早朝と孤独
と感じ、自分の絶対的な立場の悪さに気づかされたのだった。
そのため、相手が何を言ってきても、
「はいはい」
と言って、言うことを聞くしかできなくなってしまったことを感じ、劣勢に立たされたことで、自分がいかに愚かだったのかということに気づいたのだ。
だから、相手が、会社に文句を言ってきた時、
「やくざか、チンピラみたいなやつだ」
と思ったが、それだけに逆らえない立場を自らが作ってしまったことに後悔した。
確かに昔から、
「お前は、後先考えずに逆上することがあるから、気を付けないとな」
とは言われていたが、それも、こちらに落ち度がないとハッキリわかっている時だけだという意識もあった。
だから、自転車の止め場所が悪かったということで一気に攻め立てたが、考えてみれば、ひっくり返したことに対して、一切の話もしていなかったのだ。
この状態をまわりが見ていれば、こちらが悪いというのは一目瞭然だっただろう。
たとえ、自転車の置き場が致命的に悪かったとしても、まわりの人は、
「そこまで言わなくても」
と、相手に同情的になったに違いない。
ここで、勝負はついてしまったのだろう。
我に返ったところで遅かった。相手は冷静になって考えて、そして時間を置くことで、こちらを脅してやろうという、あくどい気持ちが芽生えたに違いない。
お互いに刻々と立場が変わる中で、暴言を吐いたという致命的なことをしてしまった自分が悪いのだが、実際には、どちらが悪いのかは、今から考えると、
「俺がもう少し、冷静でいられたら、こちらの勝ちだったんだけどな」
と感じるのだ。
そんな状態を思い出していると、世の中の理不尽さもこみあげてきた。
「どうせ誰も最初から俺たちのことを見ていたわけではないので、こちらが、罵声を浴びせた時から気にした人は、皆相手の味方になってしまうんだ」
と思うと、自分の行動をさておき。いかに相手がうまかったのかということであり、問題は、
「一番肝心な時、どれほど冷静でいられるか?」
ということになるのであろう。
冷静になれば分かることなのに、果たしてもう一度同じ場面になれば、今度は冷静になれるかと言われれば自信がない。それだけ、自分がその時になってみないと分からないということになるのであろう。
風俗通い
夜の街を歩いていると、なぜにそんなに怒りに満ちたことを思い出したのか、自分でもわからなかった。本来であれば、これから至福の時間を味わおうという気持ちでいるはずなのに、自分からこんな意識になるなど、不思議で仕方がなかった。
お金がもったいないなどという意識はすでになくなっていたはずだった。最初の頃は、賢者モードになりながらも、誘惑には勝てず、ドキドキしながら通ったものだが、店を出てくると、一気にテンションは下がってしまって、しばらくは、精神的にきついものがあった。
「お金がもったいなかった」
という理由で賢者モードになっていただけではないだろう。
なぜなら、その後に店を出てから、
「何か食べて帰ろう」
ということで、結構贅沢なものを食べることもあった。
しかも、その時に、
「ここでの千円ちょっとくらい、さっき払った数万円に比べれば微々たるものだ」
という意識があるくらいだ。
金銭感覚がマヒしてしまっているということなのだろうが、それはそれで、しょうがないと思っている。何が自分を賢者モードに引っ張っていくのかということは、その時点ではハッキリと分からないのだった。
「おいしいものを食べると、その時は満足だし、空腹時も、食べるというころを想像しただけで、至福の思いを得ることができるのだが、いざ満腹になってしまうと、その時はいいが、少ししてから、満腹が胃のもたれをもたらして、そのために、苦痛に感じられるようになる」
という思いがあった。
店を出てから少しの間の賢者モードは、この時の満腹感に似たものがあるのではないかと感じるのだった。
食事をしていると、以前は、空腹感がそのまま感じただけのものを食べることで、満腹感に襲われるのだが、それは、そのまま満足感になっていた。
しかし、いつ頃からなのだろうか、腹八分目までしか食べていないのに、気が付けば、満腹感に達していて、それが満足感として味わうだけの時間に余裕があるわけではなく、すぐに、胃もたれに変わってしまうのだった。
「胃下垂なのではないか?」
と言われたこともあttが、それもまだ若いので、そこまで気にすることもないだろうということであった。
しかし、あまり気持ちのいいものではないと思っていたが、それでも、何度か似たような感じを覚えてくると、慣れてくるにつれて、違和感を感じないようになってきた。
最初から分かってさえいれば、無理もしないし、どうすれば一番おいしく食べられるかということが分かるというものだ。
そんなことを考えていると、お金の使い方であったり、心の持ちようによって、
「理屈ではない考え方が頭の中を巡っている」
という感覚に陥ったりするものであった。
店を出てから、焼き肉を食べることが多かったのだが、そんな時は絶対に、腹八分目でやめておこうと最初から思うようにしていた。
というのも、お腹は減っているにも関わらず、最初から腹八分目でいいということが分かっているのだ。
たぶん、店で注文し、料理が来るまでは、
「腹八分目ではダメだろうから、追加注文すればいい」
と思っているのだが、来た料理を見た時、
「やっぱり、これくらいがちょうどいい」
と感じる。
見た瞬間に、少しだけ、お腹の中に食事が最初から入っていたような気がするからだった。
そんなことはそれまでにはなかったことだった。
料理を見てから、その匂いから、余計に食欲がわいてくるということはあったが、お腹を満たしてくれるような要素はなかったのだ。
「それだけ、年を取ったということなのか?」
と感じたが、
「いやいや、大丈夫だ」
という、もう一人の自分もいて、そのもう一人の自分の力なのか、満腹になるようなことのないように意識づけられるようになっていったのだった。
鏑木が、早朝から出かけているのは、いわゆる、「早朝ソープ」と言われるところであり、一か月に一度の楽しみであった。
鏑木は、酒を飲むこともタバコを吸うこともないし、ギャンブルもしない。ただ、パチンコだけはたまにするようになっていたが、別に嵌っているわけでもない。
会社の皆は、
「鏑木さんって、くそがつくほどに真面目な人なんだよな」
と、ウワサをしていたのは知っていたので、
「まさか、俺が早朝ソープに通っているなど、想像もつかないだろうな」
と思っていた。
それは、
「バレたら嫌だな」
という思いよりも、
「皆が知らない俺がいる」
ということを自分で分かっていることが楽しかったのだ。
まるでまわりを欺いているかのようで、これほど楽しいものはない。特に真面目だと思っている人間に裏があるということを、誰も知らないということは、これほど快感だとは思ってもいなかった。