなく、ドラマとは、違ったストーリー展開になって、
「一粒で二度おいしい」
 という感覚になってきたのは嬉しかったのだ。
 そんな中、やはりと言ってもいいが、そこには、えっちなシーンが織り込まれていた。ドラマではなかなか表現できないものも、マンガ、それも劇画ともなれば、結構可能だったりする。
 だが、鏑木は、そんなえっちなシーンには、それほど興奮はしなかった。むしろ、
「せっかく劇画というものを好きになりかかってきたのに、えっちなシーンで台無しではないか」
 と感じるようになったのだ。
 だが、その中でそれまでにない感動を与えてくれるシーンがあった。それが風俗のシーンだったのだ。
 ソープのシーンで、そのマンガの時代は、さらに昔だったので、まだ、
「トルコ風呂」
 と呼ばれていた時期のことだった。
「阿波踊り」
 と言われるものが、主流だったこともあって、
「泡姫」
 と呼ばれるお姉さんのテクニックをマットで味わっているシーンがあったのだ。
 そのお姉さんは、金髪にパーマといういかにも劇画に出てきそうなお姉さんで、サービスを受けている男性は、まったく何も感じていないのか、無表情だったのだ。
 そんな男性に対して、そのお姉さんは、仕事という垣根を越えて好きになっていたようで、どうやらその客、主人公ではなかったのだが、話の中で、重要な地位を占める位置にいる人だったのだ。
 テレビでの俳優とは、まったく違った雰囲気だったのも、新鮮だったが、そのおかげなのか、
「やっぱり、ノベライズにしてほしい気もするな」
 と、実際に人物から完全に想像の世界に入れるものを所望したいという気持ちになったのも面白いところであった。
 泡姫のお姉さんは、必死で男に奉仕していた。
「こんなお姉さんが、この男に限っては、まるで借りてきた猫のように従順になってしまうんだ」
 と感じたほどだった。
 そんな雰囲気をずっと中学時代から、風俗に対しては、妄想として持っていた。
 だから、
「あまり俺は好きじゃないな」
 と考えていたのだった。
 それまでに、彼女ができて、セックスができるかも知れない。愛する人とするのが一番なのは絶対のことなので、好きでもない人に、しかもお金を払ってしてもらうというのは、何か虚しい気がした。
 そのマンガの中で、一人の男性がその店に入り浸っているという設定があった。
 その男性は、数か月に一度、お金を貯めてやってくるのだが、いつも、相手をする女の子とは、冷めた感じの対応をされていて、
「何で、そこまでされて、必死になって貯めた金を捨てにいうようなことをするんだ?」
 と考えたが、その答えはなかなか出なかった。
作品名:早朝と孤独 作家名:森本晃次